第591話 くっころ男騎士と新たなる不和
僕がマリッタ騎兵隊を相手に始めた連続一騎討ち大会は、僅か五戦目で僕が敗北し幕が下りた。フランセット殿下は童貞百人を斬ったらしいが、僕の方は美女百人斬りとはいかなかったわけだ。なんとも残念な話である。……いやまあ、もちろん最初から勝てるとは思っていなかったが。
ちなみに、敗因は体力切れだった。剣士としての僕は短期決戦型なので、持久戦に持ち込まれると辛い。結局は身体強化魔法の連続使用に肉体がついていかなくなり、マトモに動けなくなったところを首筋に剣を突き付けられた。一応「くっ、殺せ!」とは言ってみたものの、幸いにもトドメは刺されずに済んだ。大笑いはされたが。
もっとも、命は無事だったものの貞操の方は少しばかりヤバかった。戦いの前に煽りすぎたのがいけなかったね。目をギラつかせた騎士に甲冑を剥かれ、危うく草原で初体験を迎えかけてしまった。これが未遂で済んだのは、ロリババアのおかげだ。僕が一騎討ちを続けていた間は観戦に徹していたダライヤだが、雲行きが怪しくなると再び騎兵隊に攻撃をしかけ始めたのだ。
とはいえ流石の年齢四桁クソババアも、単独で精鋭騎兵の一個中隊を相手にするのはツライ。二十数名の騎士を電撃で気絶させるまでは良かったが、魔力効率の悪い雷魔法の多用は早期のガス欠を招いてしまった。身体能力的にはエルフより竜人のほうが遥かに優れているわけだから、魔力が切れればもう勝ち目はない。あとはもう袋叩きだった。
「あっ、おいコラ! 貴様ら、何をしている!」
もはやこれまでか、と腹をくくったところで気絶していたマリッタが目を覚ました。彼女は僕をもみくちゃにしようとしていた騎士どもを見て憤激し、叱責を始める。おかげで、僕の二度目の貞操の危機はなんとか去ったのである。まあ、もちろん虜囚の運命からは逃れられなかったが……。
そういう訳で、僕(と、ボコボコにされたロリババア)は身柄を拘束されレーヌ市へと移送されることとなった。現世はもちろん前世を合わせも捕虜になったのは初めての経験で、正直に言えばかなりの不安は覚えていたが……どうやら、幸いにもマリッタには捕虜を虐待する趣味はないらしい。移送に関しても、一目で王侯貴族用とわかる豪華な馬車で行われる始末だった。
「ああ、アルベール! 良かった、心配していたんだぞ」
問題は、レーヌ市にたどり着いた後だった。街の正門の前で、なんとフランセット殿下が僕を出迎えたのである。朝日に照らされた彼女は満面の笑みを浮かべ、僕を抱擁する。まるで、離れ離れになっていた婚約者と再会したような態度だった。少なくとも、敵将扱いされていないのは確かである。それが却って僕の不安を再燃させた。
独特過ぎる判断基準を持った敵手は苦手だ。なにしろ打ってくる手が読みづらい。エルフ内戦の時に戦ったヴァンカ氏などが典型例だな。彼女は、自分たちの……エルフの絶滅を目的として行動していた。それを読み切れなかった僕は、終盤まで敵の後手に回り続けてしまった。今回のいくさでも、同様の事態が発生するかもしれない。
「殿下、勘違いされては困ります。僕は、アデライドの元から逃げ出してきたわけではありません。あくまで敵としてマリッタの前に立ちふさがったのです……みんなを逃がすためにね」
ムッとしてそう言い返すと、隣のロリババアが脇腹をつねってきた。余計なことを言うな、と言いたいらしい。確かに、情報を引き出すだけならば相手に話を合わせて歓心を買った方が合理的かもしれない。
とはいえ……出まかせとはいえアデライドを悪く言うような真似はしたくないし、何より今のフランセット殿下はなんだか気持ちが悪い。彼女の現状認識に合わせた偽りの自分を演じるのは、正直かなり嫌なんだよな。なら、いっそ真正面から中指を立ててやった方がマシってもんだろ。
「僕は哀れな被害者ではなく、戦いの末に捕縛された捕虜にすぎません。軍人として、捕虜らしい扱いを要求いたします」
「ああ、やはり君は……いまだにアデライドに騙されたままなのか。なんという……」
心底悲しそうな顔で、フランセット殿下は目を伏せる。
「彼の言う通りです、殿下。この男とその隣のクソボケ性悪ゴミカスエルフのせいで、我が騎兵隊は甚大な被害を被りました。強制的に剣を振るわされている者が、ここまで戦えるハズもありません。アルベールはあくまで敵として扱うべきでしょう」
