第610話 くっころ男騎士と近衛騎士団長暗殺事件
近衛騎士団長殿が、亡くなった。その報告は、部屋に満ちていたのどかな雰囲気を吹き飛ばすには十分すぎる威力を持っていた。ダライヤの目がすっと細くなり、見習い君が言葉を失う。
一方、報告を持ってきてくれたほうの近衛殿も、平常とは言いがたい様子だった。顔色は明らかに悪く、唇の端がかすかに震えている。僕の記憶が確かならば、彼女は血煙の舞う戦場においても笑顔を絶やさぬだけの胆力のある人物だったはずだ。それがこれほど取り乱しているというあたりが、事態の異様さを物語っている。
「……暗殺、ですか」
「おそらくは」
鉛の塊を飲み込むような声でそう答え、近衛殿は重々しくうなずいた。ああ、やはりか。僕は渋い顔を隠しもせずにうなり、そして立ち尽くす彼女に無言で椅子に座るよう促した。見習い君が僕と彼女を交互に見てあわあわと言葉にならない声を漏らしているが、あえて無視する。
ひとまず、ティーポットに残っていた冷めた香草茶を予備のカップに注ぎ、彼女に勧める。よろしくない状況だからこそ、まずは落ち着きを取り戻すのが第一だ。冷静さを欠いて得をする場合などまず存在しない。
「ありがとうございます」
近衛殿も素人ではない。言いたいことをこらえるような表情になった彼女は、一気にカップの中身を飲み干しふぅと声を上げた。
「バ、バルリエ隊長、いったいどういうことなんですか? 暗殺って、そんな……」
震える声で、見習い君が近衛殿を問い詰める。……そういえば、今更ながら彼女の名前を聞くのは初めてだな。隊長職だったのか……。
「落ち着きなさい」
そんな見習い君をゲンコツで軽く小突いてから、近衛殿改めバルリエ隊長は大きく深呼吸した。自分より動揺しているものが近くにいると、人間かえって落ち着くものだ。すこしばかり冷静さを取り戻したのか、隊長は無言でお茶のお代わりを要求してきた。それに応えてやると、彼女は無言で茶を一口飲む。
「まずは、順を追ってご説明いたしますわ。今朝早く、城下の用水路で団長のご遺体が発見されました。死因は溺死ということです」
「……」
用水路というと、王都の各所に張り巡らされている水道がわりの小川のことか。意外と深くて流れが速いから、酔っ払いなどが転落して溺死する事故も時折発生していた記憶がある。
「調査に当たった衛兵隊は、これを事故だと断定いたしました。泥酔して足を滑らせたのではないか、なんてふざけ腐ったことを言ってね……!」
その言葉と同時に、何かが割れるかすかな音が響いた。みれば、バルリエ隊長の手元のカップの持ち手が砕けている。彼女の手は怒りに震えていた。
「団長はビール一杯でべろべろに酔うほどの下戸ですのよ! 敵の軍勢が王都に迫りつつあるような状況で、酒精を口にするはずがありませんわ!」
いよいよ我慢がならなくなったのか、バルリエ隊長は拳を握ってテーブルを殴りつけた。暴力的なガチャンという音が部屋の中に響き渡り、見習い君が肩をふるわせる。
「事故、事故と断定したのか、衛兵隊は……」
「こいつはずいぶんときな臭いのぉ」
一方、僕とロリババアはそろって眉をひそめる。バルリエ氏の指摘するように、今の王都は戦時下になりつつあるのだ。そのような状況で王室守護の責任者が死亡したというのに、短時間のうちに事故だと断定されるのはさすがに違和感がある。普通ならば、宰相派……いや、アルベール軍による暗殺を疑うのではないだろうか?
