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第609話 くっころ男騎士と急報

 僕が王城に収監されて、かなりの期間が経過した。状況の変化はほとんどなく、相も変わらぬヌルい日常が続いている。寝たいだけ寝て、暇になったら見張りを呼び出してゲームにつき合わせたり散歩に連れて行ってもらったり。憂鬱な仕事と言えば時折やってくるフランセット殿下など(たまにマリッタがやってくることもあった)の相手くらいで、休暇としてはなかなかに贅沢な日々であった。

 とはいえ、もちろん不満がないわけではない。どうにもフランセット殿下は僕のことを一般的な貴族のご令息のように扱っているらしく、与えられる娯楽もそちら方面のものが中心となってしまっていた。一度バラ園などに連れていかれたときは、退屈すぎてどうにかなってしまいそうになってしまった。どうせなら、練兵所などに行ったほうがよほど楽しめるのだが……。

 いや、それだけではない。近頃、僕には新しい日課が与えられていた。王家直属の男中(メイド)長(この世界においては当然ながら男性の仕事である)による礼儀作法の講習である。これがなかなかに厄介で、家庭教師役の老男中(メイド)は匙の上げ下げに対してすら物言いをつけてくる。ブートキャンプの鬼軍曹並みの厳しさだった。

 まあ、こればかりは僕の方にも問題がある。なにしろ僕の母は礼儀作法などまったく気にするような人ではなかったし、その後に僕の面倒を見るようになったスオラハティ辺境伯……カステヘルミの教育も、どちらかといえば軍人(つまりは女性貴族)としての立ち振る舞いについてのものが中心だった。そういうわけだから、今更男性らしい作法などを教えられても正直困ってしまうのである。


「なんだかなぁ……」


 老男中(メイド)によるたいへんに厳しいブートキャンプを終え、僕は今日も今日とて疲労困憊になっていた。前世と現世の二回にわたって新兵教育を潜り抜けてきた僕ですらこうなるのだから、あの男中(メイド)のシゴきは尋常なものではない。彼が地球に転生したら、きっと良い訓練教官になれるに違いない。


「ぬっふっふっふっふ、まあ良い機会だと思うことじゃのぅ。たしかに、オヌシの立ち振る舞いには男子(おのこ)としてどうかと思うような部分が多々あるからのぉ」


 そんなことを言うのは、もちろん性格最悪のクソババアである。収監当時は怪しまれることを避けるために接触を最低限に抑えていた僕とダライヤだったが、この頃はすっかりそんな決め事など無かったことになっている。なにしろ暇ばかり多い軟禁生活だから、どうしても雑談相手が欲しくなってしまうのである。


「ワイルドな男性も、それはそれでいいと思うんですがねぇ」


 雑談相手その二である新人近衛騎士くんが、僕の方をチラチラと見つつ唇を尖らせた。毎日のように顔を合わせる彼女とはもうすっかり打ち解けており、今では見張りと囚人というよりは友達同士のような関係になっている。まあ、そういう風になるよう僕が誘導したわけだが。


「いまさらおしとやかに振舞えと言われても、ねぇ?」


 などとボヤきつつ、僕は椅子にドッカと腰を下ろした。間違いなく、この場にくだんの老男中(メイド)がいたら厳しい叱責が飛んでいることだろう。まあ、この部屋に彼の目はないのだから別に良いのだが。

 ため息を吐きつつ、部屋の中を見回す。収監された当初は落ち着かないこと甚だしかったこの豪華絢爛な寝室も、今となっては自宅の私室のように馴染んでしまっていた。窓から差し込む陽光は夏特有のギラつきが次第に薄れ、秋のものへと変わりつつある。つまり、絶好の昼寝日和ということだ。

 ああ、なんという穏やかな景色だろうか。しかし、ひとたび目を閉じれば僕の瞼の裏にはあの地獄のような戦場の光景が浮かび上がってくるのである。温度差がひどすぎて精神が毛羽立ちそうになるので、正直しんどい。忙しく働いている分には、意識しなくて済むんだけどなぁ。勘弁してくれよって感じだ。

 つまり何が言いたいかといえば、僕はこの世界に生まれ落ちた時点で"一般的な貴族令息の生活"とやらには適合しないタイプの人類だったということだ。今更の行儀教育などまったくの無意味なので直ちに中止していただきたい。


「まあまあ、そうおっしゃらずに。宮廷においては、礼儀作法は身を守る鎧のようなものですから。覚えておいて損はないのは確かですよ」


「ですか」


「ですよ」


 そんな益体のない会話を交わしつつ、我々は香草茶で一息つく。これが、この頃の僕たちの日常であった。変化のない、穏やかなだけの日々である。こんな生活が、もう一か月以上も続いていた。


