第600話 くっころ男騎士の虜囚生活(2)
フランセット殿下が僕の部屋から退出したのは、それから三十分ほどたったころだった。その間に交わされた会話は益体のない世間話程度で、はっきりいって得られるものは何もなかった。こうも時間を浪費していると、なんだか申し訳ない気分になってくる。今頃、ソニアたちは反攻作戦の準備を整えている最中だろうに……まったく、僕は何をしているんだろうな?
殿下を見送った後、僕は今の自分がやるべき仕事について再考した。虜囚の身ではできることなど限られているが、反面敵の懐に入れたのはかなりのアドバンテージだ。これをうまく生かせば、それなりの情報収集ができるのではないか。
特に重点して調べるべきなのは、殿下とその周辺が宰相派に対して異様なまでの不信感を募らせていった過程についてだろう。以前オレアン公から聞いた話が真実ならば、この件には裏で暗躍している者が存在する可能性がある。そいつの尻尾を掴んでやらないことには、この内戦に勝利できてもすぐに同様の戦乱が再燃する恐れがあった。
「とはいっても、そのあたりを直接殿下に聞くわけにもいかないからな……」
直球で黒幕の有無を聞いたところで、「そんな者はいない」と答えられるだけだろう。ここはむしろ、殿下の下にいる連中に照準を定めるべきかもしれない。将を射んとする者はまず馬を射よ、というヤツだ。
実際、現オレアン公などはあきらかに殿下への不信感を募らせている様子だった。うまくやれば、王国上層部にある程度の情報網を構築できるかもしれない。やってみる価値はあるだろう。
「はい、チェックメイト。私の勝ちですね」
「んなぁ……」
そういうわけで、僕は……自身の華美な軍服をまとった若い竜人と、チェス(によく似たこの世界独自のボードゲーム)に興じていた。白黒で彩られたその盤面では、僕の陣営が完全敗北を喫している。
いや、もちろん遊んでいるわけではない。情報網の構築にはまず人脈を築くところから始めなくてはならないわけだが、今の僕の立場では会える相手など限られている。そこで矛先を向けられたのが、僕の対面でいかにも嬉しそうに笑っているこの騎士だった。
彼女は僕の側仕えとして配置されている騎士で、普段はこの部屋のドアの向こうで待機している。一応名目では僕の御用聞き兼護衛という役職になっているが、その実態はもちろん監視役だった。まあ、役職はどうあれ僕から見れば一番声をかけやすい相手が彼女だということだ。
そこで僕は、彼女を呼び出し暇つぶしに付き合ってほしいと頼んだ。暇を持て余しているのは向こうも同じだったらしく、彼女は二つ返事でそれにうなづいた。監視役とはいっても、その態度はごくフレンドリーなものだ。おそらく、殿下あたりから何かを言い含められているのだろう。
「あと一手、あと一手早ければ勝ってたのになぁ」
「いや、危なかったですね。しかし、これで三戦三勝。王都内乱でご活躍されたブロンダン卿を相手にここまでやれるとは、我ながら驚きですよ。フフフ……」
ことさらに悔しがってみせると、騎士殿はご満悦な様子でフンスフンスと鼻息を荒くする。まあ、ギリギリの戦いを制して三連勝したら、誰だって気分もよくなるというものだろう。うん、いいぞいいぞ。頑張って接待プレイをした甲斐があったというものだ。
実際のところ、暇つぶしという名目でもこれはあくまで人脈構築の一環だった。だからもちろん、全力で相手を打ち負かすような真似はしない。ひそかに手を抜き、気分良く相手を勝たせる。これが肝心だ。はっきり言ってこの手の仕事はあまり慣れていないのだが、幸いにも今のところ騎士殿に僕の狙いが露見している様子はない。
