第570話 くっころ男騎士とレーヌ城脱出(3)
近衛騎士団すらも容易く蹴散らすネェルの活躍に恐慌をきたした衛兵隊長は、屋内での小銃一斉射撃という暴挙に出た。ライフル装備の衛兵の数は、二十名以上。そんな数のライフルが一度に火を噴いたわけだから、大ホールは一気に地獄めいた状況と化した。鼓膜が破れそうなほどの銃声に、濃霧のような白煙。黒色火薬から発生した刺激性のガスが鼻孔や喉を犯し、咳や鼻水が止まらなくなる。
「グワーッ流れ弾!?」
「私たちもいるってぇのに何しやがるボケカスオタンコナスがーッ!!」
賓客たちの居た方向から凄まじい罵声が聞こえてきたが、白煙のせいでどうにも様子がつかめない。ヤバげな悲鳴も出ていたから、跳弾が賓客らの方へ飛び込んでいったのかもしれない。この部屋は石造りだから、銃弾が当たれば縦横無尽の跳弾が発生することになる。まったく、なんてことをしてくれたんだあのボケ衛兵隊長は。
「ネェル、無事か!」
しかし、今一番気になるのは射撃目標になってしまったネェルのことだ。むろん彼女は下手な射撃などすべて鎌ではじき返してしまうのだが、さすがにあれだけの一斉射撃を喰らえばタダではすまないかもしれない。カブトムシなどと違い、カマキリの体は柔らかいのである。戦車のような防御力は期待できなかった。
「問題、ないです。かすり傷、程度、ですね」
ところが、こちらの心配をよそにネェルから返ってきた言葉はなんとも頼もしいものだった。声音からして、やせ我慢をしているという風もない。僕はほっと胸をなでおろした。ネェルはとにかく強いが、図体が大きいぶん被弾面積も多い。こと対射撃防御に関しては過信は禁物だった。
「よおし、流石だッ! 他にけが人はおらんな!?」
「大丈夫でーす」
「ちょっぴり出血しちゃいました。アル様の唾プリーズ!」
「塩でも塗っとけ! じゃ、重傷者はおらんのだな。よーし、今のうちに撤退だ!」
ホールにはいまだに白煙が満ち、丁度良い煙幕になってくれている。黒色火薬は本当にすさまじい量の煙が出るから、屋内で発砲するとしばらく視界が遮られてしまうのだ。この機を逃す手はない。僕は号令を下し、アデライドの手を引っ張った。向かう先は、ネェルが拡張してくれた壁の大穴だ。
「あっ、おい、アルベール!」
煙の向こうからフランセット殿下の声が聞こえた。それを聞いて、僕に手を引かれるアデライドが大笑いをした。
「ハハハッ……! どうやらアルは貴様ではなく私を選んでくれたようだぞ! いい気味だ……!」
どうにも不満にまみれた声音である。どうやら、アデライドもこれまでのあれこれで随分とフラストレーションがたまっていたようだ。実際、我々がレーヌ市にやってきてからこちらのフランセット殿下の言動にはかなり目に余るものがあった。正直に言えば、僕もアデライドと同様すこしばかり胸のすく思いは覚えていたりする。まあ、もちろん口に出すことはないがね。
「勝ち誇るのはまだ早いぞ。勝負はこれからじゃ」
いつの間にか近くに来ていたロリババアが、そんなことを言いながら僕の方に棒状のなにかを投げてくる。小銃だ。有難くそれを受け取り、スリングをタスキ掛けにして背中に背負う。それに続いて、ロリババアは弾薬ポーチも投げ渡してくれた。たいへんに役立つ差し入れだ。むろんあのアホの衛兵隊のようにここで銃を発砲する気はないが、城外に出た後は剣よりこちらのほうがよほど頼りになる。
「ありがとう、助かる」
「礼は後で良い。それより今は、とにかくこの剣呑な場所から逃れるのが先決じゃ」
ロリババアの先導を受け、僕たちはバルコニーへと飛び出した。新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。慣れているとはいっても、黒色火薬の白煙に長時間漬かっているのはなかなかに辛かった。
