第593話 義妹騎士と塹壕堀り
私、カリーナ・ブロンダンはままならない日々を過ごしていた。お兄様が誘拐されたという話は、もちろん私も聞いている。ソニアお姉様から直接経緯を説明されたときは、危うく卒倒しそうになったほどだった。
早く助け出してあげないと。そう焦る一方、現実は甘くはなかった。私という人間は、お兄様やソニアお姉様と違って単なる新米騎士に過ぎないわけで……できることなんて、それほど多くはない。
結局のところ、お兄様がさらわれようと私はいつもの日常を続けるほかなかった。リースベン軍の軍人としての日常をね。私の中隊は新型の後装式小銃が優先配備されていたから、これの転換訓練で大忙しだった。
この強力な小銃を使いこなせれば、お兄様だって簡単に助け出すことができる。その一念で、小隊のみんなと一緒に来る日も来る日も射撃練習。鉄砲の耐久試験かと勘違いするくらい、とにかく撃ちまくった(何挺かの小銃は実際に破損した)。
「王国方面より、自らを討伐軍と称する集団がわが領に向け進軍中との情報が入った。迎撃準備のため、我々はこれより北部山脈地帯へ向かう!」
状況が変わったのは、それから数日後のことだった。カルレラ市郊外の駐屯地で臨時集会が開かれ、ソニアお姉様が皆の前でそう宣言したのだ。この間戦争が終わったばかりなのに、また戦争。
普段ならビビるところなんだけど、この時ばかりは少しだけホッとした。お兄様が無事かどうかすらわからない状況で訓練に明け暮れるのは、正直つらかったからね。たとえ命の危険があったとしても、実際に倒すべき敵が目の前に現れてくれた方が気が楽だった。
そういうわけで私たちは急遽荷物をまとめ、街道を通って北部へと向かった。ここには、大陸南部の平原地帯とこのリースベン半島を隔てる峻険な山脈がある。どうやら、ソニアお姉様はここで敵軍を迎え撃つ腹積もりらしい。要するに、去年のリースベン戦争で私たちディーゼル軍に対して使われた作戦の再演ってわけね。
「なぁんで騎士が穴掘りなんかやらなきゃならないんだよ~!」
山脈の一角に陣を構えた私たちは、いきなり穴掘りをさせられた。防御陣地を構築するためだ。なにしろ、リースベン戦争におけるディーゼル軍の敗因は、多重防御陣地によって騎兵の衝力をそがれたことにあるからね。ソニアお姉様が前回に範をとった戦術を選択するのは自然な流れだった。
そういうわけで、私たちは武器を小銃や剣からエンピ(穴掘り用の道具。ショベル、あるいはスコップともいう)に持ち替え、山道の固い路面を掘り返すこととなった。リースベン軍は日常的に穴掘りの訓練をやっているから、私たちにとっては慣れた仕事ではあるけれど……部隊の中に一人だけ、やたらと文句の多い女がいた。
「アンネリーエ、騎士たるものが兵の前で情けないことを言うんじゃありません」
腰に手を当てながら、そう言ってやる。私の視線の先にいるのは、いかにも高慢そうな顔のオオカミ獣人だった。この女の名は、アンネリーエ・フォン・ミュリン。そう、ディーゼル家の宿敵であるミュリン家の一人娘だ。
先の戦争で我々と衝突したミュリン家だったけど、今では彼女らもリースベンの傘下に入っている。それはまあいいんだけども、私がアンネリーエを……未来のミュリン家当主を預からなきゃならなくなったものだから大変だ。お兄様はディーゼル家とミュリン家の和解のためだと言っていたけれど、仕事を振られた方としてはまったくもって迷惑極まりない。
「騎士が兵の前で穴掘りするのはいいのかよ、それこそ威厳を損なうんじゃないのか?」
なにしろこのアンネリーエはなかなかの難物だ。いちいち突っかかってくるし、頭でっかちだし、私のことをナメてくる。正直に言えば私では手に余る相手なんだけど、ほかならぬお兄様に任された以上は放り出すわけにもいかない。私はため息をつき、ムカツクオオカミ女の目をにらみ返した。
