第576話 くっころ男騎士のネタバラシ
ラ・ルベール司祭に案内された一般宝飾品店の裏庭。そこには、井戸に擬装された秘密の地下道があった。司祭曰く、地下道は市外へとつながっているそうだ。どう考えても、このような施設を一般人が建造・管理するのはまず不可能。つまりこの地下道は、レーヌ市に住まう貴人がいざという時のために用意した秘密の脱出経路なのだ。
最大級の軍機密であるはずの脱出経路の存在を、なぜガレア王国側の人間であるポワンスレ大司教が知っているのか。あまりの異常事態にさしものアデライドも困惑しきりだったが、その疑問を当のラ・ルベール司祭にぶつけても仕方がない。ひとまず我々は、司祭の勧めに従い井戸の底に降りることにした。
「はぁ。去年の引き続き、今年もまたこの手の施設を利用することになるとは。たいがい、私の人生も波瀾万丈だねぇ」
アデライドの漏らした愚痴が、闇で満たされた空間に響いて消える。井戸の底から横穴を掘るという形で建造されたこの地下道は、狭い、暗い、湿っぽいの不快な三拍子が揃っている。幅は大人が両手を広げれば左右の指先が壁に触れる程度であり、なかなか圧迫感があった。それに加えて、光源は各々が手に持った小さなランタンのみ。その光が届かない範囲には、壁と錯覚しそうなほど黒々とした闇が横たわっている。
そんなダンジョンのような場所を、僕たちは一列になって前に進んでいた。前列と後列にはそれぞれ近侍隊員が立ち、敵の襲撃に備えている。僕たちのポジションは、その間にある安全な中列だ。ちなみに、ラ・ルベール司祭とは地上で別れている。地下道は一本道なので、案内がなくとも迷うことはないでしょう……とのことだった。
そんなこと言って、有毒な煙幕弾でも投げ込んでくるんじゃないでしょうね? そんな疑問は拭い難かったが、まあ今さら大司教サイドを疑っても仕方がない。僕たちとしては、向こうを信用するほかなかった。
「ぬふふ、ワシはこういう経験は両の手の指で数えても足らぬほどあるぞ? 後学の為、あれこれ語って進ぜよう」
こんな時でもダライヤの軽口は止まらない。相変わらずの様子に、僕とアデライドは揃って苦笑した。
「隙あらば経験マウント。これだから長命種は嫌われるんだねぇ」
「まってくださいよ、アデライド様。長命種とか無関係にこのババアは性格最悪ですよ」
「あっひどい! アデライドとジョゼットが寄ってたかって年寄りをいじめるんじゃ。慰めておくれ~」
わざとらしく哀れっぽい声を出しながら抱き着いてくるクソババアに、いよいよ僕は笑いが抑えられなくなった。深刻な状況でも、ダライヤはどこ吹く風といった調子を崩さない。この程度の危機など、彼女の長い人生においてはそれほど珍しいものではないのだろう。正直、こういう人がそばにいてくれるのは本当に助かる。過剰に深刻ぶっても、精神が疲弊するばかりだからな。
ダライヤの触り心地の良い頭をぽんぽんと撫でつつ、僕は小さく息を吐いた。そして、ランタンの微かな明かりに照らされたアデライドの顔をチラリと見る。付き合いが長いだけあって、これだけで彼女はこちらの意図を察してくれた。
「……色ぼけ老人はさておき、そろそろネタばらしをしてもらっても良いかね? どうやら、ポワンスレ大司教には人には言えない秘密がいろいろとあるようだが」
「まあ、だいたい予想はつくがのぅ」
アデライドの疑問に答えたのは、僕ではなくロリババアの方だった。彼女は僕の脇腹に頬擦りをしつつ、隠微な目つきでこちらの目をじっと見据える。シリアス顔がしたいならセクハラは止めてもらえませんか。
「要するに……裏切り者なんじゃろ? 大司教とやらは」
「流石はダライヤ。亀の甲より年の功って感じだ」
