第597話 盗撮魔副官と蛮族エルフ(2)
どうやら、わたしはエルフの行動力を過小評価していたようだった。彼女らは直情的で、しかも反骨精神にあふれた種族だ。立場と信念が対立すれば、一切の躊躇も見せずに後者を選ぶ精神性の持ち主なのである。
そういう連中が、アル様の危機を耳にすればどうするか? ……開拓中の畑を放り出してでも、助太刀にやってくる。当然の帰結であった。わたしが念押しした程度で止まるはずがない。
来てしまったものは仕方がないとはいえ、かなり困った。これはもちろん、エルフの数が増えれば増えるほど統制が緩むという用兵上のジレンマの要素も大きいが、それに加えて畑の問題もあった。
なにしろ、リースベン軍で兵士をやっている者以外のエルフは、ほぼ全員が農民なのである。現在の季節は晩夏。彼女らが育てているサツマ芋にとっては、収穫直前の大事な時期だった。
当然ながら、そんな大切なタイミングで世話をする者が畑から離れれば、今年の収穫自体がフイになってしまう可能性が高い。食糧生産に難を抱えるリースベンにとってこの問題は、アル様の安否に並ぶほどの重大事なのである。
「どうぞ、我らを軍勢に加えて頂きとう。若様をお救いすっまでは、わっぜ畑仕事など手につきもはん。どうぞ、我らに弓を引っ機会を与えて頂こごたっ」
深々と頭をさげてそんなことを言う農民エルフ・ネズに、わたしは深々とため息をつかざるを得なかった。正直に言えば、うるさい帰れと言いたいところではある。もちろん、彼女らが足手まといということは断じてない(むしろ戦力的には心強いくらいだ)のだが……。
統制問題に、食料問題。この二つがあるから、エルフ農民からの追加徴兵は避けたというのに。ああ、まったく……どうして世の中はこうままならぬことばかりなのか。いや、単にわたしの見込みが甘すぎただけかもしれないが。
「……」
慎重に思案しつつ、こっそりと周囲をうかがう。レマ伯ジェルマンやズューデンベルグ伯アガーテなどの諸侯は、困惑しつつわたしとネズを交互に見ていた。エムズハーフェン侯ツェツィーリアやミュリン伯イルメンガルドは顔を青くしてエルフ兵らから距離をとっている。
……当然ながら、助け舟などは期待できない状況だな。いや、そもそもこんな状況で助けをもとめるような女に、諸侯をまとめる総大将は務まらない。ここでは、わたしは独力で道を切り拓かねばならないのだった。
アル様ならば、このような場合はどういう判断を下すのだろうか。いまさらになって、わたしは己の過ちに気づく。わたしは、あの方の背中しか見ていなかったのだ。隣に立ち、ともに同じ景色を見ていれば、このような時にも迷わずに済んだだろうに……。
「……まずひとつ、言っておきたいことがある」
長い逡巡のあと、わたしはゆっくりと口を開いた。この判断が正しいのか否か、それはわからない。けれども、指揮官は決断を躊躇してはならないのだ。アル様の言葉を思い出しながら、わたしは話を続ける。
「寡兵をもって大軍を破り、大将まで討った。なるほど、たいへんな大手柄だ。しかし、こちらになんの連絡もよこさずそれをやった、というのはよろしくない。見ろ、この陣地を」
わたしはそう言って、指揮壕を一瞥した。
「この塹壕線は、敵軍を迎え撃つべくリースベン軍が総力を挙げて構築したモノだ。その労力が、貴様らが連絡一つよこさなかったせいで無駄になった。感情論を無視しても、これはリソースの浪費以外の何物でもない」
「……」
「いいか? 今回のいくさの主敵は、ヴァール軍などではないのだ。ガレア軍は、みなが一致団結し効率よく戦わねば勝てぬ相手。余計なところで労力を空費している余裕などない」
内心の不安を隠しつつ、わたしは言葉を続ける。はたして、このアプローチは有効なのだろうか? 頭から押さえつけるばかりでは、エルフは従わない。それは、ダライヤのクソババアを見ていればよくわかる。さりとて手綱を緩めればよいというわけでもないのが難しいところだ。
「良いか、ネズ。このいくさにはアル様のお命がかかっておるのだ。失敗は万が一にも許されん。負けても己が命を失うだけ、などという考えは今すぐ捨てよ。勝率を一厘でも上げるためならば、泥でもなんでも啜る覚悟が必要なのだ」