まあ、彼女はまだ十代の若者だからな。転生による社会経験アドバンテージもあれば、さすがに後れを取ることはあるまい。まあ、あんまり油断は出来ないがね。もしかしたら、騎士殿も僕と同様の転生者であるという可能性もなくはないわけだし……。
「もう一戦! といいたいところだけど、さすがに三連戦は疲れるね。リベンジは明日にでも回して、別の遊びでもしようか」
この騎士殿の所属は近衛騎士団だ。近衛の主任務は王家の守護だから、当然フランセット殿下の身辺にも目を光らせているはずだ。殿下の周囲に怪しげな輩がうろついているのなら、絶対に近衛もそれを把握しているだろう。探りを入れる相手としてはピッタリというわけだ。
「いいですよー。何をやります? 札並べとか?」
「頭使うゲームはちょっとねぇ……そろそろ、体を動かしたいなぁ」
手をひらひらと振りながら、僕は少しだけ思案した。ひとまず、当面の目標はこの騎士殿の心理的障壁を取り除くことだ。そのためには、彼女との距離感をガンガン詰めて行かねばならない。ゆっくり仲良くなっていくつもりなら普通のボードゲームなどで十分だが、急ぎでやるとなるともっと適切なやり方があるだろう。
「レスリングの試合なんてどうかな?」
冗談めかしてそう言ってやると、騎士殿の顔が一瞬で真っ赤になった。
「だ、男女でレスリングなんて破廉恥な! ダメに決まってるでしょうが!」
「ハハハ、冗談冗談」
やっぱダメかぁ。竜人が相手だと、素肌同士の接触はてきめん効果的なんだけどなぁ。子供の時分のソニアなんて、このやり方でどんどん対応が柔らかくなっていったし。とはいえ、子供同士ならともかくこの年齢になるとさすがにレスリングは勇み足が過ぎるか。
「じゃ、腕相撲なんてどうかな」
「腕相撲ですかぁ……いや、レスリングよりはマシですがね。しかし、なんでわざわざそんなことを……?」
「いやなに、近頃まともに外に出てないものでね……ちょっと体が鈍ってるんじゃないかって。ちょっとばかり腕試しがしたいんだよ」
右手を開いたり閉じたりしながら、僕は笑顔でそう言った。実際、嘘は言っていない。この頃の僕はマトモな運動をしていないのである。屋内でできる鍛錬なんて、せいぜいちょっとした筋トレくらいだからな。物足りないこと甚だしいんだよ。
せめて立木打ちができれば楽しいのだが、残念ながらそういうわけにもいかない。フランセット殿下に「丸太と木刀を用意してくれません?」と頼んだら普通に拒否されてしまったのだ。悲しいね。……いっそ城の柱を相手に打ちかかってみようかな? などと思わなくもなかったが、いくら僕でもさすがにそこまで社会性は捨ててない。我慢我慢だ。
「ブロンダン卿は相変わらずですねえ……まあ、貴殿のご要望は出来る限り叶えろと命じられておりますのでね。お望みとあらば、お付き合いいたしますが」
首をひねりながらもうなづく守衛に、僕は笑顔でサムズアップした。彼女の口ぶりはいかにも「仕方ないなぁ」という感じだが、その顔には微かな喜びの色がある。僕だって一応、若い男だからな。多少強引でも、ボディタッチを許すような提案は受け入れられやすい傾向があるんだよ。そこにつけ入るスキがあるってワケだ。
ひとまずテーブルの上のチェス盤を片付け、臨時の試合会場とする。分厚い天板に肘を乗せ、僕は騎士殿をまっすぐに見やった。彼女は小さくため息をつき、僕と同様のポーズをとった。
「ああ、手袋は外してもらっていいよ。万一破れても困るしさ」
見栄え重視の軍服の常で、騎士殿はシミ一つない白手袋をつけていた。舶来物の絹でできたそれは、腕相撲の際に用いるにはいささか繊細過ぎる。
「素手で、ですか? 少しばかり恥ずかしいんですが」
「汗ばんでるのはみんな一緒さ、気にしない気にしない」
