第590話 盗撮魔副官とカワウソ選帝侯
長々と続いた会議がひとまず終わったのは、草木も眠っているような真夜中になってからのことであった。一致団結してヴァロワ王家と戦う、という点ではなんとか合意できたものの(腰が引けている者がまったくいなかったわけではないが、強引に押し切った)、まだまだ話し合うべき議題は残っている。とはいえ、流石にすべてを一度に決めてしまうのはいささか無理があった。残った問題はいったん棚上げし、明日以降に話し合うということになったのだが……。
「いやはや、なかなかに面倒なことになったわね」
カワウソ耳を生やした小さな選帝侯が、ウィスキーの入ったグラスを片手にそうボヤく。わたしは会議が解散した後も、私的な打ち合わせを続けていた。会場はわたしの私室だった。本当ならばそろそろいい加減に休むべき時間帯なのだが、今この精神状態でベッドに入っても眠れる気がまったくしない。こういう時は仕事に打ち込むのが一番だと心得ていたわたしは、客室に戻ろうとしていたツェツィーリアをとっ捕まえることにしたのだった。
「まったくだ。フランセットめ、奴だけは絶対に許さん……」
やけ酒代わりに水をあおりつつ、わたしは恨みがましい声を出した。気分的には当然酒を飲みたいところだが、残念なことにわたしは下戸だ。しかも卓を囲む相手があの油断のならぬ政治屋ともあれば、酒精で頭をボヤけさせるわけにはいかないのである。
「ツェツィーリア。貴様としては、このような戦争などには関わり合いになりたくない所だろう。しかし、わたしの方も手段を選んでいられるような場合ではないのでな。すまないが、腰を据えてわたしに付き合ってもらうぞ」
彼女の方をちらりと伺いつつ、牽制めいたことを口にする。先の戦争では我々に敗れた彼女ではあるが、その実力はいまだに健在だ。強大な王家に立ち向かうためには、エムズハーフェン家の協力は必要不可欠だった。今さら、「一抜けた」などという腑抜けたことを言わせるわけにはいかない。
とにもかくにも、これから始まる戦争ではエムズハーフェン家が要石になる。彼女らの経済力は頼りになるし、なによりミュリン家をはじめとしたもと帝国諸侯のまとめ役として機能するのが大きい。なにしろ我々の敵はガレアの王家なのだ。王国諸侯は、たとえ宰相派であっても信用ならない。裏切るまでは行かずとも、肝心なところで日和見を始める可能性も十分にあるだろう。
「まあ、契約は既に結んじゃってるわけだからね。それを勝手に反故にするのは、貴族としても商人としても、褒められた行いではないのは確かね」
グラスを軽く揺らしつつ、ツェツィーリアはニヤニヤ笑いを浮かべる。その口調はいつもの威厳に満ちたものではなく、身内や友人に向けるようなラフなものだった。
彼女の言う契約というのは、前回の戦いの講和会議で結んだ極秘の協力関係のことだろう。アデライドと彼女はなかなかに馬が合うらしく、大陸を縦断する交易ルートを確立する、などという壮大な計画まで立てている始末だった。
この計画が本当に実行されるかどうかはわからなかったが、カスタニエ家とエムズハーフェン家の同盟が経済力において強力無比なものであるのは確かだ。このような事態にさえならなければ、王国も神聖帝国も押しのけるような一大交易国家が誕生していた可能性は十分にある。
……つまり、ツェツィーリアは王家との戦争が現実化した現在でも、その計画をあきらめていないということか。いや、むしろ目障りな王国上層部の邪魔者を一掃する好機とすらとらえているかもしれない。そういう打算があるのならば、かえってこの女は信用できるかもしれないな。
