第613話 盗撮魔副官と山間の砦
その翌日。北へ進軍していた我々の前に、山岳地帯が立ちふさがった。山といっても、リースベン北部の山脈と違って緑は少ない。生えている植物といえば背の低い灌木とちょっとした下草くらいで、岩肌の露出している箇所の方がおおいくらいだった。
この山々こそ、大陸の南部と中部を隔てる要害のひとつソラン山地である。ソラン山地を縦断する聖ドミニク街道は王都へむかう最短経路であり、突破の意義は大いにある。
しかしもちろんそんなことは敵も承知の上であり、街道上には古い時代から整備された歴史ある砦が鎮座している。むろん砲兵さえいればそんなものは怖くないのだが、問題は地形と新たに増設された王軍の塹壕陣地にあった。
「このソラン山地の突破に成功すれば、ガレア独立戦争以来の大偉業になる! 歴史に己の名を刻むことができるんlだ、奮起せよ!」
などと激をとばしてみるものの、やはり山道の進軍は骨が折れる。さらには時折敵山岳猟兵などがやってきて進軍中の隊列のわき腹を突いてきたりするのだから厄介極まりない。
普段であれば一日で踏破できる距離に三日もかけ、我々はやっとのもとで敵陣地の目前へと到着した。
「なるほど、これはなかなか手強そうだ」
双眼鏡を覗きながら、わたしは小さくつぶやいた。今、わたしは岩山に身を隠しつつ敵防衛線の最前列を視察している。事前の報告通り、そこには塹壕と鉄条網からなる厳重な防御設備が構築されていた。
視線を西(アルベール軍本陣から見て左手)に向けると、そこには小さな川が見えた。水量はすくないが、渡るにはそれなりの時間と手間がかかるくらいの川幅がある。そしてその川の向こうには、今我々が潜んでいるのとまったく同じような岩山の峰が連なっていた。この街道は谷を切り開いて作られたものなのである。
つまり、典型的な守るに堅く攻めるに難い土地だと言うことだ。にわか作りの防備でも難儀しそうな状況だというのに、ここあるのはわたしの目から見ても立派な塹壕線なのだ。まともに戦えば苦戦は避けられないように思えた。
「話通り、後ろには砲兵どもが陣地を作っちょっようじゃな。しかも、そん配置もなかなかに的確にごつ。正面から兵を近づくれば十字砲火を食ろうて大損害を受くっじゃろうな」
そんなことを言うのは完全武装のエルフ兵を引き連れたフェザリアだ。彼女もまた、わたしと同じデザインの双眼鏡を目に当てつつ前線の様子を観察している。この双眼鏡は新開発のもので、従来の単眼式望遠鏡よりも遙かに距離感が掴みやすい代物だった。
「しかし、ここまで来て兵を引くわけにもいかん。なんとか、最低限の損害でここを抜かねば」
敵の野戦軍は、すでに王都パレア市から出陣しているのである。ゆっくりしていたら、彼女らが前線に到着してしまう。これはいかにもまずい展開だった。
「こげん山ん中で大軍同士が対峙すっような状況は、どうにも面白くなか。相手が小勢のうちにチェストしちょくべきじゃ」
フェザリアの指摘はもっともであった。このあたりの地域で、まともに軍隊が通行可能なのはここの街道の上だけだ。そのほかの場所は、我々が身を隠しているようなゴツゴツした岩山ばかりなのである。
むろん山といっても断崖絶壁というわけではないのだから、山登りになれた者に十分な装備を与えておけばなんとか突破自体は可能だろう。とはいえ、軍勢の人数が千とか万とかいう数になると話は変わってくる。そもそも、糧秣輸送のための荷馬車が通れないような場所に兵士を突っ込ませること自体がとんでもない悪手なのである。
「その通りだ」
彼女の言葉には同意しかないが、だからといって強引な攻めは禁物である。わたしは頭の中で作戦の再確認をした。
わが軍の先鋒を務めるのは、ジルベルト率いるライフル兵大隊。これはリースベン軍における最精鋭部隊であり、さらに今回はそれに加えて司令部直轄の砲兵中隊まで貸し与えてあった。まさに、初手で奥義を仕掛けるような布陣である。
もちろん、その後方にはアルベール軍に参陣した諸侯の兵が一万以上控えている。対して、ソラン砦の守備兵はせいぜい一個連隊、兵力にして千数百名といったところだろう。これが一般的な平野部における野戦であれば、鼻歌交じりに叩き潰せる程度の戦力差だった。
しかし、戦場が山岳地帯で、しかも敵方が分厚い塹壕線を用意しているとなると話は変わってくる。むろん塹壕を味方兵の屍で埋めるような戦法を用いれば十分に突破はできるだろうが、そんなことをすれば敵軍の主力と戦う前にこちらが力尽きてしまう。ただでさえ、アルベール軍は王軍に対して兵力で劣っているのだ。損害は最小限に抑える必要がある。
「……」
頭の中でため息をつきつつ、わたしは視線を味方陣地へとむけた。そこでは、大勢の兵士たちが穴掘り作業をしている。最精鋭部隊にこんなことをやらせるのはなんとも納得のいかない気分なのだが、塹壕には塹壕で対抗するほかないのだから仕方ない。
確かにジルベルト大隊はわが軍最強の戦力の一つなのだが、どれほど鋭い槍でも鉄塊を刺突すれば穂先は折れるか潰れるかしてしまう。塹壕を肉弾戦で突破するのはそれと同じくらい無謀な行いなのだ。とにかく穴を掘り、身を守りながら前進するほかない。
