第607話 アルベール軍の進撃
ひとまずの方針が決まった我々は、王都に向けて進撃を開始した。とはいえもちろん、三万の兵力すべてを一塊にして動かしたわけではない。大軍は合戦の際には有利なのだが、進軍する時にはその人数そのものが機動の足を引っ張るのである。簡単に言えば、一人旅と大勢での旅では同じ時間をかけても進める距離がまったく違うのと同じ理屈だ。
そういうわけで、わたしはアルベール軍の部隊を分散して運用することにした。わたしの指揮するリースベン師団、ジェルマン殿が指揮するジェルマン師団、そしてツェツィーリアの指揮するエムズハーフェン旅団の三つの部隊が、それぞれ別のルートを通って王都を目指すのである。
ただでさえ少ない兵力を分散するのは危険だが、そこは運用でカバーする。三つの部隊は常に緊密な連絡を維持し、いざ敵が現れれば即座に集結してこれに対処する予定だった。用兵の世界ではこれを分進合撃という。いままでこの戦術は連絡手段の不備などから絵にかいた餅だとされていたが、鳥人の協力や野戦電信技術の発達などがこの画餅を実用のものに押し上げた。
「一分一秒でも早くアル様をお救いせよ!」
これを合言葉に、我々は急ぎ北上した。むろん王軍もそれを阻止しようと部隊をくりだしてきたが、そんなものは問題にはならなかった。なにしろ、王軍の主力はまだ王都周辺にいるのである。使える戦力は軍役を発布して招集した諸侯軍であり、この連中はいまだ槍とクロスボウを主力兵器としている。足止め程度の作戦でも、実現するにはよほどの大兵力が必要だった。
同様の理由で、領地を進軍ルートに使われてしまった諸侯なども大した障害にはならない。たいていの領主は、大砲を用いて威嚇射撃を城門に一発二発撃ちこんでやれば即座に屈服して通行権を手渡すものばかりだった。自らと所領を犠牲にしてまで王家に忠を尽くそうなどという領主貴族は、めったにいないのである。
「雑魚にはかまうな! 連中が戦力をチンタラ集結させているうちに、その横をさっと通り抜けてしまうのだ!」
分進合撃戦術の身軽さを生かし、我々は徹底的に交戦を避けた。そもそも、立ちふさがる障害をすべて直接排除していたら、王都にたどり着くころにはすべての弾薬を撃ち尽くしてしまっているに違いない。糧秣は現地調達できるが、弾薬は後方から運び込むしかないのである。補給線の長さを思えば、無駄遣いしている余裕などまったくなかった。
「敵の弱点は兵站だ! 徹底して補給線をたたけ!」
もっとも、すべてがうまくいっているわけではなかった。王軍は、身軽な軽騎兵部隊を用いてこちらの補給段列へ頻繁に襲撃をしかけてきた。もちろんこちらも騎兵を繰り出して反撃するわけだが、日に日に伸びていく補給線のすべてをカバーすることなどとても不可能だった。自然、予定していた物資が届かないなどということも日常茶飯事になってくる。
「足りない分は現地調達に頼るほかありませんが……兵を物資の徴発に向かわせると、そのぶん進軍に回せる時間が少なくなります。正直、なかなかに頭の痛い問題ですね……」
一日の終わりに開かれる定例の報告会で、渋い顔をしたジルベルトがそう言った。長征に物資の不足はつきものだが、それに急進撃という要素も加われば事態はますます厄介になってくる。
むろんこれらの問題は作戦の立案段階でも認識されていたが、いざそれが現実化してみるとその厄介さは検討段階の比ではない。やはり、机上で立てた論理などしょせんは空論に過ぎないのだった。
「矢玉を温存すったぁ良かが、じゃっどん食料を軽視して良かちゅう話はなか。腹を空かせた兵ほど弱かもんななかでな。こん問題は早急に解決すべきじゃろ」
腕組みをしたフェザリアが指摘してくるが、そんなことは言われなくてもわかっている。しかし、そもそも無い袖は振れないのである。わたしは心の中でため息を吐き、卓上に置かれたランプの炎をにらみつけた。
時刻はすでに夜、夕餉も終わり就寝ラッパが鳴るのを待つばかりの頃合いだ。天幕の外には、我々の心中とは正反対の雲一つない美しい星空が広がっている。まったく、腹立たしい限りだ。……晴れていることにすら苛立つとは。わたしも随分と追い詰められているな。もう一度ひそかにため息を吐き、視線をフェザリアの方へ戻す。