「鼻薬を嗅がされているか、あるいはそもそも抱き込まれておるのか。さあてどっちかのぉ」
肩をすくめながらそんなことを言うダライヤに、僕は表情の引きつりを押さえられなかった。状況証拠的には、まず間違いなく団長殿の死の責任は僕にあるように思われたからだ。
先日、僕は団長殿にフィオレンツァ司教の周辺を調査するよう依頼していた。フランセット殿下の身辺で暗躍しているらしい翼人族が、司教ではないかと疑ったからだ。……そして、その結果がこの暗殺である。これはもはや、答え合わせに等しい。最悪のジャックポットだ。
「……どうやら、僕は団長殿を首を突っ込ませてはならない案件に巻き込んでしまったらしい。本当に申し訳ない、軽率にもほどがあった」
「黙らっしゃい!!」
こうなってしまった以上、僕は近衛騎士団にはどれだけ詫びても詫びたりぬ。そう思って頭を下げたとたん、バルリエ隊長はいきなりキレた。ガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、僕の胸ぐらをつかんだ。
「人が不当に殺されたのなら、それは殺した側に十割責任があるに決まってますのよ!! ブロンダン卿ともあろうお方が、無意味に頭を下げてはなりませんわ!! あなた背負う責任はそれほど軽いものではなくってよ!!」
「アッハイ」
ガクガクと揺さぶられながらそんなことを言われれば、僕としては頷くほかなかった。そこへ見習い君が泡を食って立ち上がり、バルリエ隊長にすがりつく。
「や、やめてください、バリルエ隊長! 相手は男性ですよ!」
「……失礼、わたくしとしたことが取り乱しましたわ」
なんともいえない表情でで首を左右に振ってから、バルリエ氏は僕の胸ぐらから手を離した。ロリババアがニヤニヤしつつ脇腹をつついてくる。いい気味だと言わんばかりの表情だった。腹の立つババアだな……。
「とにもかくにも、やられたからにはやり返さなくては。下手人が誰であれ、この報復は確実にいたしますわよ」
拳を握りしめつつ、バルリエ隊長は底冷えのする声でそう宣言した。喉奥からこみ上げてくる苦々しいものをこらえつつ、僕は口を開く。
「問題は、その黒幕が誰かという部分だけれども。……現状、一番怪しいのはやはりフィオレンツァ司教だろうか」
「ですわね」
バルリエ隊長の返答は端的だった。ロリババアもまた、その言葉を否定することなく何度も頷いている。ああ、クソッタレ。客観的に考えれば、やっぱりそうなるよなぁ。
もちろん偶然とか、フィオが何者かに濡れ衣を着せられようとしているとか、そういう可能性もあるけれども。しかし、状況証拠だけみれば一番クロに近い場所にいるのは間違いなく僕の幼なじみなのである。希望的観測にすがり、目が曇るようなことはあってはならない……。
「探られても痛くない腹であれば、暗殺などと言う手は使わん。そうじゃろ、アルベール」
「念押ししなくてもわかってるよ……」
情で判断を誤ってはならない。僕だって軍人なのだから、言われなくともそんなことはわかっている。内心ため息をつきながら、僕はカップに残った香草茶を飲み干した。
「まさか、ここまでやられて引っ込む訳にもいかない。それに、この国は明らかにまずい方向に進んでいる。このまま放置していれば、状況は悪化するばかりだろう。……破局だけは、防がねば」
僕の言葉に、バルリエ隊長は当然だと言わんばかりの表情で頷いた。卑劣極まりない暗殺事件を受けて、かえって闘志が燃え上がっている様子である。四面楚歌めいた状況ではあるが、彼女のような人物の助力を受けられるのであれば心強い限りだ。
……それは、良いのだが。問題はフィオレンツァ司教の方だ。一連の事件の黒幕が本当に彼女なのであれば、僕はそれを除かねばならない。それが軍人の義務だからだ。
しかし……聖人とまでよばれた彼女が、いったいなぜそのような悪徳に手を染めるようなまねをしているのだろうか? それだけがまったくわからない。少なくとも、金銭欲や権勢欲のためではないとは思うのだが……。




