第603話 くっころ男騎士と近衛騎士団(2)
王都郊外の駐屯地で僕を迎えた近衛騎士団長殿は、今回の会合の名目がたんなる建前でしかないことを承知していた。すでに終わった去年の内乱よりも、現在進行中である今年の内乱のほうが重大であるという団長殿の指摘は、まさに正論以外の何物でもなかった。
……いやしかし、なんでうちの国は二年連続で内乱が起きてるんだろうね? まったく、世も末って感じだ。まあ、去年はさておき今年の内乱に関しては我が国の次期元首であるフランセット殿下がわざと起こしたものではあるのだが。
「団長殿の仰られる通り、今はのんびりと過去の戦いを振り返っている場合ではありません。これから起こる惨禍を未然に防ぐことこそが、我々双方に課せられた使命でありましょう」
出鼻をくじかれた形になったが、まあこちらのほうがよほど話が早いのは事実である。あれこれ取り繕う苦労が省けたなと心の中で肩をすくめつつ、僕はそう発言した。
ロリババアの助力も受けられない今、僕は独力で彼女らと相対せねばならない。政治的な戦いは苦手だが、今はそんな情けないことを言っていられる場合ではないのである。とにかく、できることをやらねばならない。
「我々は同じ危機感を共有しているようですな。それが確認できただけでも、この場を設けた甲斐があったというものです」
団長殿はそう言って薄く笑い、しっかりとうなづいて見せた。なんとも頼りになる態度だが、だからといって気を許してはならない。良い指揮官というのは得てして演技が上手いものだからな。これらがすべて僕をハメるための芝居である……という可能性も、頭の隅には置いておくべきだろう。むろん、疑いすぎて疑心暗鬼に陥るのも考え物だが……。
「はっきり申しますが、此度のいくさは我々近衛から見ればいささか不本意なものなのです。むろん、王党派と宰相派の間に確執がなかったとは言いませんが。しかし、アデライド殿の排除をするためだけに国を割るというのはいささか物騒にすぎるかと」
「本当にはっきり申されましたね。大丈夫なのですか?」
団長殿の発言は、フランセット殿下に対する直球の批判に等しいものだった。王室の懐刀たる近衛の長の口からそんな言葉が飛び出すというのは、ちょっと意外なように思われる。
「宮廷雀どもに聞かれれば、まあ多少はまずいことになるかもしれませんが。しかし、ここは我ら近衛の庭ですので……」
「なるほど」
うなづいてから、香草茶を一口飲む。わざわざ郊外に呼び出したのは、腹を割って話すためか。確かに筋は通っているように思える。
「むろん、我らは王家の剣です。戦えと命じられれば、どのような相手とも剣を交える覚悟はできております。しかし……」
そこまで言って、団長殿は小さくため息を吐いた。そして、香草茶のカップを口に運び、瀟洒な所作でそれをソーサーに戻す。
「我らが忠誠を捧げているお方は、国王陛下でありますから。去年の内乱以降、陛下の体調は悪化の一途をたどり、この頃はお部屋から出ることもままならない状況にありますが……それでも、いまだ譲位はなされておりません」
僕の眉が無意識に跳ね上がった。陛下の体調の件は、初めて聞いた。おそらく情報統制がなされているのだろう。なるほど、近頃妙に陛下の動静が聞こえてこないと思っていたら、そういう事情があったとは。
「つまり、陛下も現状には苦々しい気持ちを抱いておいでだと」
「その通り」
厳かな表情でうなづく団長殿。ガレア王国の慣習では、このような状況では速やかに国王位を後継者に譲るのが一般的だった。にもかかわらず、譲位がなされていないというのは尋常な事態ではない。まさかあの陛下が私利私欲のために地位にしがみついているなどということはありえないだろうしな。
「正式な主君でもない相手に使嗾されて犬死するなんて勘弁ですわ~! 相手がもと戦友ならなおさらですわよ~!」
ブーイングめいた調子でお付きの騎士殿が文句を言った。……この人の口調、なんだかヴァルマに似てるな。そういやヴァルマの奴は今頃どうしているんだろう? 元神聖皇帝のアーちゃんを帝国領へ送り届けた後、連絡がつかなくなってるんだが……。
「……誤解を招きそうな言いぐさですが、この発言自体は我々の総意といって差し支えありません。とにかく、我々が目指しているのは事態を穏当に着地させることなのです」
「はい」
お付きを小突きながら言う団長殿。ふーむ……確かに、穏健派から見れば今の状況は頭を抱えたくなるような代物だろう。この主張が本音ならば、我々は協力しあえるのではなかろうか。
「そこで、まず宰相派の重鎮である貴殿に聞いておきたいことがあります」
重鎮、重鎮と来たか。たしかに、今の僕の立場を考えればその表現はまちがっていない。にもかかわらず強烈な違和感を覚えてしまうのが、僕からまだ下っ端根性が抜けきっていないせいなのだろう。さっさと意識を改めるべきなのだろうが、なかなかうまくいかないのである。
「お伺いしましょう」
「アデライド殿が謀反を企んでいたという話は、事実なのでしょうか」
「むろん、事実ではございません」
僕はバッサリと団長殿の質問を切り捨てた。しかし、当の団長殿は予想通りだと言わんばかりの表情で僕の発言の続きを促す。
「少なくとも自分の知る限り、王権を簒奪しようだなどという話が派閥内で出ていた記憶はございません。そもそも、我々は新兵器の設計図やそれに対応した新戦術の教本を王軍に提供しているのですよ? 王軍と事を構えるつもりならば、そのような真似は絶対にしないと思いますが」
