第573話 くっころ男騎士と生臭坊主
単独行動から戻ってきたダライヤが連れてきた女は、フード付きのローブを被った絵にかいたような不審者だった。いくらなんでも怪しすぎるだろうという感じだが、彼女こそが僕が事前に渡りをつけていた協力者だった。なにしろ、敵地における非正規戦ではこうした協力者の存在が生死を分けるからな。用意しないという選択肢はないだろう。
「やあ、どうも。何やら大事になっておりますな」
不審者殿はそう言ってフードを外す。そこから現れたのは、いかにも冴えない竜人の中年女の顔だった。愛想笑いの浮かんだその顔は平凡そのもので、欠片ほどの覇気も感じられない。人ごみに紛れてしまえば、一瞬で見失ってしまいそうなほどに個性がなかった。
「お初にお目にかかります、アデライド様、ブロンダン様。ポワンスレ大司教猊下の遣いで参りました、ラ・ルベール司祭と申します」
「……」
ポワンスレ大司教。その名前を聞いたアデライドは、一瞬顔をひくつかせた。ポワンスレ大司教は王都近くに領地を持つ司教領主で、ガレア王宮では知らぬものの居ない有名人だ。……何が有名かといえば、その生臭ぶりである。極星の代わりに金貨を崇めているだとか、美少年を囲い込んでいるとかの悪い噂が絶えず、ガレア王宮の悪の双璧とも呼ばれている。ちなみに双璧のもう片方はアデライドだ。
そんな彼女だが、レーヌ市を巡る戦いでは従軍司祭の統括役として遠征軍に参加していた。しかしこの役割はあくまでガレア宮廷とつき合いのある高位聖職者に持ち回りで依頼されるものであって、フランセット殿下自身が自らポワンスレ大司教を任命したわけではない。むしろ、この二人にはそれなり以上の溝があるという話だ。
政治音痴の僕がなぜそんなことを知っているかといえば、もちろん幼なじみであるフィオレンツァ司教のルートだった。彼女との付き合いでポワンスレ大司教本人とも面識があったから、協力依頼は比較的スムーズに進んだ。まったく、持つべきものはコネだな。……まあ、本音を言えば司教とは別にこの街の地理や事情に詳しい現地人の案内人も調達したかったんだがな。準備期間が短すぎて、流石に無理だった。
「ポワンスレを頼ったのか……大丈夫なのかねぇ?」
アデライドはすました表情をしつつも、いささか不安そうな声音でそう囁いてきた。彼女の懸念も当然のことだろう。はっきりいって、大司教は信用に値する人物ではない。
「フランセット殿下が元気なうちは、それなりに手を貸してくれるんじゃないかな」
アデライドへの対応から見てわかる通り、フランセット殿下にはいささか潔癖に過ぎる部分がある。そんな殿下と有名な生臭坊主の相性が良いはずもなく、二人の仲は非常に険悪だった。レーヌ市攻略戦の陣中でも幾度か言い争いがあったという話だから、よほどウマが合わないのだろう。
「敵の敵は味方理論家。はぁ、キミもすっかりヨゴレてしまって」
小さくため息をついてから、アデライドは視線をラ・ルベール司祭へと移した。一応利害は一致しているとはいえ、ポワンスレ大司教は油断できる相手ではない。いつまでも内緒話を続けている暇などなかった。
「初めまして、ラ・ルベール司祭どの。お手数をお掛けして申し訳ない」
そういうアデライドの声音は、長年の友人に対する者のように柔らかい。彼女も生き馬の目を抜くような政治の世界で生きてきた人間だから、この程度の演技などはお手の物だ。
「いえいえ、お気になさらず。惑える人々を救うは極星を奉じる者の責務、ましてやいわれなき迫害までも受けているとあらば、これに手を差し伸べぬ者には天罰が下りましょう」
しかし、ラ・ルベール司祭の方もアデライドに負けてはいない。口に油でも差しているのではないかと疑いたくなるような滑らかな弁舌である。
「できれば丁寧なご挨拶をしたいところですが、残念ながらそのような暇はなさそうです。街の方では、剣呑な方々もうろついておりますしね」
表通りの方へちらりと視線を送ってから、司祭は微笑を浮かべた。街中ではすでに僕たちの捜索が始まっている。主力は雑兵どもだが、どうやらマリッタ率いるスオラハティ騎兵隊のほうも引き続き捜索に参加しているようだ。我々が姿を現せば、即座にあのおっかない義妹が襲い掛かってくるに違いない。
「流石は王軍、動きが早い。この調子では、既に街の出入り口の方も押さえられているでしょうね」
水を向けると、ラ・ルベール司祭は神妙な表情で「ええ」と頷いた。
