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第574話 くっころ男騎士の決断

 ポワンスレ大司教の手引きでレーヌ市を脱出することになった我々だったが、流石に今すぐとはいかなかった。むろん気分としては一分一秒でも早く"敵"から距離を取りたいのだが、時刻は既に夕刻になっている。普通の隠密作戦ならば夜闇は有利に働くが、この街には既に厳戒態勢が敷かれている。昼間ですら出歩く者が少ないような有様だから、当然夜ともなればまったく人気が無くなってしまう。そんな中で出歩けば、却って目立ってしまうだろう。

 そういうわけで、我々はレーヌ市で一夜を過ごすことを強いられた。当たり前だが、元の宿には戻れない。そこで、僕たちはラ・ルベール司祭にセーフハウスを用意してもらうことにした。正直、彼女らはあまり積極的に頼りたい相手ではないのだが……背に腹は代えられない。


「くたびれているのは間違いないが、どうにもゆっくりできるような気分になれないねぇ……」


 古びたボロ椅子に腰を下ろしながら、アデライドが深々とため息をついた。ラ・ルベール司祭に案内されたセーフハウスは、ダウンタウンの一角にある一般の民家だった。その内部はひどく荒されており、まるで嵐が過ぎ去った後のような有様だ。その上、最近まで人が住んでいた気配があるわりに住人の姿はない。

 どうにも嫌な感じのする家屋ではあったが、僕は頭を振ってこの場所で何が起こったのかについて考えることをやめた。戦時下、とくに籠城戦の後にはよくあることだ。今ここで直近に起きた悲劇に思いをはせたところで、得られるのは憂鬱な気分だけだろう。


「気分は分かるけど、休める時に休んでおかないと肝心なところで力が発揮できなくなるからさ」


 そうは言ってみたものの、当の僕自身もゆっくりと体を休める気分にはなれなかった。そもそも、ここを提供してくれたポワンスレ大司教その人があまり信用ならない類の人間なのだ。僕らを庇うフリをして、裏でフランセット殿下に尻尾を振る……そういう事態も考えられなくはない。万一この家に王軍が攻め寄せてきた時に備え、僕も近侍隊も警戒態勢は解いていなかった。

 ……まあ、そうは言っても大司教の助力が無いとだいぶ厳しい戦いを強いられるのも確かなんだが。むろん彼女が裏切った場合に備えたプランも用意しているが、それを実行するとひどく荒っぽく成算の低い戦いを強いられる羽目になる。上手くいったところで、生きてリースベンの土を踏める者はそう多くないだろう。そうはなりたくないので、心の中ではとにかくポワンスレ大司教が寝返りませんようにと祈っている。


「なぁに、エムズハーフェン家の手の届くところまで逃げ延びることができれば、あとは何とでもなる。逆に言えば、明日こそが一番の難所じゃ。今日のところは、それに備えてしっかりと心身を休めておくことじゃな」


 ワラ束にツギハギだらけのシーツをかぶせただけの粗末な寝台に寝転がりつつ、ダライヤが言った。その言葉に僕とアデライドは小さく頷き、揃ってため息をついた。

 この街を脱出した後も、王軍による追撃は続くだろう。こんな事態になった以上、王家と宰相派の衝突は避けられない。フランセット殿下としても、僕やアデライドの身柄は何としてでも確保しておかねばマズイ。追撃は想像を絶するほど苛烈なものになるだろう。

 それを逃れるためには、あのカワウソ選帝侯……エムズハーフェン家の力を借りるほかない。彼女らは河の物流を握っているから、荷物に紛れて僕らを逃がす程度のことは容易にやってのけるだろう。ただ、エムズハーフェンは帝国諸侯だ。その助けを得るためには、ガレアの勢力圏から脱する必要がある。そこまでは、僕たち自身の力で逃げ延びる必要があるというわけだ。


「今はひとまず無事にリースベンに戻ることが最優先だな。とはいえ、今のうちに王家を相手にどう戦うかについては考えておいた方がいいだろうけどさ……」


 少し笑って、僕はため息をついた。僕としては王家に弓引くつもりなどさらさらなかったのに、もはや事態はそれを許さない。無実の罪で領地領民も嫁も自らも王家に差し出してやるような真似は、流石にできなかった。


