第614話 王党派将軍の戦略
私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは辟易していた。一つの戦争が終わったばかりだというのに、また戦争。これで愉快痛快気分爽快になれるのは傭兵だか野盗だかわからぬ不埒な無頼と生粋の戦争愛好家だけだろう。むろん私はそのどちらでもなく、模範的な淑女なのである。迫り来る内乱を前にしては、暗澹とした気持ちが日々増していくばかりであった。
しかし悲しいかな、私は王軍所属の軍人であったし、なにより法衣貴族であった。主君から「行ってこい」と言われれば断る選択肢などない。これが所領持ちの領主貴族であればなにかに理由をつけて抵抗することもできるのだろうが、法衣貴族は給金を止められてしまえばあっという間に干上がってしまう。上司の命令には絶対服従するほかないのだ。
「敵はアルベール軍などと名乗ってはいるが、その正体はもと悪徳宰相アデライドに金で雇われた守銭奴諸侯の野合である。そのような恥知らずの傭兵くずれに、武名の誉れ高い我らヴァロワ王軍が敗れるはずがない! 前将兵は奮起して軍務を全うすべし!」
などという訓示を垂れて王都から出陣した私だったが、もちろんその内心は発言ほどに戦意に満ちていたわけではなかったからだ。私に預けられた兵力は約二万。少ないわけではないが、敵軍の総兵力三万よりは大分少ない。おまけにその内実は槍やクロスボウで武装した旧式兵科が主力になっているのだからたまらない。まともにアルベール軍とぶつかれば壊滅は避けられないだろう。
いや、もちろんこれは私が王家から冷遇されているというわけではない。たんに、即応できる部隊がこれしかなかっただけだった。新兵科を主力とした部隊は、先のレーヌ市攻略戦でだいぶ消耗してしまっている(これは人的な損耗というよりは装備や弾薬の面が大きい)。ならば、動かせる部隊は旧兵科が中心になってくるのも致し方のない話であった。
とはいえ、敵が迫りつつある現状ではそんな言い訳などは慰めにもならない。総力を結集した決戦では勝ち目はないのだから、我々の役割はとにかく敵の足止めをすることだ。王都に残った部隊が再編成を終え、我々との合流に成功すれば状況は一転して王軍優位になる。作戦的には、このやり方しかない。
……はぁ。しかし、なぜこちらから仕掛けた戦争でこうも後手後手に回ったあげくこのような賭けの要素の大きい作戦にベットせねばならないのだろうか。まったく、あの馬鹿王子め。どうしてこんな危ないわ利益はすくないわの碌でもない戦争を始めてしまったのだ? 色事に熱中しすぎて頭に性病が回ってしまったのだろうか。
素人ばかり狙っているからそんなことになるのだ、馬鹿め。私などは身元のはっきりした高級男娼としか寝ないようにしているから、性病の心配などはまったくしていない。まあ、おかげで出陣後は一人寝ばかりになってしまったが……。
はぁ。やはり戦争はよくない。いや、そこらの男を略奪して押し倒すような輩には良いのだろうが、私にとっては損ばかりだ。平和万歳。私に娼館通いの自由を返せ。
「ソラン砦の陣地に、敵軍が砲撃を開始したとのことです」
伝令の声が、私の意識を現実に戻した。ここは、アルベール軍を迎撃すべく南進中の私の部隊……ガムラン軍(二万程度の兵力で軍を名乗るのはややおこがましいが、そこは王軍としての見栄だ)の野営地。その式本部であった。
報告をあげた伝令は、まだ初秋だというのに毛皮製のいかにも重そうな防寒服をしっかりと着込んでいる。おまけにその頭には高価なゴーグルまで乗せているのだから、その兵科を見間違うはずがない。彼女は翼竜騎兵なのだった。早馬よりも早く情報を届けられる翼竜騎兵は、伝令としてたいへんに重宝されている。
「ふむ……飛行偵察の首尾はどうだね。本格的な攻勢が始まりつつあるのなら、敵の本隊もそろそろある程度は接近してきているはずだが」
さらに言えば、翼竜騎兵の仕事は伝令ばかりではない。上空から敵情を探る飛行偵察も、彼女らの大きな役割の一つだ。特に大軍の居場所などはごまかしづらいから、大きな合戦の前には敵上空をひとっ飛びさせておくのが定石となっているのだが……。
「申し訳ありません。敵軍は翼竜と鳥人を組み合わせた効果的な飛行部隊を整備しておりまして。我が方の翼竜隊は、自軍の防空だけで精一杯となっております」
悔しそうな表情で弁明する飛行兵。私は小さくうなり、内心ため息をついた。さすがはアルベール軍、そう簡単には尻尾を掴ませてはくれないようだ。
「なに、諸君らは少ない人員でよくやってくれているさ。ご苦労、君は下がって休むといい。従兵に秘蔵のワインを届けさせておくから、寝酒でも楽しむと言い」
