第585話 くっころ男騎士の決戦(2)
敵戦力、騎兵一個中隊。我が戦力、装甲歩兵一、猟兵一。なんとも素敵な戦力差だが、こちらは味方が逃げ延びるための時間を一分一秒でも長く稼ぎ続けるという仕事が残っている。つまり、まだ白旗を上げるわけにはいかないということだ。
なんだか、前世の僕が戦死した作戦とよく似たシチュエーションだな。違いと言えば、前世の僕はたんなるいち中隊長で、今の僕は一国一城の主だという点だ。前世ならば気軽に捨てられた命でも、現世ではそういうわけにはいかないのである。死ぬ気でやれば大概なんとかなる、というのがモットーである僕としては、なんともやりにくい環境だった。まあ、偉くなればなるほど責任が増していくのは世の常だから、こればっかりは仕方がないのかもしれないがね。
「オヌシ、この状況でどう戦うつもりじゃ? まともにやれば、鎧袖一触でやられるのは目に見えておるぞ」
木製の刀身に黒曜石の刃がズラリと固定された物騒なエルフ式木剣を構えつつ、ダライヤがそんなことを聞いてくる。彼女の視線の先には、隊列を立て直しゆっくりとこちらに向かってくるマリッタ騎兵隊の姿があった。
敵は騎兵だが、その全身速度はそれほど早くない。馬の速度を常歩まで落としているのだ。もはや彼我の距離は至近であり、襲歩に移行すれば一瞬で剣の届く距離まで肉薄することができるだろう。しかし、マリッタは突撃号令を出そうとはしなかった。
それでいて、距離を取って射撃で方をつけようとする様子もない。彼女らは騎馬同士のチェイス時には盛んに牽制射撃を仕掛けてきたものの、僕らが下馬した後は一発の銃声も聞こえてこなくなっている。カービン騎兵の優位性をまったく生かそうとしないそのやり方は、はっきり言って舐めプそのものだ。
「なぁに……案の定、奴らは僕を生け捕りにするよう命令されているらしいからな。手加減を強いられているなら、まだやりようはあるだろうさ」
まあ、そうでなくともたった一人の男を完全武装の騎士百名近くが寄ってたかって袋叩き、などという行為はこの世界の騎士道では完全にアウトだ。貴族としてのメンツもあるだろうし、そうそう物騒な手は使えないだろう。そもそも、フランセット殿下自身が僕の殺害を禁じている可能性も高いし。
こういう敵の甘さに期待した作戦には正直言ってかなりの抵抗感を覚えるんだが、そもそも敵方が甘さを見せなきゃ絶対に成功しないのがこの逃避行だからな。もはや、僕としては腹をくくって敵地に飛び込む以外の選択肢はなかった。マリッタが本気で僕を殺しに来たら……その時はその時だろ。
「ワシにも手加減してほしいもんじゃがのぅ」
「そいつは無理な相談だろ」
「なんとまあむごいことを……ガレア騎士はワシのような童女に手を上げる鬼畜どもなのかの?」
「ハハハ、面白い冗談だ」
笑い飛ばしてやると、ババアは頬を膨らませつつ僕に半歩近寄った。僕を盾にする腹積もりなのだろう。実際、彼女が生き残るには徹頭徹尾僕を壁として活用する以外の選択肢はない。もし護衛役がソニアやネェル、ジョゼットならばそんなやり方は絶対に拒否するだろう。なにしろ彼女らは誇り高き戦士たちだ。
……だが、このロリババアはそうではない。必要ならば男を盾にするくらい平気でやる。そういう彼女らからこそ、こんな無茶な作戦にも遠慮なく投入できるのである。外道とハサミは使いよう、ってヤツだ。
「……ほう。マリッタのヤツめ、予想以上に紳士……いや、淑女的だな」
そんな話をしている間に、敵騎兵隊はとうとう完全に歩みを止めていた。そして、次々と下馬しはじめる。どうやら、馬上から一方的に攻撃されるような事態は避けられたようだ。正直に言えば、かなり有難い。騎馬状態の敵と戦うの、結構しんどいんだよ。特に、今回の僕は長物の武器を持ってきていないしな。
「模範的エルフならば『敵から手心を受くっなど屈辱ん極み!』といって憤激するべき状況じゃの」
ババアが何か言っているが、もちろん無視だ。なにしろ僕はエルフの戦士ではなく只人の騎士だからな。
一方、マリッタ側は下馬した騎士らが横隊を組み、剣や銃剣付きの騎兵銃などを手にジリジリと接近をし始めた。着込んだ甲冑に月光が反射し、ギラリと輝く。いやはや、凄まじい威圧感だな。今すぐ尻尾を巻いて逃げたい気分だ。まあ、そういうわけにもいかないんだけど。
「天下に武名のとどろくスオラハティ軍が、男と童女の無害な二人組に対してずいぶんと警戒してるじゃないか。そんな剣呑なものをつきつけられたら、怖くて腰が抜けてしまうよ。勘弁してくれ」
努めて気楽な声で、騎士らにそう語りかける。僕の仕事はあくまで時間稼ぎだ。無暗に襲い掛かって一瞬で蹴散らされるような馬鹿な真似をするわけにはいかん。
「ガレアで、いや大陸西方で一番物騒な男がよくもそんなことを言えたものだな! 貴様が無害なら剣牙虎だって可愛らしい子猫に等しいだろうさ!」
返ってきた答えは、まったくもって心外なものだった。こちらとら、魔法でブーストしてやっと一瞬だけそちらの筋力に肉薄できる程度のクソザコ剣士なんだぞ。いくらなんでも警戒しすぎじゃないのか?