その指摘は実に的を射たものだった。僕は頷き、視線を巡らせる。
「ガレア王国と神聖オルト帝国は歴史的な敵国同士で、貿易も最低限度しか行われていない。逆に言えば、競争者がいないぶん両国間の交易を仲介すれば濡れ手に粟でぼろ儲けできるというわけだ。ちょうど、今のリースベンのようにね。……ポワンスレは、密輸ネットワークの元締めの一人なんだ」
「……確かに、そういう噂は聞いたことがある」
神妙な顔で唸りつつ、アデライドはダライヤを強引に僕から引き離した。
「つまりポワンスレは、この街の代官とグルだったんだな?」
「そう。王室直轄領の近傍を治める大司教と、神聖帝国でも三指に入る交易都市の代官。この二人が手を組めば、生まれる利益は莫大なものとなる。彼女らはそれぞれの主君に隠れて手を結び、私腹を肥やしていた」
「そうするともしや、この地下道も……」
「密輸ルートの一つだったんじゃないかな? 詳しい事は知らないけどさ。でも、代官が主君に内緒で密貿易をするなら、正門を通さずに物品をやり取りするルートは欲しいだろうし……」
ポワンスレ氏がレーヌ市遠征軍に参加したのも、おそらく偶然ではあるまい。実際、この街の守将であったレーヌ市代官は、王軍に捕まることなく逃げおおせている。重包囲下におかれた都市から無事に脱出するというのは、今我々が居るような地下道を利用したとしても容易なものではない。その逃亡の裏に、大司教の手助けがあったことは想像に難くなかった。
「なるほど、ポワンスレらしい」
そう言って口角を上げたアデライドだったが、すぐに表情を真面目なものに戻して僕をジロリと睨んだ。
「しかし、解せないねぇ。なぜアルがそのような情報を知っているんだね? 他人の秘密を探るような趣味も組織も、君は持ち合わせていないはずだが……」
「フィオに、フィオレンツァ司教に教えてもらったんだ。いざという時は、この情報を盾にして大司教に手助けしてもらいなさい……ってさ」
我が幼馴染の一人、フィオレンツァ司教はなぜかやたらと他人の醜聞に詳しい。そしてその一部を、僕にも教えてくれていたのだ。『アルベールさんは敵も多いのですから、万一の時に味方になってくれそうな方を教えておきます』……これが、彼女の主張だった。当時は、いやいや、そんな汚い手段使いたくねえよ、という感じだったのだが……まさか、本当に役に立ってしまうとは。有難くもあり、残念でもある。
「やはりあの司教殿かぁ……」
驚くほど渋い声でそう言ってから、ダライヤが深々とため息をついた。
「……ぶっちゃけ、怪しくないか? あの坊主」
「…………」
その指摘に、僕は黙り込むしかなかった。フィオレンツァ司教は幼馴染だ、疑いたくはない。彼女が聖人と称えられるにふさわしい人間であることは、その活動を間近で見てきた僕自身が一番よく承知している……はずだ。にもかかわらず、僕はダライヤの疑念を即座に否定することができなかった。ラ・ルベール司祭が言っていた、フィオレンツァ司教の怪しい噂。あれが僕の心にトゲのように突き刺さっているのだった。
いやしかし、ロクデナシとわかっている相手がもたらした怪しい噂を真に受けるのもなぁ。それに、今回ポワンスレ大司教の助力が得られたのも、フィオレンツァ司教の心配りのおかげなのだ。その彼女を疑うなど、とんでもない話ではなかろうか……?
「ま、ワシは勘で疑っているだけじゃからの。確証があるわけではない」
こちらの思考などすべてお見通し、という表情でダライヤは僕の目を真っすぐに見据えた。
「しかしオヌシは既に、"幼馴染だから"で相手の何もかもを過信して良い身の上ではない。そのことは、ゆめゆめ忘れぬことじゃ……」
その言葉に、僕は無言で頷くほかなかった。




