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第581話 くっころ男騎士の敗北(1)

 夜の農道を、馬に乗って駆けていく。北国だけに、真夏と言えど夜の風は涼しく爽やかだ。左右に広がる麦畑は既に刈り取りが終わっており、麦の代わりに青々とした雑草が茂りつつある。そんな農地が地平線の向こうまで続いてくその景色は、緑の大洋と呼ぶにふさわしい壮大さだ。


「これが単なる夜の遠乗りなら、これほど気持ちのいいシチュエーションもないんだがな。残念だよ」


 馬の手綱を握りつつ、僕は小さくボヤいた。森を発って、すでに三十分ほどの時間が経過している。今のところ、敵が現れるそぶりはなかった。むろん警戒は緩めていないが、ここまでくると流石に景色を楽しむ余裕も出てくるというものだ。

 ちなみに、急ぎ旅とはいっても馬の歩行速度はそれほど早くはない。せいぜい、小走りといったところだ。本当であればもっと急ぎたいところなのだが、馬だって生物だからな。急かせば急かすほどあっという間にバテてしまう。全力疾走なんかさせた日には一キロも持たずに潰れちゃうんだよ。まして、我々が乗っているのは本式の軍馬ではなく普通の乗用馬だ。体力配分には細心の注意が必要だった。

 流石に、こういう時ばかりは前世に戻りたくなるよな。自動車であれば、何時間アクセルを踏み続けても燃料が続く限りは走り続けられるというのに。機械化バンザイって感じだ。こっちの世界じゃ、まだ蒸気機関車すら実用化できてないからなあ……。


「実際は追手から逃れるための逃避行じゃからのぅ。風情がないこと甚だしいワイ」


 そう答えるのは僕の背中に抱き着いたロリババアだった。彼女は馬術を修めていないため、僕の馬に同乗しているのである。……もっとも、馬に乗れない云々は自己申告だ。四桁年も生きているババアが、乗馬技能を持っていないなどということがあり得るのだろうか? 正直、怪しいよな。まあ、ババアとの二人乗りは僕としても大歓迎なので、あえて追及はしないけどさ。


「いや、ある意味絵にはなるかもしれんのぅ? 美しい男騎士が、色に狂った愚かな王太子の手から逃れるべく手勢を率いて夜に駆ける……うむ、まるで一枚の絵画のようじゃのぅ」


 そう言ってロリババアがケラケラと笑う。美しい男騎士って、僕のことか? 流石にそいつは美化しすぎじゃないかねぇ。絵ならそれでいいんだろうが、現実の僕はこの世界の男性としてはデカい、ゴツい、野蛮の三重苦状態だぜ?


「相変わらず肝が太いねえ、君たちは」


 アデライドが呆れた目つきでこちらを見てくる。そんな彼女は、四本脚をシャカシャカと動かして騎馬隊に追従しているネェルの背中にしがみついていた。こちらは……なんというか、絵画にはしにくい絵面だな。正直、あんまり格好良くない。というか、いっそ滑稽にすら見える。もちろん、本人には言わないが。


「いつ敵の追手が現れるともわからない状況だ。私としては、どうにも落ち着かない」


「気分はわかるよ」


 苦笑しつつ、僕はそう返した。周囲は地平線の向こう側まで農地が続いているから、敵が接近すればすぐに気付くことができるだろう。だが、相手が騎兵隊ならばそんなことは気休めにもならないというのが正直なところだ。乗騎の差のせいでチェイスになれば勝ち目はないし、鉄砲で弾幕を張るような戦い方もできない。下手に発砲すれば乗っている馬がパニックを起こして暴れだしかねないからだ。

 要するに、敵騎兵に遭遇すればその時点で何もかもお終い、ということになる。心配するな、という方が無理だよな。実際、僕自身も内心ではだいぶ焦れている。とはいえ、指揮官が動揺を表に出すわけにはいかんからな。表向きだけでも、泰然自若とした態度を取り続けねばならない。


「まあ、大丈夫。最悪の事態に備えた手は用意してあるから、安心してほしい」


「……こういう状況でも平気な顔でそんなことが言えるのが、アルのアルたるゆえんだなあ。まったく、女の私の立つ瀬がないじゃないか」


 自嘲交じりの苦笑をしてから、アデライドは首を左右に振った。


「しかし、最悪の事態か……それはたとえば、マリッタ本人が自前の騎兵隊を率いて猛追してくるとか、そういう状況も想定しているということかね?」


「もちろん」


「流石、というほかないな。良ければ、今のうちに作戦の概要を話しておいてもらって良いかね? 君の作戦は突飛なものばかりだからねぇ……心の準備が必要なのだよ」


「んー」


 僕は少し思案してから、視線をネェルのほうに移した。彼女は四本の脚をシャカシャカと動かしながらこちらの動きに追従してきているが、その目は疑いの色を浮かべてこちらに向けられている。ああー、どうしようかな、コレ。ネェルは頭も察しも良いからなあ、こっちの考えが全部バレてるのなら、誤魔化しても無駄だろうが。ううーむ。