「敵砲兵陣地、射撃を開始しました」
見張り兵の報告から一瞬遅れ、北の方から遠雷めいた砲声が聞こえてくる。穴掘りを続けるわが軍の兵士に向け、一斉に砲弾が降り注いだ。爆発が連続し、街道上は土煙に包まれる。
「この距離で砲弾が届くのか。敵軍の主力砲は、こちらの山砲よりも射程が長いようだな」
敵方の砲兵陣地からこちらの前衛部隊まで距離は、まだ三○○○メートルは離れているように見える。こちらの主力、八四ミリ山砲では砲弾が届かない距離だ。
もちろん、遠距離砲撃だけにその精度は荒い。土煙が晴れてみれば、クレーターめいた着弾跡はバラバラに離れており掘削中の塹壕に直撃したものは一発もない。とはいえ、砲弾が自分の方にむけて飛んできているのに作業を続けられる兵士などはまずいない。皆穴の中で伏せてしまっているから、作業の手は完全に停止してしまっていた。
「王軍は、こちらの山砲よりも砲身の長い長八四ミリ野砲を大量配備しつつあるという情報があります。最大射程に関しては、敵軍の方が優位であると思われます」
参謀の一人が分析を口にした。それを聞き、わたしは密かに歯噛みする。わが軍が射程負けするなどという事態はまったく初めての経験だった。やはり、王軍を今までの敵と同じように考えるのは危険であるようだ。
「ジルベルトに重砲で打ち返すように伝えろ。対砲兵射撃だ!」
しかし、こちらも負けてはいられない。たしかに、主力砲の基本性能に関して言えば向こうの方が上だろう。しかし、こちらに配備されている大砲は山砲だけではない。
「はっ!」
通信兵が元気よく応え、野戦電信機を打鍵しはじめる。通信兵らが背負ったドラム式リールから伸びる通信線は後方の作戦本部につながっており、そこから中継されて前線のジルベルトにまで通じている。この機材のおかげで、わたしは前線から遠く離れた山中からでも迅速に命令を出すことができるようになっていた。
数分して、味方陣地のほうから重々しい砲声が響く。口径八四ミリの豆鉄砲とは明らかに違う、かなりの重低音だ。続いて敵陣から上がった火柱も、さきほど我々が受けた砲撃の比ではない。
これこそ、わたしがジルベルトに貸し与えた司令部直轄砲兵の力であった。彼女らが扱う大砲は、口径一二○ミリの重野戦砲。ミュリン戦でも活躍した、あの大火力兵器なのだ。これならば、長八四ミリ砲の射程外からでも攻撃を仕掛けることができる。
おまけに、敵軍は先ほどの射撃で砲兵陣地の位置を暴露してしまっている。この情報を無駄にするジルベルトではなく、砲撃は前回の射撃で白煙を上げていた地点に集中していた。
「さて、問題はここからだ……」
いかに重砲とはいえ、一撃で敵砲兵陣地を殲滅するのは不可能だ。地道に砲撃戦を続け、ひとつひとつ地道に敵の火点を潰していくのが塹壕戦の常道だった。
しかし、重砲は強力だが数が少ない。遠距離戦をいくら続けたところで決着はつかないだろう。これは、あくまで敵の砲撃を妨害するための擾乱攻撃。相手方の砲兵が慌てて伏せているうちに、こちらの歩兵は穴掘り作業を再開して少しでも敵陣への距離を詰めるという寸法だ。ある程度こちらの塹壕が伸びれば、そこに軽砲を据え付けて火点を増やすことができるのである。
ようするに、とんでもなく気長な戦場になるということだ。そんなことに付き合っている余裕は今の我々にはない。塹壕戦に応じるような動きを見せているのは、あくまでブラフであった。
「フェザリア、よろしく頼むぞ」
「ん、任しちょけ」
ニヤリと笑って応じたフェザリアは、部下のエルフ兵を伴い岩山の中へと消えていった。彼女らは皆山岳迷彩色のポンチョを羽織っているから、少し離れるだけで岩肌と判別をつけるのが困難になる。
彼女らの役割は、街道を迂回して山岳から敵の側面を突くことにあった。確かにこの山岳地帯は軍隊の通行には適さない。しかし、少人数グループによる遊撃戦を行うくらいならば可能だろう。むろんその程度の部隊で望める戦果などは限られているが、そこは任務を攪乱と偵察、そして敵方の迂回攻撃の阻止に限定することで対応する予定だ。
幸いにも、わが軍にはこの手の遊撃戦に向いたエルフ兵が大勢参加している。これを活用しない手はないということで、フェザリアには山岳遊撃戦の指揮を命じているのである。
「……極星よ。我と彼女らを導き給え」
内心の不安が、口から少しだけ漏れた。数日以内にここを突破できないと、いささかやっかいなことになるアル様を早く救い出すためにも、このような前哨戦などはさっさと済ませてしまいたいのだが……。
……アル様がいない以上、すべての決断と責任はわたし自身がとるほかない。正直言って、かなり怖かった。うまくいくだろうか、損害はどれくらい出るのだろうか。そんな考えが頭の片隅にこびりついて消えない。しかし、臆するわけにはいかない。わたしは気合いを入れ直し、踵をかえした。
「敵情把握はこれくらいで十分だろう。いったん、指揮本部に戻るぞ」
「はっ!」