「偶然通りかかった者から聞きましたが、正門や東西の門はもちろん、川港のほうもネズミ一匹通さぬ警備が敷かれているようです」
ずいぶんと偶然あちこちに通りかかる人だな。思わず苦笑しつつ、軽く頷いて見せた。この街、レーヌ市は典型的な城塞都市だ。外壁や物見やぐらなどの設備を活用すれば、本来の用途とは逆に内部の者を外へ逃がさないようにするのも難しいことではない。
我々単独でこれを何とかしようと思えば、殿下の砲塔であるネェル・ダライヤコンビを再び投入するほかないだろう。しかし、敵にも既に彼女らの情報は出回っているだろうから、一度目のように何もかも上手くいく可能性は低いように思われた。ネェルの武力は、我々にとって最高の切り札なのだ。名刀をやみくもに振るって刃こぼれさせるような真似はしたくない。……そこで浮上したのが、ポワンスレ大司教を頼る案だ。
「しかし、ご安心ください。迷える方々を導くのは我々の最も得意とするところ。無事、市外まで出られる安全なルートにご案内いたします」
「ありがとうございます、司祭様」
頭を下げる僕をチラリと見て、アデライドが目を細める。やはり、ポワンスレ大司教を信用しきれないのだろう。もちろん、僕だって無条件にこの生臭坊主を信じているわけではない。それなりの成算があって、彼女に話を持って行ったのだ。それに、もちろん保険はきちんと掛けてある。
「それはさておき、ブロンダン様」
その"保険"についてどう説明しようかと思考を巡らせていると、ラ・ルベール司祭に名前を呼ばれた。「なんでしょう」と応えると、彼女は表情を真剣なものに改め、言葉を続ける。
「案内の対価……というわけではありませんが、猊下の方からご質問を賜っております。今、ここで聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はあ、構いませんが」
質問? はて、何のことだろうか。例の情報の流出ルートかな。そんなことを考えつつ、頷く。
「ブロンダン様は、フィオレンツァ司教猊下が今どこで何をしていらっしゃるのかご存じですか?」
「……」
え、なに、その質問。まったくもって予想外なんだけど。正直、どういう意図の質問なのかさっぱり理解できなかった。思わずアデライドとロリババアも方に視線を送るが、彼女らも不可解な表情で首を左右に振るばかり。
「……いえ、存じませんが。しかし、フィオレンツァ様のことですから、王都の方で普段のお仕事をなさっているのでは?」
「それが、どうもそうではないようなのです」
いささか失望した様子で、ラ・ルベール司祭は首を左右に振る。
「公的には、フィオレンツァ司教猊下は病で臥せっているという話です。もちろん、王都の外へ出ているという話はありません。しかし……」
は? 病気? ぜんぜん、そんな話は聞いてないんだけど。いや、でもしばらく手紙のやり取りをするような状況ではなかったからな。その手の情報が入ってこないのは仕方がない事だが……。
「……従軍司祭の一人が、彼女をこのレーヌ市で目撃したというのです。むろん見間違いかもしれませんが、目撃者はいい加減な情報を断言するような者ではございません。フィオレンツァ様とご友人であらせられるブロンダン様ならば、なにか事情をご存じなのではないかと思ったのですが」
…………フィオレンツァ司教を、レーヌ市で目撃した。その言葉を聞いた瞬間に、僕の頭にオレアン公から聞いた一件がフラッシュバック下。フランセット殿下の近辺に星導国出身のうさんくさい商人がうろついているというアレだ。
いや、いやいやいや。確かにフィオレンツァ司教も星導国の出身だが、これは偶然だろう。いかんいかん、幼馴染相手になんて酷い疑念を抱いてるんだ、僕は。あの聖人の鑑のような人が、訳の分からない陰謀を巡らせて国の行く末を誤らせるはずがないじゃないか――。
「申し訳ありません、そのことについては、正直さっぱり。とはいえフィオレンツァ様がこの街を訪れる理由はないでしょうし、もし来ているとしても僕に連絡の一つも寄越さないというのはあり得ないことだと思います」
「なるほど、確かにその通りです。失礼いたしました」
むこうとしても、深く追求するつもりはなかったのだろう。この話はここで終わり、話題は撤退作戦の方へと戻っていく。しかし僕の心のなかでは、いまだに拭いきれないほの暗い疑念がとぐろを巻き続けていた……。