「アル様! 後方より騎兵集団が接近中!」


 などと思案していた時だった。警戒役の騎士が、鋭い声でそう警告を発した。それを聞いた僕の背中に寒気が走り、次いでため息が漏れた。この状況で、後ろからやってきた騎兵どもが味方であるはずがない。つまり、敵の追手。僕は賭けに負けたという事か。口をへの字に曲げつつ、僕は後ろを振り返る。


「わあ」


 子供のような声が漏れた。そこに居たのは、土煙を上げながら爆走する大勢の騎兵集団。数えてみると……いや、数えるのもアホらしい数だからやーめた。とにかく沢山だ。少なくともこっちの三倍はいる。ワンチャンすら狙えない戦力差だな。耳をすませば、地響きのごとき蹄の音も聞こえてくる。正直、滅茶苦茶コワイ。

 相手方は地平線の間近にいるから、彼我の距離は五キロ弱といったところか。遠距離かつ夜間ということで、流石にどこの誰が追いかけて来たのかまでは判別できないが……どうにも嫌な予感がする。もしかしたら、本当にマリッタが追いかけてきたのかもしれない。たとえそれが勘違いで、敵の兵科が軽騎兵の類でも結局のところ結果は変わらないだろう。どうせ、こちらは最大の武器であるライフルが使用不能になっているわけだし。


「総員、駈歩(かけあし)! 急げ急げ、連中に捕まったら終わりだぞ!」


 指示をしつつ、僕も自身の馬に拍車をかける。相手がマリッタの重装騎兵隊であれ、普通の軽騎兵隊であれ、あの数の敵と乱戦になればこちらに勝ち目はない。取れる手段は逃げの一手だけだ。いやあ、参った。マリッタめ、僕の作戦を読んでやがったな。そうでもなきゃ、夜間にこうも素早く追撃部隊を差し向けられる道理がない。やるじゃないか、流石はソニアの妹だ……!

 こりゃもう、完敗を認めるほか無さそうだな。まあ、一個小隊の戦力で遠征軍一つを敵に回していたわけだから、最初から無茶な戦いだったのは確かだが。とはいえ希望が見えていただけに、いささか悔しいのは事実だろ。はあ、ヤンナルネ。

 ま、今さら四の五の言ってても仕方ない。僕は自らの頬を全力でビンタし、気合を入れた。まだ作戦が失敗したわけではないのだ。やるべきことを果たせば、敗北は避けられる。次善の策ってやつだ。


「アル様、どうします? 戦闘は論外ですが、追いかけっこでもこちらは不利ですよ」


 ジョゼットが馬を寄せてきて、そんなことを聞いてくる。実際、スピードを上げたというのに敵との距離はまったく開いていない。いや、それどころかジリジリと縮まりつつあった。相手の方がスピードが速いのだ。

 これはもちろん乗騎の差もあるが、一番の問題は重量だ。二人乗りをしているのは僕だけではない。近侍隊員のほとんどが、乗騎に従者を同乗させているのだ。一人ひとりに馬を配分するほどの余裕がなかったのだから仕方がないが、一人乗りと二人乗りではスピードに露骨な差が出るのは当然のことだろう。このままでは、じきに敵の肉薄を許すことになるだろう。


「大丈夫だ。ここからしばらく道なりに進めば、右手に小さな森が見えてくる。いったんそこに逃げ込んで、敵を撒けばいい」


「森、ですか……ちなみに、具体的な距離はいかほどで?」


「十キロくらいかな。いや、もうちょっと遠いかも」


「……」


 どう考えてもそんなに逃げ延びるのは無理だろ! そう言いたげな様子で、ジョゼットは僕を睨んだ。うん、その通りだね。まちがいなく、十キロも進む前に敵に捕まっちゃうだろうね。うん、わかってるわかってる。


「総員、傾注!」


 そんな近侍隊長を無視して、僕はそう叫んだ。アデライドに語ったように、こういう事態に備えた策は用意してあるんだ。最悪の想定が現実になった以上、もはや躊躇はしていられない。内心で決意を固めるのとほぼ同時に、背中側のダライヤが聞えよがしにため息をついた。


「これより、近侍隊およびネェルの第一目標をアデライドを無事にリースベンへと送り届けることに定める。それ以外のことに命を賭けるのはまかりならん、いいな!」


「う、ウーラァ!」


 応える近侍隊の声には、隠しきれない困惑が混じっていた。薄く笑い、ネェルの方を見る。彼女の顔には苦々しいものがあった。


「アルベールくん、まさか」


 おっと、言わんよ。僕はフイと彼女から視線を逸らした。ネェルは優しい子だからな。下手をすると、自分が"捨てがまり"をして時間を稼ぐとか言い出しかねない。それじゃ困るんだよな。彼女はリースベン軍の重要な戦力だし、僕の大切な友達でもある。そしてついでに言えばおそらくカマキリ虫人はネェルが最後の一人で、彼女が死ねば名実ともに絶滅ということになりかねない。つまり、何が何でも彼女を死なせるわけにはいかない。