そういって翼竜騎兵を退出させ、私は視線を指揮卓へと向けた。そこには、ガレア王国の中部から南部までの広大な面積をカバーした大きな地図が載せられている。
「おそらく、反乱軍は聖ドミニク街道のラインを主攻と定めているようだな」
南部から中部へとむかうルートはいくつかあるが、アルベール軍の位置と規模を考えれば彼女らの利用できる街道は二つだけだ。すなわち、ソラン山脈を貫通する聖ドミニク街道と、それを迂回する聖リュクエーヌ街道である。
敵がこの二つのルートのどちらを利用するかという問題は、ここしばらくの間の我々の頭痛の種となっていた。
聖ドミニク街道は最短で王都にたどり着けるが、堅牢な防御陣地が敷かれた山岳地帯を突破する必要がある。一方、聖リュクエーヌ街道は前者と比べると半月ほども余計な時間を浪費してしまう遠回りのルートだが、反面地形は平坦で強固な防御線もない。攻める側からみれば都合の良いルートだと言えた。
「どうでしょうか……この攻撃が陽動を目的としている可能性は十分にあります」
私の言葉を否定するのは、年かさの参謀長だった。彼女はわがガムラン家の家宰を務める家系の出身で、私とも子供の頃からの付き合いがある。長い付き合いだけに、その口調にはいささかの遠慮の色もない。
「聖リュクエーヌ街道方面でも、敵が目撃されています。軽騎兵が跋扈し、いくつかの村落が制圧されたという話もございますから……動きとしては、大規模攻勢の前触れのようにも見えますな」
参謀長の言うとおり、複数の方面で動いていることが確認されている。聖ドミニク・リュクエーヌ両街道以外にも、西部の海沿いの地域で例の丸十字紋の軍旗を掲げた軍団を見た、などという話も耳に入っていた。どうやら、敵は部隊を複数の集団に分けているようであった。
こうなると、どこの方面が本命なのかわからないので大変に困る。王軍の兵力がもっと豊富であれば、こちらも分散して対応することができるのだが。しかし、残念ながらそんな贅沢なことは言っていられない。諸侯軍は日和見ばかりで参陣に応じもしないし、王軍は王軍で急速に過ぎる軍制改革からの即開戦即連戦で疲れ切っているからだ。本当に何でこのタイミングで開戦したんだあのクソボケ王子は。肥だめに蹴り込んでやろうか。
「聖リュクエーヌ方面の敵は騎兵が中心だ。しかし、聖ドミニク方面では砲兵が行動している。騎兵と砲兵、身軽なのはどちらだね」
「騎兵にございます」
「そういうことだ」
騎兵であれば、いざという時には即座に撤退して本隊との合流を図ることができる。しかし、重量物を運ばねばならない砲兵はこうはいかない。つまり、砲兵のいる方の戦域が本命攻撃とみて間違いないだろう。
そもそも、相手はあのブロンダン卿の薫陶を受けた軍隊だ。騎兵と砲兵のどちらを重視しているかなど、考えるまでもない。そういう意味でも、敵の本命がどちらの方面であるかははっきりしている。
「敵の狙いは、陽動によって我々を聖リュクエーヌ街道方面に誘因すること。それによって生まれた隙を利用し、一気にソラン砦を抜いて王都を直撃することにあると思われる。よって、我々ガムラン軍はソラン砦を救援し、敵の突破を防ぐことに集中する。わかったな?」
「御意……」
恭しく頷く参謀長。もちろん、余計な反論などはしてこない。先ほどの具申も、別に本気で翻意を促そうとしたわけではなく、私の思考を促すためにあえて反対意見をぶつけてみた程度のことなのであろう。そういう意味では、彼女はたいへんに気の利いた参謀だった。
「しかし、敵は連戦連勝でよほどの増長満に陥っているようですな。最短経路だからと、わざわざ一番防備の厚いルートを通るとは」
しかし、いささか頭が固いのがこの参謀長の欠点だ。続く彼女の言葉に、私は密かにため息をついた。経験に裏打ちされた自信は、増長とは呼ばない。敵将ソニア・スオラハティには、迅速にソラン砦を抜くための策があるに違いないのだ。敵が自信過剰に陥って失策を犯したなどという希望的観測にすがるべきではない。
「……どうだろう。ソラン砦には、取り得る限り最善の防衛策を授けたつもりではあるが。しかし、だからといって油断はできん」
「将軍?」
参謀長白いものが混じった眉が跳ね上がった。ああ、彼女もすっかり老いたな。まあ、わたしも彼女とは十歳しか違わないのだが。はたして、私と彼女は新しい時代のいくさについて行けるのだろうか? 正直、あまり自信はなかった。
「万が一、ということもある。我々の救援が到着する前に砦が陥落した場合に備えた策も立てておこう」
その言葉に参謀長は嫌そうな顔をしたが、こればかりは譲れない。戦争というやつは、どれだけしっかり備えをしておいたかに勝敗がかかっているのだ。いくら望まぬ戦争であっても、負けるよりは勝つ方が遙かに良い。できることはしておくべきだし、それが杞憂で終われば笑ってごまかせば良いのだ。