さらに言えば、今の僕は武装ですらマリッタ騎兵隊に劣っている。機密の塊であるボルトアクション小銃を、捨て石前提の作戦に投入するわけにはいかないからな。鹵獲の憂き目を見ないよう、最初から置いてきているのである。頼りになる武器はいつものサーベルとリボルバー拳銃、そしてお守り代わりの雷の短剣だけだ。
「ひどいことを言ってくれるじゃないか。君たちの腕力ならば、一対一であっても容易に僕をねじ伏せられるだろうに。おお、怖い怖い」
「『やだ、お姉さんこわーい』だと!? こ、このオスガキ……! どれほど我々を煽れば気が済むんだ!」
誰もそんなことは言ってねえよ! シバくぞ!
「まったく、竜人はどいつもこいつも色ボケばかりじゃのぉ」
ボソリと呟くダライヤ。……い、いや、流石にそういう訳では……ジルベルトなんかは真面目だしさ。
「敵と馬鹿話に興じるんじゃない……」
呆れたような声でそう言い、横隊から一歩前に出る騎士が居た。全身甲冑とフルフェイスの兜のせいで分かりづらいが、声からしてマリッタだろう。羽織っているサーコートにも、剣と盾を象ったスオラハティ家の紋章が描かれている。……やっぱり、見慣れた紋章をむこうに回すのは嫌な気分だな。あの家は、僕の第二の実家みたいなものだったのに……。
「アルベール、四の五の言ってないでさっさと降伏しろ。いかに貴様とはいえ、この状態からの逆転は不可能だ。無駄に抵抗して手間を取らせるな」
冷たい声で、マリッタはそんな言葉を突き付けてくる。……いやはや、マリッタめ。予想の三倍くらい淑女的じゃないか。決別した時のあの語気を思えば、最悪フランセット殿下に背いてまでこちらを殺しにかかってくるのではないか、という懸念すらあったんだが。
しかし、実際に相対してみればこうしてちゃんと降伏勧告までしてくれるのだから驚きだな。やはり、コイツはソニアの妹だ。一度身内と認めた相手には優しく甘い。根っこの部分がよく似ている。
「まあ、いいじゃないかマリッタ。お前だって、僕に思うところがあるんだろう。いい機会だ、一度剣で語り合ってみることにしないか」
僕は剣を構えたまま、肘でヘルメットのバイザーを上げた。そして努めて好戦的な笑みを顔に張り付け、そう言い返してやる。上手いことやれば、一騎打ちに持ち込めないだろうか?