照れた様子の守衛に、僕はニッと笑ってそう返した。季節はまだ晩夏だ。僕はもちろん、彼女の額にもうっすらと汗がにじんでいる。まあ、異性相手だとそういうのも気にしちゃうよね。
守衛は少し逡巡した後、無言で手袋を外し僕の手を握った。剣ダコのついた、固くて大きな剣士の手だ。彼女はいささか恥ずかしそうな表情で頬を掻く。
「男性相手にこんなことをするの、初めてなんですが。ちょっと照れますね」
「ハハハ……すまんね、男らしい手じゃなくて」
この世界における魅力的な男性の手というのは、小さくて柔らかいものだ。しかし、残念ながら僕の手のひらは守衛と同様に固く締まっている。子供の時分から剣術に励んでいたわけだから、こればっかりは仕方がないだろ。
「いや、そんなことは」
慌てて否定する守衛の手を、ニギニギとしてみる。彼女の顔がさらに赤くなった。うんうん、いいねえ。予想通り、彼女はあまり男性慣れしていないようだ。……これなら、僕みたいな男でもうまくやれば色仕掛けが通用するかもしれん。
「それじゃあ、やろうか。強化魔法は使ってもいい?」
「もちろん」
何でもないような顔で守衛はうなづいた。魔法の使える虜囚には魔封じの腕輪などをつけさせるのが一般的なのだが、僕の腕にはそのような拘束具ははまっていない。なにしろ僕の使える魔法は強化だけなので、警戒すべき脅威とは認識されていないのかもしれない。
実際、強化魔法を使ったところで只人男の身の上では大した筋力は出せない。しっかりと鍛えこんだ竜人ならば、普通に抑え込むことができるだろう。種族の差はそう簡単に埋めることはできないのだ。
「よーし、いくぞ。レディ……ゴー!」
つまり、この腕相撲の結果もわかりきっているということだ。宣告と同時に強化魔法を使い騎士殿の腕を押し倒そうとするが、最初に少しだけ押した後はまったく微動だにしなくなってしまった。それからは、もういくら力を込めてもそれ以上は動かない。基礎筋力が違いすぎるのだった。チェスと違い、これに関しては本気でやっても敵いはしない。
もっとも、騎士殿のほうも余裕しゃくしゃくというわけではなかった。泰然自若とした表情は装っていても、額には確かな汗が浮かんでいる。見栄を張って表情を崩すまいとしているその様は、逆にかわいらしさすら感じさせた。
とはいえ、結局基礎体力で劣っているのは動かしようのない事実だった。しばらくウンウンとうなっていた僕だったが、とうとう身体強化魔法の効果時間が過ぎてしまった。露骨にパワーダウンした僕に、騎士殿は苦笑しながら腕に優しく力を込めていく。僕の右手がどんどん押し込まれ、そしてあっという間にテーブルの天板と接触した。完敗である。
「いや、さすがだねぇ! 強化アリなら、そこらの竜人が相手なら負けない鍛え方をしてるハズなんだけど」
賞賛とともに彼女の肩をたたいてやる。竜人を相手に距離を詰めたいときは、隙あらばボディタッチをねじ込んでいくのが一番だ。彼女らは文字通りのスキンシップを好む文化と習性をもっているのである。
「ハッハッハ、伊達で近衛をやっているわけではありませんからねぇ。これくらい力がないと、王族がたやご令息がたはお守りできませんよ」
「さすがだなぁ……ねぇねぇ、ちょっと二の腕触らせてもらっていいかな。鍛えこんでる人、好きなんだよね」
「えぇ? ま、まあいいですけど」
口ではそういいつつも、騎士殿の顔は明らかにデレデレしていた。よしよし、この調子だ。どうやら、頑張れば僕だって悪男の真似事くらいはできるらしい。あくどいことをやっている自覚はあるが、今は手段を選んでいられる状況ではない。彼女には申し訳ないが、情報源として利用させてもらうことにしよう。