「とはいえ、純粋な戦力としては我々はあまり頼りにならない。エムズハーフェン家のみならず、ミュリン家なんかのもと帝国諸侯連中もね。なにしろ我々は、あなた達リースベン軍に完膚なきまでにボコボコにされた直後ですもの。外征なんかに付き合ってたら所領が荒れ果ててしまうわ」
「わかっている。しかし、槍や小銃を振り回すばかりが戦争ではないのだ。直接的な戦闘では役に立てぬというのならば、それ以外の部分で努力してもらうことになる」
薄笑いを浮かべるツェツィーリアに、わたしはピシャリとそう言い返した。莫大な利益が見込まれる以上、よほど旗色が悪くならない限りエムズハーフェン家が裏切る心配はないだろう。とはいえ、ヤドリギよろしく働きもしないで利益ばかりむさぼられてはたまったものではない。最低でも儲ける予定の金額分くらいは働いてもらわねば。
「商船、隊商。エムズハーフェンの持つ最大の武器はいまだに健在だ。貴殿はこれを総動員し、我々の兵站を支えてもらう。アル様式の軍制は強力無比だが、そのぶん物資の消耗は尋常ではないからな。王都まで進撃するためには、エムズハーフェン家の輸送力は必要不可欠なのだ」
もともと、リースベン軍は外征に耐えられる軍隊ではない。エムズハーフェン領への侵攻ですら、ライフル兵・砲兵などの主力兵科の派遣は最低限しか行えなかったのだ。まして、今回の最終目標である王都はエムズハーフェン領よりなお遠方にある。王太子の首に銃剣を突き付けるためには、輸送力の抜本的な強化は必須だった。
「エムズハーフェンにとって、その手の仕事は本職みたいなものよ。期待された分の仕事くらいは、まあ果たせるでしょうね」
ウィスキーを舐めるように飲みつつ、ツェツィーリアはうかがうような目つきでわたしを見た。
「それから、弾薬の供給も。小銃や大砲本体はともかく、弾薬の方は原料さえ揃えば素人でも作れる程度の代物だからね。エムズハーフェン領じゅうの職工を動員すれば、かなりの量が確保できるでしょう。弾切れについては心配しなくても結構よ」
「ああ、そう言ってもらえると助かる。……契約は忘れていないな? 兵器類の製造法を教える代わりに、今後五年はタダで弾薬を供給し続ける約束だ。今次戦争の弾薬費は貴様持ちということになる」
「あ、覚えてた? ざーんねん。忘れていたら、高値で売りつけられたところなのに」
冗談めかした声でそう笑い、ツェツィーリアはグラスをコトンとテーブルに置いた。
「まあ、契約がある以上は仕方がない。今後は一切、こんな大サービスはしないわよ? せいぜい、元がどれるようどんどん撃ちまくることね」
「むろんだ」
その言葉に、わたしは今日初めて本心からの笑顔を浮かべた。本格的な戦闘が始まった後、補給物資の目録を見たこの女がどんな表情を浮かべるか想像がついたからだ。本格的な大会戦、それも後装式火器を多用するような戦いで、どれほどの量の弾薬が射耗されるか……古い戦争観を残した彼女には、まだ想像もついていないに違いない。
「とはいえ、サービスをするからにはそちらもしっかり便宜を図ってちょうだいな。少しくらいの役得がなきゃ、こっちもやってられないからね」
「便宜」
わたしは小さく呟いて、水の入ったグラスを傾け口内を湿らせた。
「商売人らしいやり口だな。……条件次第だ、言ってみろ」
「それほど面倒なことじゃないわ、安心して」
笑みを深くするツェツィーリア。たいへんに胡散臭い表情だ。もう一口水を飲み、ため息をつく。この女と話しているととてもくたびれる。
「ちょっとばかり順番をいじってほしいの」
「何のだ」
「初夜の」
「ゴホッゲホッ!」
予想外の要求に、わたしは思わずむせた。なんだ、初夜の順番って。いや、聞かずともわかっている。こいつは早くアル様を抱かせろと言っているのだ。王太子もたいがいに助平だが、どうにもこいつもその同類らしい。そんな気配など、いままでまったく見せて来なかったというのに……。