 敵がマリッタならば間違いなくライフルで武装している。夜目の利かないネェルを突っ込ませるのはハッキリいって無謀だろう。こういう事態を予測していたからこそ、僕は彼女の背中にアデライドという重石を乗せたんだ。彼女の命を背負っていれば、あの勇敢なカマキリちゃんも無茶な真似はできまい。


「これより僕とダライヤは敵騎兵隊の遅滞作戦を開始する。諸君らは後ろを振り返らず、ひたすらに生還を目指すように。これは命令であり、抗命は死罪である。以上!」


「おい、アル! きみ、何を馬鹿なことを言ってるんだ! 自分を犠牲にして時間を稼ぐつもりか? ふざけるなよ!」


 激怒した様子のアデライドが叫んだ。近くに居たら、ブン殴られてもおかしくないような迫力だ。それが面白くて、僕は思わずクスクス笑った。


「犠牲? いや、そうはならない。殿下は僕を救うという大義名分で事を起こしたからね。捕虜になっても、僕はきっと処刑されない。……ババアはちょっと怪しいかな。どうする? ダライヤ。最悪、この作戦は僕一人でも完遂できる。君はアデライドの方についてもいいが」


「嫌じゃ」


 ロリババアの返答は端的だった。実際のところ、僕はいざという時には自分一人で敵陣に突っ込んで時間を稼ぎますよ、という話をババアにだけはしていたのだ。彼女はそれを否定せず、ただ「ならばワシも連れて行け」とだけ言った。確かに、魔法の名手であるダライヤの助力を得られるのは有難いんだがな。僕と違って、こいつは王太子殿下に嫌われているだろうからな。助命がかなうかどうか、ちょっと自信が持てないんだが……。


「あっそ。じゃ、付き合ってもらおうか」


 まあ、僕だってもしかしたら死ぬ可能性もあるんだ。前世は一人で死んだからな、二度目の死は看取る人が居てほしいという気分もある。相棒を連れて行くのもまあ悪くは無かろう。


「アル! おい! 聞いてるのか!」


 問題は怒りに燃える宰相様だ。ネェルの背中の上で拳を振り上げる彼女に、僕はウィンクをしてみせた。


「アデライド、リースベンに帰ったらみんなに伝えてくれ。『君たちの助けが来るのを待ってる』ってさ」


 僕の自意識過剰でなければ、この文言一つでわが軍の士気はかなり上がるだろう。あとは、ソニアとアデライドに任せておけばいい。この戦争だけを見るなら、僕が脱落するよりもアデライドが脱落したほうが何倍も困ったことになるからな。なにしろ、彼女はガレア国内の有力貴族の取りまとめ役で、わが軍の兵站の大元締めでもある。アデライドがいない状況では、対王家戦争は戦えない。

 ニッコリと笑いながら、僕は皆を見回した。アデライドは怒り狂っている。ネェルは、そんな宰相閣下と僕を交互に見ながらオロオロしていた。おそらく、本心では僕の代わりに出陣したいのだろうが、アデライドをどうしようか迷っているのだろう。ははは、作戦通りだ。

 そしてジョゼットらは、口々に僕に再考を促す言葉を叩きつけている。そう言ってくれるのは有難いが、この状況を捨て駒抜きで切り抜けるのは無理だからね。なら、出来るだけ少ない犠牲で済む手を取るのが指揮官の役割だろ。餌としての価値は、ジョゼットら一般騎士よりも僕の方が圧倒的に高いわけだし。僕にしかこなせない仕事なんだから、僕がやるほかないだろ?


「では、さらば諸君! また逢う日まで!」


 彼女らを一切無視して恰好を付けた台詞を吐いた後、僕は手綱を引っ張り乗騎を強引にUターンさせた。ネェルが鎌を伸ばして止めようとするが、ヒョイと避ける。さあ、さあ、愉快なことになって来たぞ。わずか一騎、二名の兵力で一個中隊以上の騎兵を足止めしなくてはならないんだ。コイツはよほどの難問だぞ。やりがいがありすぎて、もう笑うほかないんだよな。


「ハハハハッ! いくぞババア、吶喊だ!」



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― 新着の感想 ―
[気になる点] もう流石にフィオレンツァ司教、騒動が終わったら見限られてもおかしくないレベルよね
[良い点] この男はどの口でエルフを野蛮とか言ってんだ
[良い点] 怒り狂った嫁ーズが王国軍を蹂躙するのが楽しみで仕方ないです。
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