「ええ、そうでしょうね」
端的な口調でそうつぶやいてから、団長殿は深々とため息を吐いた。
「そも、そのようなよこしまな計画があったのならば、去年の内乱の際に便乗して挙兵しているはずでしょう。それこそ、あの愚かなグーディメル侯爵のように……。ですが、アデライド殿はそうはしなかった。状況証拠だけ見れば、貴殿らは無実のように思われます」
「つまり、殿下は根も葉もないイチャモンをつけて宰相に殴り掛かったわけですの~? ヤッベーですわ~!」
「……」
団長殿が無言でうるさいお供を小突いた。……客観的に見れば、状況は彼女の言うとおりの構図に見える。実際、根拠のない言いがかりが開戦事由となった戦争は決して珍しくはないのである。
つまり、一番自然な推理はこうだ。殿下、あるいはその後ろに控えている黒幕は宰相派閥の伸張を苦々しく思っていた。そこで、アデライドに謀反の濡れ衣を着せて強制的に排除しようとした……。
うーん、合理的に考えればこういう形に落ち着くのだろうが、なんだか違和感があるな。これに近い感覚を、エルフ内戦でも味わった覚えがある。あの時は、相手が不合理な理屈で行動していたために僕の側は常に後手に回る羽目になった。完全に勘だが、今回も似たような状況になっている気がするな……。
「……殿下はそのような卑劣な真似をするようなお方ではありません」
僕は低い声でそう言った。いや、むろん本気でそんなことを思っているわけではない。きれいごとばかりで国がまとまるはずもない。フランセット殿下だって、必要とあらば汚れ仕事の一つや二つくらい命じるだろ。
「少なくとも、去年にお会いした際のフランセット殿下は、たいへんに聡明なお方でした。しかし、今の殿下のお目は、ハッキリ言って曇っておられるように見えるのです」
「……」
僕の指摘に、団長殿は難しい表情で黙り込んだ。今の殿下の態度には、外様である僕ですら違和感を覚えているのだ。まして、幼少期から彼女の身辺に侍っているであろう近衛たちが異常に気付かないはずもない。
「……ブロンダン卿の言うとおりです。今の殿下は、何かおかしい」
「率直にお聞きしますが、誰かが良からぬことを吹き込んでいるのでは? 近頃、妙なサマルカ商人が殿下のおそばをうろついているなどという噂も聞きますが」
「そこまでごぞんじでしたか。さすがですな」
苦笑交じりにため息を吐く団長殿。今回の会合は、みなため息ばかりついているような気がするな。まあ、議題が議題だから仕方ないかもしれない。
そこまで考えて、ふと僕の脳裏を過るものがあった。レーヌ市からの脱出の際に手を借りた、ラ・ルベール司祭の言葉だ。
僕の幼馴染の一人、聖人と名高いあのフィレオレンツァ司教が、王都で怪しげな動きを見せている……らしい。不思議なことに、僕が王都に戻ってきて以降もフィオレンツァ司教から接触を受けることは一度もなかった。普段の彼女であれば、いの一番に面会を求めてくるくらいはしそうなものなのだが……。
これが、保身のために僕との縁を断とうとしているだけならば、それはそれで別にかまわない。今更その程度で失望したり絶望したりするほど、僕はピュアではないのだ。
しかしこれが、殿下の身辺をうろついているというサマルカ星導国の商人の件と接続されると話は変わってくる。僕は喉奥に鉛の塊が詰まったような心地になりながら口を開いた。
「……これは、確証があっての言葉ではないのですが。くだんのサマルカ商人と、星導教のパレア教区長のフィオレンツァ司教……この二者には、何らかの接点があるやもしれません」
その言葉を言ったとたん、僕の心をすさまじい後悔の嵐が襲った。ああ、僕は幼馴染に対してなんてひどいことをしているのだ。証拠があるならまだしも、単なる勘程度の小さな疑念しかないというのに。
「フィオレンツァ司教!? いったい、どういうことなのです。彼女は、ブロンダン卿のご友人では……?」
これには、さしもの近衛団長殿もたまげたようだった。当然の反応だな。なにしろ、両者には出身地程度の共通点しかないんだ。この程度の証拠で犯人扱いしていたら、すさまじい量の冤罪が発生することは間違いない。
「ええ、フィオレンツァ司教とは子供の時分からの付き合いです。ですが……だからこそ、この頃の彼女からは何か違和感を覚える」
そこまで言って、僕はすっかり冷めきった香草茶を一口飲んだ。
「……なかば、いえ、ほぼ私情によるお願いなのですが。かの怪しき商人と、フィオレンツァ司教の関係を探っていただけませんでしょうか? もちろん、無理にとは申しません。たんなる取り越し苦労に終わる可能性も高いわけですし」
「なるほど……ブロンダン卿は、司教猊下にかかっている疑いを晴らしたいわけですな」
神妙な表情で団長殿が指摘した。
「いいでしょう。実際のところ、我々のほうの調査も手詰まりになっておりましてな。司教ご本人が無関係でも、星導教内部によからぬことを目論んでいる者がおるやもしれません。探ってみる価値はあるでしょう」
「感謝いたします……!」
僕は深々と頭を下げた。調査の結果がシロならば、それが最上なのだが。しかし、万が一クロならば……僕は、幼馴染と敵対せざるを得なくなる。その現実に、僕の胃がキリキリと痛み始めた……。