「なに、文句でもあるわけ?」
「あるにきまってるだろ。穴掘りするなとは言わんが、そんなことは兵に任せておけば……」
「自分の墓穴くらい自分で掘りなさい。それがリースベンの流儀よ」
ピシャリとそう言い返し、私はゆっくりと深呼吸した。短い付き合いだけど、この女の操縦方法はお兄様から教えてもらっている。コイツは、頭から押さえつけるよりも理詰めで説得したほうが効果的だ。とにかくものすごい勢いで塹壕戦の効果を説き、反論を封じる。
もちろんアンネリーエもやられるがままではなく、隙を見て言い返してくることもあった。でも、私は一度塹壕戦をやられて大敗北している身だからね。実体験に勝る説得力はなく、最終的にこのオオカミ女も納得せざるを得なくなった。
そんなトラブルはありつつも、作業は思った以上に順調に進んだ。皆が普段以上に頑張ってくれたおかげだった。何しろお兄様は末端の兵士からも慕われている。そんな人が敵軍にとらわれてしまったわけだから、みなの気合の入り方は尋常ではない。
「この短期間でよくこれだけの防御陣地を作り上げた。カリーナ、お前ももう一人前だな……」
その甲斐あって、この場所に到着してから三日もたつ頃には立派な塹壕ができていた。それを見たソニアお姉様は目を丸くし、優しく微笑みながら直接誉めてくれたほどだ。正直かなりうれしかったが、お姉様はすぐに笑みを引っ込め真剣な表情になる。
「本来であれば、これに加えてさらにもう一段防御線を用意したいところなのだが」
そういってから、お姉様は私に思わせぶりな視線を向けた。兵に聞かせられない話だと直感した私は、無言でうなづきスッとお姉様のそばに寄る。案の定、お姉様はその長身をかがめて私に耳打ちをしてきた。
「レマ伯ジェルマン殿から聞いた話だが、敵軍はレマ市のすぐそばまで迫っているようだ。ただ、城攻めの準備は確認されていないという話だから、おそらく連中はレマ市を迂回して直接リースベンに突っ込んでくる腹積もりらしい」
「迂回……ですか」
どうにも性急にすぎる動きだなぁ。レマ市といえば、リースベンに最も近い街の一つだ。そこを確保せずに進撃するということは、つまり補給ルートを確立するつもりがないということになる。そこまでして進軍を急いでいるとなると、敵軍はやっぱりジルベルト様率いる主力部隊がいない隙を見計らって、空き巣をやらかすつもりっぽいわね。敵将はよほどのロクデナシっぽい。
まあ、聞いた話では敵軍はせいぜい一個連隊程度の兵力しか持ってないという話だしね。レマ市はそこそこ防備の固い都市だから、そこを攻めるとなると長期戦は必至になる。そんなに時間を浪費している余裕はない、という考え自体はわからなくもないけれど……。
「山越えが始まったら、もう猶予はほとんどない。ジルベルトとの合流はおろか、第二防衛線の構築も間に合わんかもしれん。お前もそのつもりで準備をしておいてくれ」
「了解です」
こりゃあ、兵に聞かせられないのも当然ね。私は自然と渋い表情になってしまいそうになり、根性で何とかそれをこらえた。敵軍の進軍スピードはこちらの予想を超えている。ロクデナシではあっても、油断のできる相手ではないってことかな? とにかく、警戒が必要だ。
「予備陣地がないくらい、大したことじゃないです。お兄様のためにも、全身全霊で頑張ります」
「よく言った、それでこそわたしの義妹だ」
お姉様はニヤリと笑い、私の頭をガシガシとなでてくる。や、やめてよぉ……兵が見てるのに。恥ずかしいなあ……いや、褒められてうれしくないわけではないんだけど。うううーん……