「そういえば、ガムラン将軍が反乱軍を迎撃すべくご出陣されたとか。とうとう、本格的ないくさが始まりつつあるようですね」


 しかし、変化がないのは僕の身辺だけの話であった。情勢は、こうしている間にも刻一刻と変化しつつある。本来、軟禁状態にある僕はそのような情報にアクセスするのも一苦労であるはずなのだが……

 近衛騎士団とパイプができたことにより、そのあたりの問題はおおむね解決した。まあ、もちろん機密情報をペラペラしゃべってくれるわけではないが、公開情報からでもある程度のことは推察できるからな。まったく情報が遮断されているよりはよほどましだろう。


「ガムラン将軍か……なかなか、手ごわそうな御仁だったが」


 ガムラン将軍と言えば、レーヌ市攻城戦において王軍の指揮を執った人物だ。一見冴えない中年武人のような風体の人物だが、厄介な水城を短時間で落とした手腕から見てその指揮能力は極めて高いものと思われる。なかなかに厄介な相手だ。


「しかし、とうとうアルベール軍が王軍と直接対峙することになったか。参ったことになったのぉ」


 顎を撫でながらうなるロリババア。ソニアらが宰相派貴族や一部の帝国諸侯などを率い、アルベール軍を名乗って挙兵した一件は僕も聞き及んでいる。その名前はなんとかならなかったのかと思わなくもないが、まあ今はそんなことはどうでもいいだろう。

 問題は、ガムラン将軍の出陣理由が"討伐"ではなく"迎撃"であるという点だ。つまり、アルベール軍はこちらに向けて進撃しているわけである。まあ、普通に考えれば当然の判断だ。南部に引きこもっていたところで、こちらの戦略目標は達成できない。僕がソニアの立場でも、同様の判断を下すのは間違いなかった。

 とはいえ、やはり……生まれ故郷である王都に戦火が迫りつつあるというのは、まったくもっていい気分じゃないな。歴史にもしもはないが、それでも『こんな事態になる前になんとかする方法があったのではないか』などと考えてしまう。はあ、まったく……ヤンナルネ。


「もはや武力衝突は不可避の状態になったわけだが、ガレア宮廷のほうはどうなってるんだろうか。まさか、皆が皆もろ手を上げて戦争に賛成しているとは思えないが」


 騎士どののほうをチラリと見つつ、聞いてみる。彼女は新米だが、いちおう近衛騎士団の一員だ。宮廷の情勢についてまったく無知というわけでもあるまい。騎士団の上の方から何かしら耳打ちされていることもあるだろうしな。


「もちろん、渋い顔をされていらっしゃる方も多いようですがね。しかし、表立ってフランセット殿下に反対される方はいないようです。これは、もともとは宰相派に属しておられた法衣貴族の方ですら例外ではありません」


 難しい表情をしつつ、騎士どのは続けた。


「団長は、この沈黙はどうにも不自然だと仰っていました。言い方は悪いですが、なんだか弱みでも握られているような……そういう雰囲気だとか」


「ううーん」


 そいつはずいぶんときな臭いねぇ。いくらフランセット殿下が情報畑の出身とはいえ、それほど大人数の弱みを一度に握ることが出来るものだろうか? なんだか、どうにも違和感があるな……。


「気になる点は大いにあるが、宮廷の裏で何が動いておるかなど、ワシらの立場では首を突っ込むことすらままならぬからのぉ。アルベール、ここは焦らずデュラン団長殿の調査結果を待つべき盤面じゃぞ」


 そう語るダライヤの目には、軽挙妄動を戒める色が浮かんでいた。内心を見透かされたような気分になって、僕は唇を尖らせた。


「分かってるって。さすがの僕も、こういう時くらいは大人しく……」


 その瞬間である。突然、部屋のドアが極めて乱暴に開いた。そして、何者かがノックもなしに部屋の中へドタドタと入ってくる。

 すわ襲撃かと腰に手をやるが(今の僕は帯剣していないのだが、こればかりは完全な癖である)、よくよく見れば闖入者の正体は見覚えのある人物だった。近衛の、あの特徴的な言葉遣いをした騎士どのだ。


「大変ですわ!!」


 彼女はひどく真っ青な顔で、開口一番にそう叫ぶ。鉄火場ですら笑顔を絶やさなかった彼女が、これほどまでに動揺している? こりゃあ、尋常ではない雰囲気だぞ。


「団長が、団長が亡くなられました……!」


「…………は?」


 その言葉に、僕は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。


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