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第601話 くっころ男騎士の虜囚生活(3)

 このドールハウスめいた軟禁部屋での生活は、僕に著しい苦痛を強いた。いや、もちろん拷問のような真似をされているわけではない。それどころか、見張りに頼めば知り合いとの面会やちょっとした散歩までさせてくれるのだから、一般的な虜囚に比べればはるかに不自由のない生活を送っている。こんな恵まれた環境で苦痛などと言っていたら、バチが当たってしまうかもしれない。

 しかしそれでも、やはりこの豪華絢爛な部屋は僕の居場所ではなかった。神に捧げられる供物のように飾り立てられ、見張りの近衛騎士を相手に無聊を慰めるか時折やってくるフランセット殿下の話し相手を務めるばかりの日々……ハッキリ言って、かなり憂鬱だった。

 殿下は僕の使い方を誤っている。僕は軍事に使ってこそ真価を発揮する道具なのだ。人斬り包丁にしか使えない蛮刀を装身具に使うがごとき愚に、僕の不満は高まり続けるばかりだった。

 とはいえ、だからといって不貞腐れるわけにはいかない。なぜなら、僕の戦いはまだ終わっていないからだ。軍人として、勝利するか命を失うまでは戦い続けなくてはならない。そして、今の僕にとっての戦いとは、王室に潜む病巣を暴くことだ。とにもかくにも、情報収集を続けなければならない。


「南部諸侯の一部が先走って、リースベンに進攻しようとしたようですね。まあ、案の定領内への突入も果たせず壊滅したようですが」


「そりゃまた難儀な。付き合わされた兵隊どももかわいそうにねぇ」


 現状、僕の情報源となりえるのはフランセット殿下と見張り役の若い近衛騎士だけだった。手始めに行った近衛騎士への懐柔策はうまくいき、一週間もたったころには彼女の口はずいぶんと軽くなっていた。相手は経験の少ない若者だから、丸め込むのもそれほど難しくはない。

 しかし、若く経験が少ないということは、持っている情報も大したことはないということだ。当然ながら、深掘りしたところで王家の暗部やら政治の裏舞台やらの情報が出てくるはずもない。聞くことができたのは、世間話の延長線上にある程度の浅い話ばかりだった。

 もちろん、そんなことは最初から承知の上だ。この騎士殿はあくまで足がかり、いわば橋頭保に過ぎないのである。狙いはあくまで彼女の上司、すなわち近衛騎士団の幹部だった。王室と深くかかわる近衛騎士団の幹部級ともなれば、ある程度の裏事情も承知しているに違いないからな。狙わない手はないだろ。

 とはいえ、問題はここからだった。そのまま直球で「上司を呼んでくれ」と騎士殿に頼み込むというのは、いくらなんでも不自然が過ぎる。自然なやり方で騎士殿を誘導していくのは、情報戦の経験が足りない僕にはあまりにも困難なミッションだったのだ。

 しかし、僕の元にはまだ頼りになる味方が一人だけ残されていた。ロリババアである。ともに虜囚の身となった彼女は僕とは別の部屋に収監されていたが、頼み込めば面会も許してくれるのである。どうやらフランセット殿下のご配慮のようだったが、これを利用しない手はない。壁にぶち当たった僕は、即座に彼女に相談することにした。


「ガレア王国は懐が広いのぉ。ワシのような立場の者にまでこれほどの饗応をしてくださるとは」


 喫茶の名目で僕の部屋にやってきたダライヤは、茶菓子として供されているアップルパイを切り分けながらそう言った。そして大ぶりな塊を一口で頬張り、満面の笑みを浮かべる。小動物めいたかわいらしくも豪快な食べっぷりだった。

 苦笑しつつ、僕も一切れのパイを口に運んだ。素晴らしい味だった。さすがは王城の専属シェフ、と心の中で賞賛を飛ばす。こんなものを好きな時に好きなだけ食べられるのだから、今の僕はなかなかいいご身分である。


「ガレアは淑女の国アヴァロニアから分かたれた国だからね。捕虜だからと言って粗末な扱いはしないさ」


「……むぐむぐ、ごくん。何とも素晴らしい話じゃ。リースベンのクソ蛮族どもに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいのぉ」