「対王家戦争、か……」


 アデライドが複雑な声音でそうボヤく。彼女も、僕と同じような気分を抱えているのだろう。


「ここまでの事態になったんだ、僕も腹を決めたよ」


 二人の嫁を交互に見てから、僕は苦い声でそう言った。正直、かなり気分が重い。こんなこと言いたくないし、やりたくもない。しかし、ここで責任を投げ出すような真似だけは絶対に出来なかった。


「この事件を招いた一因は、僕の優柔不断にある。これ以上どっちつかずの態度を取り続けたら、被害は大きくなるばかりだ。だから……僕は、やるよ。反逆者と呼ばれようが、毒夫と呼ばれようが、もう知ったことか」


「アル……自分が矢面に立つつもりか?」


 慮るような目で僕を見ながら聞くアデライドに、小さく頷き返す。嫌な話だが、僕はこの戦争の台風の目だからな。能動的に動かないという選択肢はない。


「うん……ひとまず、フランセット殿下は倒す。もはや、彼女にガレアの政権を担う資格はない。ヴァロワ王家そのものを倒したいとは思わないが……必要ならば、やる。市民の自由と安全、そして財産を守るのが軍人の使命だ。いたずらに戦乱を長引かせ、王都を……ガレアを焼かせるわけにはいかない」


 僕の脳裏には、応仁の乱という単語がちらついていた。京都で起きたこの大乱は、群雄割拠の戦国時代を招く直接的な要因となった。これを、ガレアで再演させるわけにはいかない。迅速に火種を取り除き、秩序を取り戻す必要がある。

 それに……応仁の乱によって、京都は致命的なダメージを被った。王都は僕の故郷だ。見慣れた街並みを、そこに住む人々を、戦火で焼くことは絶対に避けたい。たとえ、その人々から反逆者とののしられ、石を投げられるような真似をしてでもだ。


「なんじゃ、エルフェニアの帝冠だけではなく、ガレアの王冠も欲するとな。我が婿は強欲じゃのぅ」


 寝ころんだままのダライヤのからかいに、僕は思わず破顔した。まったく、どの口でそんなことを言いやがる、このクソババアが。


「王冠なんてのは、その能力がありさえすれば誰が被ったって構わないさ。肝心なのは民だからな」


 それこそ、ガレアの王冠なんてものはヴァルマにくれてやればいい。あいつは強欲な奸雄……いや、奸雌だが、むやみに民を虐げるような人間ではないのは確かだ。今のフランセット殿下よりは、政権担当能力は高そうに見える。マリッタへの対応にも、ヴァルマの協力は必須だ。ここはもう、四の五の言っている場合ではないだろう。その対価が簒奪の手助けと承認だというのなら、やってやろうじゃないか。


「今日から僕たちは賊軍だ。けれども、錦の御旗にひれ伏す気はない。暗君の手から、故郷を取り戻してやる。アデライドも、ダライヤも、どうか僕を手伝ってほしい」


「むろんだ」


「言われずともそのつもりじゃが?」


 一切の躊躇もなく、アデライドとダライヤは首を縦に振った。当たり前だ、と言わんばかりの表情だ。なんというか、流石だな。僕なんか、ここまで覚悟を固めるのに随分と時間がかかってしまった訳だけれども。まったく、ウチの嫁さんらは僕よりもよっぽどしっかりしているな。僕なんて、ずっと責任から逃げ回っていたというのになぁ。はあ、自分が情けない。


「ありがとう、二人とも」


 僕は努めて笑顔を浮かべ、彼女らの元に歩み寄った。そして一人一人を抱きしめ、キスをする。


「戦うからには絶対に勝つ。どんな犠牲を払ってでもだ。……悪いが、地獄の果てまで僕に付き合ってもらうぞ」


 その言葉に、二人は揃って笑みを浮かべ確かに頷いた。ああ、まったく。ウチの嫁さんたちはみんないい女ばかりだ。

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