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第596話 盗撮魔副官と蛮族エルフ(1)

 わたし、ソニア・ブロンダンの心中はなんとも微妙な心地に満ち溢れていた。敵軍がいつまでたっても現れないせいだ。戦争は計画通りに進めるもの、というのがアル様式用兵術の基本であり、どんな原因であっても基本的に予想外の要素は忌むべき存在なのだ。

 状況が動いたのは、太陽が西の地平線へと沈み始める直前の時刻になった頃だった。カリーナらの指摘を受けてエルフ族が余計なことをしていないか調べに出ていたフェザリアが、本陣に戻ってきたのだ。


「お(はん)の言うたとおりじゃった」


 憮然とした表情でそう言ってから、フェザリアは背後をふりかえった。その強い目つきの先には、血まみれのポンチョ姿に木剣という一般的エルフ・スタイルの兵士三人が得意満面の様子で控えている。そのうちの一人の背中には、大き目の桶が背負われていた。


「い、言った通り、というと……?」


 わたしは無意味なことを聞き返した。本当を言えば、フェザリアが何を言っているのかはすでに理解できていたのだ。しかし、それはあまりにも認めがたい現実であった。無意味な問いを返すのも仕方のないことだった。


「おい」


 腕組みをしてため息をついてから、フェザリアはエルフ兵三名をにらみつけた。言われたほうは、一瞬不満げな気配を出してエルフの皇女の眼光を正面から受け止める。

 その態度だけで、コイツが正統エルフェニアの所属ではないことが理解できた。"正統"の連中は、フェザリアを君主として扱っているからだ。対して、"新"の連中は彼女に対して不敬な態度を隠さない。エルフェニア皇族を過去の遺物として扱っているのだ。


「……ちょかっの訪問、相すんもはん。(オイ)はネズ氏族んカナンちゅう者でごわす。こっちは我が郎党んソネとリェン」


 しかし、そんな微妙な空気も長くは続かない。エルフ兵の一人が、丁寧な口調でそう挨拶したからだった。わたしは鷹揚にうなづきつつも、頭の中では彼女の言葉を反芻していた。

 作戦に参加しているエルフ兵の名簿には一通り目を通しているが、カナン・ネズなどという名前には覚えがない。たんに、忘れているだけだろうか?そうであればよいのだが、まさか……。


「こん度はソニアどんにぜひお願いしよごたっ儀がごぜましっせぇ、こうして参上した次第」


「お願い」


 おうむ返しにする私に「へい」と応えるとと、ネズとやらは隣のエルフ兵に目配せをした。桶を背負っているヤツだ。彼女はしっかりとうなづき、桶を地面に卸す。そして、おもむろにその蓋を開けた。すると、周囲に濃密な血の香りがふわりと広がる。……とても嫌な予感がしてきたな。


「ひとまず、こちらが手土産でごわす。どうぞ納めたもんせ」


 そういってネズが桶から引っ張り出したのは、人間の生首だった。種族はどうやら竜人(ドラゴニュート)のようで、その顔には死してなおこびりついた恐怖の表情が張り付いている。いきなりのことに、戦場慣れした諸侯らからも同様の声が上がった。


「ヴァール子爵……!」


 ジェルマン伯爵が、震える声でそうつぶやいた。その言葉に、わたしもハッとなる。あまりに変わり果てた姿なのでわかりづらいが、言われてみればその顔には見覚えがあった。先の戦いでさんざんアル様に絡んできたあの憎たらしい小悪党、ヴァール子爵だ。事象討伐軍の総大将に任じられていたはずの彼女が、なぜ生首に……!?


「暗殺してきたのか?」


 苦々しい口調でそう聞く。いくらエルフが強いとはいっても、ヴァール軍の兵力は連帯規模の千二百名。これだけの戦力を相手に、わずか三名で正面から戦い挑むのは蛮勇を通り越してただの阿呆だ。森林という環境を生かし、一気に本陣を強襲して大将の首だけ取ってきたと考えるのが自然だ。……いや、まあ、この想定でもヴァール軍がよほどの無能なことには変わりないのだが。


「あん程度ん相手に暗殺なんて真似をすったぁあまりにも情けなかやろう。もちろん正面から打ち破ったど」


「……三人で?」


「若様をお救いしようとちゅう志を持ったものが、わずか三名しかおらんはずがなかやろう? 近所んエルフ衆と話し合うた結果、二百名弱ほどん烈士が集まったで、当然みなで仕掛け申した」


「……で、どうなった」


「敵はみな森の糧になりもした」


 兵力二百対千二百でなんで普通に勝ってるんだ……いや、いや、今はそんなことは重要ではない。敵よりは少ないとはいえ、百数十名の兵力というのはかなり大きい。そもそも一個中隊規模のエルフ兵が動いたとなると、やはりこれは単なる現場部隊の暴走などではない。それだけの規模の兵が動けば、わたしに報告が入らないハズがないからだ。しかも、近所のエルフ衆なる気になる単語も出ていたことだし、つまりこいつらは……