マリッタが口元をヒクつかせつつ言った。なかなかに複雑な表情だ。どうやら、彼女としてもフランセット殿下には思うところがあるらしい。僕はチラリとロリババアに目配せした。全身包帯まみれのミイラ女と化したクソババアは、「へっ」と生意気な声を出して肩をすくめる。殿下とマリッタの間にある微妙な断絶に気付いたのだ。
「むろん、君の騎兵隊の献身は賞賛されてしかるべきものだ。しかし、マリッタ。勘違いしてはいけないよ? 本物の邪悪は、他人を力づくで意に沿わせたりはしない。それは三流のやり口だ。巧言令色をもって他人を操り、自らは決して矢面に立たない。そういう輩こそが一流の邪悪なのだ。そう、例えば我が宮廷のもと宰相のようにね」
そう語るフランセット殿下の口調は、まるで出来の悪い生徒を窘める教師のようだった。たしかに言っていることは一理あるが……操られているのは、僕ではなく殿下の方ではないのか? 少なくとも、去年までのフランセット殿下は思い込みだけでここまで暴走するような人間ではなかったはずだが。
「アルベールはそのような輩に操られるような人間ではありません!! 彼を舐めないでいただきたい!!」
目をくわっと見開いたマリッタがいきなり叫んだ。突然の剣幕に、フランセット殿下が怯んで一歩後退した。……彼を舐めないでいただきたい、か。嬉しい事を言ってくれるねぇ。僕は苦笑しつつ、自らの首をそっとさすった。でもさ、マリッタ。それはさておき君の部下は別の意味で僕を舐めてるんだけど。一騎討ちで敗れて制圧された時、ドサクサに紛れて首やら頬やらをペロペロしてくるヤツがいたんだけど……君のところ、部下の教育どうなってんの?
「いや、確かにアルベールは聡明だが……」
顔を引きつらせつつ言い返そうとしたフランセット殿下だが、すぐに視線を周囲に巡らせてコホンと咳払いをした。この場には、我々の他にもマリッタの騎兵隊や近衛騎士らが大勢集まっている。そんな中でマリッタと口論になるのは、統制面で悪影響があると考えたらしい。
「……いや、失礼。今はそんなことを話している場合ではなかったね。それより、マリッタ。そろそろアルベールの身柄を引き渡してもらって良いだろうか? 彼には十分な休息と過去を顧みる時間が必要だ。いつまでも、籠の中に閉じ込めておくのは本意ではない」
誰が籠の鳥だよ、捕まえておいてよくいうよ。僕は思わず顔を引きつらせ首を左右に振った。いや、自由にしてやると言われて斬首でもされては困るので、あえては言い返さないが。まあ、何にせよ今の僕が囚われの身であるのは事実だ。唯々諾々とむこうの処分に従う以外の選択肢はない。
「お断りします」
ところが、そこで思っても見ない事態が発生した。マリッタが、殿下の要請をバッサリと断ったのである。フランセット殿下の眉が跳ね上がる一方、マリッタは挑戦的な目つきで自らの主君を睨み返す。
「捕虜の身柄に関する権利は、当人を捕縛した郎党が得るというのが大昔からの慣例です。たとえ主君と言えど、この権利を横取りすることはできません。今のアルベールはわたしのモノなのです」
「……」
マリッタの主張は正当なものだった。捕虜から得られる身代金は、騎士にとっては重要な収入源なのだ。そのため、捕虜を得た際の諸権利は手厚く保護されている。たとえ王太子殿下であっても、この慣例を覆すのは容易なことではない。
フランセット殿下も元々は聡明な人物だ。あえて指摘されずとも、そんなことは承知している。彼女は口をへの字にして、僕とマリッタを交互に見た。どうやら、マリッタの反抗は彼女にとっても想定外のものであったようだ。
「……アルベールは捕虜ではない、あくまで保護すべき夫男子だ。捕虜の身柄に関する権利は彼には及ばない。マリッタ、君の要求は不当なものだ」
「わたし自身とはもちろん、あの姉上とも対等に渡り合うほどの剣士に対し、その言葉を向けるのは侮辱以外の何物でもありません。訂正していただきたい!」
マリッタとの対決を先送りにしようとしたフランセット殿下の思惑は、あっという間に崩れ去ってしまった。いまや、マリッタは狂犬のような調子で殿下に噛みついている。……いや、それだけではない。彼女の部下であるスオラハティの騎士たちも、いつの間にか非友好的な目つきを王太子一派に向けていた。一触即発の雰囲気だ。
「なにやら、面白い状況になってきたのぉ」
僕の隣で、ロリババアがボソリと呟く。……面白いかどうかはさておき、王室派の中に亀裂が生まれつつあるのは確かなようだった。どうやら、マリッタはあくまで僕をとっ捕まえるためだけに王太子殿下に協力していたようだ。なるほど、この状況なら……付け入る隙はあるかもしれないぞ。