 僕たちの会話は、当たり障りのないものだった。当然ながら、彼女を呼んだのはこんな益体のない話をするためではない。しかし、ここは敵地のど真ん中だ。盗み聞きされている危険性を考えれば、危険な話題を口に出すのは憚られた。

 しかし、情報交換の方法は声だけではないのである。僕は白々しい会話をしつつ、視線をダライヤの手元に向けた。よく見れば、彼女の指は小刻みに揺れている。むろん、酒が切れて震えが止まらなくなっているわけではない。その震えには明らかな規則性があった。長短の信号を組み合わせた、シンプルかつわかりやすい通信手段……そう、モールス信号だ。


『状況は理解した。近衛の上役と接触したいわけだな』


 信号を読み取ると、そういう文面になった。僕はすでに、彼女と同様の手段で現状を伝えているのだ。


肯定(イエス)


 短く返す。一瞬うごきを見逃すだけで文意がわからなくなるのがモールス信号のデメリットだ。当然ながら、僕もダライヤも極力シンプルな文面を出力するようにしている。


(エン)を頼れ』


『エン、エンとは?』


 聞き返すと、ダライヤは当たり障りのないおしゃべりを続けつつ苦笑を浮かべた。出来の悪い弟をかわいがるような表情だ。いやいや、そんな顔するんじゃないよ。こんなやり方で誤解なく会話できるわけないだろ。


『人脈』


 ダライヤの返答はシンプルだった。人脈……なるほど、エンは縁か。しかし、人脈と言われてもなぁ。僕は仕官した当初から宰相派閥にいたから、王党派の知り合いなんてせいぜい現オレアン公くらいしかいないような……。


『……なるほど、王都内乱で共闘した近衛騎士たちか』


『然り』


 思い返してみれば、近衛の中にも何人かの顔見知りがいる。王都内乱の際、僕は近衛騎士団と共同して反乱の鎮圧に当たっているのだ。当時のことで例を言いたいとかなんとか理由をつければ、あの新米騎士殿よりは上の役職の人も呼び出せるかもしれない。

 ……そういう口実なら、別に騎士殿を懐柔する必要なかったんじゃないか? うわあ、申し訳ないことしちゃったなぁ。すまんね、騎士殿。


『了解、その手で行く』


 脳内で話をつけられそうな近衛の顔を数名ピックアップしながら、僕はババアにうなづいて見せた。正直に言えば、顔は思い出せても名前が出てこなかったけどね。名乗る暇もないような緊急時だったから、こればかりが仕方ないだろうが。

 まあ、そこはそれこそ騎士殿の出番というものだろう。彼女に特徴を伝えれば、だいたいの目星は付けてくれるはずだ。近衛といっても人数的にはそれほど大きい組織ではないから、交流がなくとも顔や名前くらいは知っているはずである。


『方針が決まったのなら、この話題は終わりでいいか? 指が疲れてきた』


『同感』


 苦笑しつつ、指の動きを止める。筆談などができれば楽なのだが、文字で会話の証拠を残すわけにもいかないからな。まったく、難儀なもんだよ。これからも情報交換や相談のたびにこんな迂遠な真似をしなきゃならないと思うといささか憂鬱だね。どれだけ快適でもしょせん敵地は敵地だ。


「はぁ、旨かった。これほど旨いものをたらふく食えるのじゃから、この城はある意味リースベンよりも過ごしやすいのぅ。いっそ移住でも検討してみるか」


 などと考えは、ロリババアにはお見通しのようだった。毒をたっぷりと含んだ彼女の皮肉に、僕は苦笑を浮かべることしかできない。居心地が悪いのはダライヤも同じこと……むしろ、庇護者のいない彼女のほうが窮屈な思いをしているくらいだろう。ババアのためにも、さっさと仕事を果たしてリースベンに戻りたいところだが……。

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― 新着の感想 ―
[一言] この悪男さんはそろそろ実は自分が一番の病巣になっていると理解すべきですな
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