「……フェザリア。もしやこいつらは……リースベン軍の所属ではない、ただの農民たちなのではないか?」


「ご明察」


 端的にすぎるフェザリアの答えに、私はため息をつくことしかできなかった。リースベン軍には多くのエルフ兵が従軍しているが、それはあくまでごく一部の者たちだけだ。大半のエルフは剣をクワやスキに持ち替えて畑の開拓に精を出している。

 リースベンの風土を知り尽くした彼女らの農法は、わが領の食糧生産高を押し上げるための切り札だと目されている。緊急時とはいえ、そんな彼女らに再び剣を取らせるような真似はわたしにもできなかった。

 ……そもそも、いくら強くともエルフは統制に従わない連中だ。あまり多く抱え込みすぎると、間違いなく暴走を起こす。だからこそ、わたしは彼女らに「領地でおとなしく畑をいじっているように」と念押ししてあったのだが……どうやら、その命令は最悪の形で裏切られてしまったようだ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。それって、つまり」


 エルフ慣れしているわたしですら、こんな調子なのだ。慣れない諸侯たちの困惑ぶりは尋常ではなかった。彼女らを代表するように、ズューデンベルグ伯アガーテが顔中脂汗まみれになりながら口を開く。


「軍役を課したわけでもない農民どもが勝手に百人以上集まって、越境して、敵軍に攻撃を仕掛けて、しかも勝った。コイツはそう言っているのか?」


「……その通りだ」


「なんで……」


 アガーテは普段の快活ぶりをすっかり失い、細い声でそうつぶやいた。気分はわかる。とてもわかる。


「いや、おかしいですよ、それは!」


 ジェルマン伯爵が珍しく声を声を荒立てた。気分はわかるがエルフがおかしいのはいつものことだと思う。


「リースベン軍は最短でこの場にやってきて防御陣を敷きましたし、それ以前に山道の出入り口には関所が設けられています。我々以外の軍勢が勝手に山脈を超えてわが領に入るなんて、絶対に不可能ですよ!」


 ……ヴァール軍がいたのは、レマ領……つまりジェルマン伯爵の領地の端にある森だった。エルフ軍が勝手に攻撃を仕掛けたとなると、当然ながらその舞台となったのはくだんの森の中だろう。知らぬうちに自らの所領が戦場になっていたとなれば、さしものジェルマン伯爵も冷静ではいられまい。

 

「こん山脈には、エルフしか知らん隠し道がいくつかごわす。リースベン軍のごつ大軍勢ん通過は難しかどん、百人二百人であれば小分けにすりゃ通るっで……」


 ところが、ネズから返ってきた言葉は予想よりも数段悪いものだった。なんだ、隠し道って。そんなのがあるなんて、わたしは聞いてないぞ。……よく考えたら、いぜん知らぬ間にエルフどもがズューデンベルグ領に入り込んで盗賊働きをしていたこともあったな。アレも、今回と同じように隠し道とやらを使ってコッソリ越境していたのだろうか。


「ミ゜ッ」


 ジェルマン伯爵はセミの断末魔のような声を上げてへたりこんだ。知らないうちに自らの所領へ中隊レベルのエルフが勝手に侵入していたのだ。そのショックは尋常なものではあるまい。わたしはもちろん、諸侯らも明らかな同情の目を伯爵へと向けていた。

 というか、そもそもこれはわたしはジェルマン伯爵に謝罪せねばならない状況だな……。領民が勝手に越境してよそ様の領地を戦場にするなんて、領主名代としてはかなりまずい状況だ。

 急いでジェルマン伯爵に手を貸して起こしつつ、わたしはネズに苦々しい表情を向けた。まったく、エルフどもめ……なんということをしてくれたのだ。


「……言いたいことはいろいろとあるが、ひとまずは貴様の言い分を聞こう。願いがあると言ったな?」


「ハイ」


 恭しい態度で頷くネズ。しかし、その敬意が向かう先がわたしではないことは明らかだった。彼女に限らず、エルフどもすべてが忠誠を誓っているのはアル様個人なのだ。


「どうぞ、我らを軍勢に加えて頂きとう。若様をお救いすっまでは、わっぜ畑仕事など手につきもはん。どうぞ、我らに弓を引っ機会を与えて頂こごたっ」


 予想通りの返答に、わたしは深い深いため息をついた。やはり、わたし程度の器量ではエルフを御し切れなかった。彼女らの助勢はたしかに有り難いが、とてもではないが大勢のエルフを制御する自信はない。さあて、どうしたものか……

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[一言] (ノ∀`)アチャー、やっぱり【チェスト!】してんじゃねえかw
[良い点] ご明察 なんて恐ろしい返事だ
[一言] もうこいつら刺客部隊として先に王都にブチ込んじまえと思わんでもないが エルフは繁殖力(直球)が低いから無駄遣いできない悩み
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