「…………考えてこう」
しばしの黙考のあと、わたしはそんな答えを返した。こんな時にそんな馬鹿なことを言うな、そう言い返してやりたいところだったが、なんとか堪える。
業腹ではあるが、初夜云々が交換条件になる時点でこいつは信頼できる相手だと理解できてしまったからだった。アル様を抱きたい気持ちがあるのであれば、そその相手が血筋以外に誇るべきもののないカスの手中にある現状には耐えがたいものがあるだろう。公的な利益と私的な感情、この二点で一致を見られるのであれば、我々の同盟もより堅牢な物になるに違いない。
「忘れないでほしいのだけど、アルは私にとっても花婿なの。苦難苦闘の末に得た良縁を、訳の分からないよそ者の手で潰されるわけにはいかない。少なくとも、彼を取り戻すまでは私とあなたの利害は完全に一致していると思ってもらって間違いないわ」
「なるほど、わかった」
咳払いをしてから、わたしはしっかりと頷き返した。確かに、ツェツィーリアの言うことも一理ある。
「いいだろう、これより我らは義姉妹だ」
わたしがそう言うと、カワウソ女はニッと笑って親指を立ててきた。……はあ、なんだかなぁ。頼りになるのは確かだが、コイツはどうにも油断ならん。いくさには協力してもらわねば困るが、それはそれとしてヤツが影響力を持ち過ぎないよう気を付ける必要もありそうだ。まったく、政治という奴は本当に面倒くさい。
「失礼します、ソニア様! 夜分に申し訳ありません!」
などと内心ボヤいていると、突然部屋のドアが激しくノックされた。その声には聞き覚えがあった、わたし専属の従者の一人だ。普段ならば決してこのような時間に訪ねてくるような無作法者ではないのだが……声音からして、おそらくはよほどの緊急事態だ。いやな予感を感じつつ、ツェツィーリアに目配せする。
「……」
「……」
彼女が頷くのを確認してから、わたしはドアに歩み寄って鍵を開けた。開いたドアの向こうに控えていた従者は、案の定焦燥の滲んだ顔をしている。
「どうした、こんな時間に」
「申し訳ありません」
重ねて謝罪してから、従者は顔に浮かんだ汗をハンカチで拭う。わたしは無言で言葉の続きを促した。
「実は先ほど、リュミエール鎮護騎士団から密使が送られてきたのです。なんでも、火急に伝えておきたい儀があるとのことで……」
「リュミエール鎮護騎士団……リュパン団長からか。なんともきな臭いな」
先の戦いで轡を並べた脳筋騎士の顔を思い浮かべながら、わたしは顔をしかめた。
「いったい、どのような要件なのだ」
「はい、それが……」
そこで言葉を切り、従者は視線をさ迷わせた。そして、意を決した様子で口を開く。
「ヴァロワ王家は、宰相陣営に与する貴族はすべて朝敵である、との声明を発表したようです。その結果、リースベン軍をよく思わぬ一部の貴族グループが勝手に討伐軍を組織し、既にこのリースベンに向かっている模様だと」
「討伐軍……なるほど、ヴァールの小娘だな」
先の戦争の後半、ずっとわれわれに食って掛かってきた羽虫のような貴族が居た。地方有力領主の長女、ヴァール子爵とその門閥たちだ。朝敵討伐という大義名分を得て、とうとう実力行使に出たわけか。小癪な……。
「王都遠征の前に足場固めが必要なことはわかっていたが……思っていたよりも動きが早い。どうやら、火事場泥棒の才能はあるようだな」
いい度胸だ、ブチ殺してやる。そう言ってやりたいところだったが、そうもいかない。なにしろリースベン軍は、主力部隊をミュリン領に残したままなのだ。撤兵には少しばかり時間がかかる。主力が戻ってくる前に、討伐軍がリースベン領に侵入したら……すこしばかり、厄介なことになる可能性がある。さて、どうしたものか……。