流石に、この数の騎士を相手に大立ち回りをするのはしんどいんだよな。まあ、ババアの援護を受ければ瞬殺は避けられるだろうが、僕の剣術は完全な短期決戦型だからな。騎士ひとりふたりくらいなら倒せるかもしれないが、それ以上は続かない。いや、スオラハティ家の騎士の実力を思えば、一人倒すのもしんどいかも。相手は一人一人が精鋭で、雑兵などとは比べることすらおこがましい。
「…………いいだろう」
しばらく逡巡したあと、マリッタはさらに一歩前に出た。彼女が無言で手を横に伸ばすと、気の利いた従者が駆け寄ってきて短槍を恭しい態度で差し出した。受け取ったそれを、マリッタは軽く振るった後で肩に担ぐ。この短槍こそが、彼女の得意とする獲物だった。
「いけません、マリッタ様!」
慌てた様子で、副官がマリッタを止めた。どうやら、向こうにも冷静な奴がいるらしいな。そりゃそうだよな、普通に考えてマリッタが戦う必要なんかない。彼女は剣を振るうまでもなく、ただ一言部下に攻撃を命じればいい。それだけで、我々はあっという間に殲滅されてしまうだろう。
「アルベールの言葉に耳を傾けてはなりません! 彼を毒夫と断じたのは、マリッタ様ご自身でしょう!?」
幾人かの騎士が、副官の言葉に同調して頷いた。僕はちらりとロリババアに目配せする。彼女は頷き、何かの呪文をボソボソと唱えた。虚空から突然稲妻が生じ、騎士隊の眼前の地面に突きささる。暴力的な雷鳴が鼓膜を叩き、下草が一気に燃え上がった。
「うわっ!?」
さしもの騎士らもこれには面食らい、一歩さがった。それを見て、ダライヤがニンマリといやらしい笑みを浮かべた。そして雷鳴による耳鳴りが収まるころを見計らって口を開く。
「集団戦がやりたいならば、それは結構。しかし、知っとるかのぉ? 雷は金気を好むのじゃ。かような金属鎧に身を包んだオヌシらに、稲妻の雨が降り注げばどうなるか……ぬふふ、一網打尽という言葉の意味を身をもって知ることになるじゃろうな」
「こ、コイツ……雷系の魔法が使えるのか!? スオラハティ家お抱えの魔術師ですら習得している者がほとんどいない、あの最難関クラスの魔法を……」
「そういえば、レーヌ城の戦いでも晴天に雷が落ちていた! あの術者はコイツだったのか……」
ざわざわとし始める騎士たち。魔装甲冑は魔法に対しても高い防御力を発揮するが、鉄製である以上電撃はそのまま素通ししてしまう。雷魔法は、いわば甲冑騎士キラーなのである。
おまけに、現在マリッタの騎兵隊は密集陣形を取っている。まあ、こちらは火砲など持っているはずもないので、白兵戦だけを考えるならこの陣形が最適解ではあるのだが……僚友と肩が触れ合うほどに密集している中に雷を撃ち込まれたら当然ながら大事になる。おそらく、一発で複数名の騎士が倒れるのは間違いあるまい。遅ればせながら、彼女らは自身の戦術が誤っていたことに気付いたようだった。
「むろん、ワシは一騎討ちを邪魔するほど野暮ではない。じゃが、オヌシらがくんずほぐれつの乱戦を望むのであれば、付き合う用意はできておるぞ?」
「……」
この発言には、あの小うるさい副官も黙らざるを得なかった。雷魔法を乱発されれば、下手をすれば二桁以上の騎士が死傷する可能性もある。たった二人の人間を制圧するためにそれほどの犠牲を出すのは、はっきり言って割に合わないだろう。優秀な騎士を育成するためには、最低でも五年以上の年月が必要なのだ。大きな戦乱を控えた今、そんな損失を許容するだけの余裕がマリッタ一派にあるのだろうか?
いやはや、しかし流石はロリババアだな。牽制攻撃一発で、場の空気を完全に掌握しやがった。このまま膠着状態に持ち込めば、彼女は敵と刃を交えることなく作戦目標を達成できるわけだな。この要領の良さは本気で見習いたいところだ。
「……ふん、流石はアルベール。羨ましくなるほど部下に恵まれている」
マリッタは複雑な感情の含まれた声でそう言い、ゆっくりと愛槍を構えた。そして、その穂先を真っすぐに僕へと向けてくる。
「まあ、構わんさ。確かに、男一人を大の女が何十人もよってたかって袋叩きにするのは見苦しすぎる。敵がアルベールだけならば、ワタシ一人がいれば十分だ……」
おお、おお、本気で一騎討ちにのってくれたぞ、この女。やっぱり、根の真面目さは昔から変わってないんだなぁ。心の奥底でジーンとしたものを感じつつ、僕はニヤッと笑って兜のバイザーを下ろした。
「よろしい。ならば、いざ尋常に勝負といこうか」