「では、フェザリアはそろそろいったん進撃を停止すべきと言いたいわけか」
「おう」
理性と狂気が共存した複雑な目つきで、エルフの皇女はわたしを見返してきた。エルフの戦士は一見、猪突猛進しかできない猪武者に見える。しかし実のところ、彼女らは(いくさ事に関しては)たいへんに頭の回る連中なのである。その見識には十分に耳を傾ける価値があった。
「とへってん、腰を落ち着けて略奪に精を出すち言おごたっどけじゃなか。そげんこっをしてん、時間を浪費すっばっかいじゃ。物資も時間も無駄遣いをしちょっ余裕はなか……」
そういって、彼女は円卓の中心に置かれたガレア王国中部の地図の一点を指さした。そこには、川と山岳地帯に挟まれた狭隘な地形があった。
「予定では、こん地点は迂回すっことになっていたじゃろ。じゃっどん、俺が思うにここはあえて強行突破を図った方が良かじゃろ」
「この隘路を強行突破ですか!? 確かに距離的には近道ですが……」
話を聞いていたジルベルトが小さくうなった。このポイントは、いかにも防衛戦に向いた地形だ。王軍側もそれは理解しているだろうから、十分な兵力と物資を配置して攻撃に備えているに違いない。
そんなポイントを無理やりに突破を図ろうと思えば、手痛い反撃を食らってむしろ進軍は停滞するだろう。だからこそ、事前の作戦ではあえて遠回りすることでここを無視する計画になっているのである。
「近道んためにこん道を通っわけじゃなかど。むしろ、幌馬車隊ん到着を待つためにあえてここで脚を止むっとじゃ」
ニヤリと笑い、フェザリアは居並ぶ者たちを見回した。
「隘路に大軍を送り込んたぁ得策じゃなか。ここん突破戦は、おいらん軍だけでなんとかなっじゃろ。そうしちょる間に、ジェルマンどんやカワウソ小娘に食料調達をさせっとじゃ」
「それなら、そこらへんの路上でいったん足を止めるほうがええんじゃないの? ただただんに食料を集めるだけならば、あえて危険な突破戦を仕掛ける必要はないと思うんじゃけぇのぉ。まさかたぁ思うが、暴れたい一心で適当なことを口走りよるんじゃないじゃなかろうな」
剣呑な口ぶりでそんなことを言うのはゼラだ。一応味方同士になった今も、エルフどもとアリンコどもの仲は険悪なままだ。長年の因縁がすぐに消えるわけもなく、こればかりは仕方のない話だろうが……正直、かなり困る。
「アリンコは頭が単純でいかん。そん策では、味方ん集めたぶんの食料しか手に入らんじゃろうが」
案の定、フェザリアから返ってきた声は剣呑なものだった。ゼラの眉が跳ね上がる。しかし売り言葉に買い言葉が飛び出すより早く、エルフの皇女は次の言葉を放つ。
「こげん時は、敵からも食料を奪い取っとが得策じゃ。一挙両得ちゅうヤツじゃ」
そこまで言われて、わたしはやっとフェザリアの意図に気づいた。くだんのポイントでは、王軍が遅滞作戦の準備を整えているものと思われる。そして遅滞作戦には、十分な量の食料は必須の存在だ。フェザリアは、それを奪い取ってこちらのものにしてやろうと考えているのだ。なるほど、エルフらしい発想である。
「ふむ……」
わたしは小さく声を出しながら、地図をゆっくりと眺めまわした。まずは例の隘路の周辺を確認し、それからゆっくりと視点を西に向ける。|隘路から数十キロほど離れた地点には、広大な海とそれに面した港町がいくつかあった。
「よろしい、その案を採用しよう。しかし、友軍には食料調達任務を任せるというのはナシだ」
徴発と言っても、実際のところそれは略奪と紙一重の行為だ。そんなヴァール軍めいた真似はやりたくないし、そもそも戦術的に見ても略奪は時間ばかりかかって得られる物資の少ない非効率的な行動である。ほかにももっと効率的なやり方があるのならば、そちらを優先するのは当然のことだった。
「いったん進軍を止めるというのなら、ついでに水運との接続もやっておこう。ジェルマン殿に港町をひとつ攻略してもらい、ノール辺境領の輸送船団と合流するのだ」
わたしはニヤリと笑い、目を付けた港湾都市の上にジェルマン師団を示すコマを置いた。