「議バ抜かすなッ!!」
そう叫んだのは、ネズではなかった。首桶を背負っていた一般エルフ兵だ。
「若様んお命がかかっちょい? そげんこっは承知ん上じゃ! やったやお前、ないごて穴掘りなんぞやった! チンタラ守りを固めちょっ暇があったや……」
「お前こそ議バ言うなッ!!」
「アバーッ!?」
突然、ネズが木剣を抜刀した。黒曜石の刃がきらめき、エルフ兵が真っ二つになる。まき散らされる先決と臓物に、ツェツィーリアが「ひぃ……」と小さな声を漏らす。声を出したのは彼女だけだったが、それ以外の諸侯らの顔色も真っ青になっている。例外は、フェザリアなどのリースベン蛮族だけだった。
「従者が失礼つかまつった」
返り血を浴び、なんとも凄惨な有様になったネズは、顔色も変えずに頭を下げる。
「ソニアどんの言ことももっともじゃ。味方同士で相争うちょっては、勝てるいくさも勝てんくなっ。我らエルフん歴史が、そいを証明しちょる」
ネズの声音はひどく穏やかだった。人ひとりを切り捨てた直後とは思えぬ平静ぶりが、かえってエルフ族の恐ろしさを際立たせている。
「やり方は誤ったが、我らん若様をお救いしよごたっちゅうきもっは決して貴殿らに劣っもんじゃなかちゅう自信はあっ。今回ん仕儀ん責任はすべて俺にあっ故、部下や同志らには責めを負わせんでいただこごたっ」
そういうなり、彼女はゆっくりと腰を下ろして地面の上で胡坐を組んだ。……おっとぉ? なにやら、また空気がきな臭い方向に流れ始めたような……。
「責任を取っ用意はできちょい。俺が腹をカッ捌っで、そいでどうぞ許したもんせ」
その言葉の余韻が消えるよりも早く、ネズは腰からもう一本の刃物を抜いた。エルフが藪を切り開くのに使う、先のとがった山刀だ。彼女はそれを逆手に持ち、躊躇なく自らの腹に突き刺した。
「介錯しもすッ!!」
残る一人のエルフ兵が、一切の躊躇もなく木剣を抜いた。……頭で考えるよりも早く、身体が動く。背中に負った愛剣を抜き放ち、風切り音を上げてネズの首に迫る木剣を弾き飛ばした。
「落ち着け、貴様らッ!!」
鋼と石の衝突音の余韻も消えぬうちに、私はそう一喝した。ああ、まったく……こいつらは命をなんだと思っているんだ。ふざけるんじゃあない。
「わたしがいつ死んで詫びろと言った? エエッ!? わたしを舐めているのか? 沙汰も出ぬうちに勝手な真似をするなッ!!」
そう叫びながら剣から手を放し、山刀を握るネズの腕をつかんだ。さしものエルフもこれには驚いたようで、肩をびくりと震わせる。
「わが軍に加わりたいというのなら、結構! 認めようではないか。だがな……」
吠えるような声音で言いつつ、わたしは左手で土塁の壁を指し示す。そこには、〇に十字をかたどったリースベン軍の軍旗が飾られている。
「あの旗のもとに集うからには、命の無駄遣いはゆるさん! 敵兵十人を殺すまでは、死ぬことはまかりならんぞッ!!」
「俺はもうさっきのいくさで十人以上殺しちょるんじゃが……」
脂汗にまみれた顔でネズが弁明した。……ええい、こざかしい言い訳をッ!
「うるさい! 十人殺したら次は百人を目指さんか、馬鹿者! 向上心が足らんぞッ!!」
「……ふ、ふふっ、ははははっ、そりゃ最もじゃな。俺が間違うちょりました……ごふっ」
軽く笑ってから、ネズは湿っぽい咳とともに血を吐いた。腹に深々と山刀が刺さっているのだから当然のことである。
「衛生兵! 衛生兵はおらんか! さっさとこの馬鹿者を手当てせよッ!!」
戦闘ならまだしも、こんなくだらないことで兵士の命を散らしては指揮官としての器量が疑われてしまう。まったく、エルフどもの短慮にもこまったものだ。内心ボヤきつつも、わたしはネズの傷口を抑えてやった。
「……さすがはソニア。アルベールの代理を任されるのは伊達じゃないってことか」
「なんだって?」
ツェツィーリアが青い顔に苦笑を浮かべつつ、何かをつぶやいた。よく聞き取れなかったのでそう返したら、彼女は笑みの苦みを深めながら、首を左右に振る。
「いや、手慣れてるなぁって」
……いやなことを言ってくれるなあ、このカワウソ女。エルフへの対応なんかには慣れたくはないのだが……。