なぜこんなところに出て来たかと言えば、もちろん脱出のためだ。とはいっても、ここはあくまで古典的なお城のバルコニー。現代式のビルのような非常階段や脱出シューターなどが付属しているわけではない。さらに言えば地上まではビルでいえば四階に相当するだけの距離があり、そのまま飛び降りるのは流石に危険だった。
「懸垂下降の用意、完了しました!」
しかし、もちろんこちらも無策ではない。先んじてバルコニーを確保していた近侍隊の騎士が、既に脱出の準備を整えてくれていた。彼女の後ろにある落下防止のための大理石製の手すりには、フックのついたロープが括り付けられている。これを使い、地上に降下するのだ。
これは懸垂下降という技術で、ロープ一本といくつかの道具があればこの高さからでも安全に降下することができる。前世の世界においては救助や登山、そして軍事などの現場で普遍的に用いられていたテクニックであり、リースベン軍の兵士は雑兵の一人に至るまでこれの猛練習をやらせていた。いわんや、精鋭たる近侍隊であれば実戦下においてもスムーズに降下することができる。
「ウワッ!? なんだなんだ!?」
「あれ、宰相一派じゃないのか!? まさか、強行脱出を図ろうと……」
しかし、地上には騒ぎを聞きつけた衛兵隊が集まりつつあった。彼女らは小銃を装備しており、そのまま無防備に降下するのは危険だった。僕は地上の連中をサーベルの切っ先で指し示し、「蹴散らせ!」と短く命じる。
近侍隊がさっとライフルを構え、一斉に発砲した。彼女らが装備している小銃は無煙火薬を用いたモデルだから、さきほどの衛兵たちのような猛烈な白煙は生じない(もちろんまったくの無煙というわけではないが)。鋭い銃声だけが断続的に響き渡る。
「ウワッ!? 打ってきたぞ!」
「打ち返せ!」
もちろん、敵も小銃を持っている。当然ながら反撃が飛んできたが、ここは連発式小銃の面目躍如だ。こちらの騎士は、一発撃ったらそのまま銃身後方に取り付けられたレバーを回し、空薬莢を輩出してからまたボルトを元の位置へと戻す。これだけで再装填は終了だ。そのまま引き金を引き絞り、また発砲する。
「いかん! 退避、退避!」
対する向こうは一回の再装填に最短二十秒はかかる前装銃だ。数に倍ほどの開きがあっても、火力ではこちらが優越している。猛射撃を受けた衛兵はあっというまに蜘蛛の子を散らすように退いていった。
「いまだ、一班から降下開始!」
この隙を逃す手はない。僕はまずジョゼットを含む最精鋭を先に地上に卸し、橋頭保の確保を命じた。彼女らは射撃の合間に身に着けておいたハーネスの具合を確かめてから、ロープを伝って地上に降りていく。訓練通りのスムーズな動作だ。地上に居残った衛兵どもが彼女らを狙い撃とうとしたが、もちろんバルコニーから更なる射撃を加えて黙らせる。
地上に降り立ったジョゼットらは、ライフルを構えなおし地上の敵を掃討し始めた。こうして後続の安全を確保するのだ。その手際の良さに感心しつつ、第二班の降下を命じる。こうして順番に兵員を地上に降ろしていくのだ。迅速に行う必要のある作業だが、慌てすぎれば事故につながる。なんとも緊張感の漂う作業だった。
「殿は、ネェルに、お任せを」
三分も立たないうちに大半の降下作業を終え、残すは僕たちだけとなった段なって大穴からネェルが出てきた。彼女はそのまま自分の身体で穴をふさぎ、突破を狙う近衛騎士たちをブロックしているようだ。その足元ではロリババアがしゃがみこみ、室内に例の吹雪の魔法や風の刃などを打ち込みまくっている。広範囲を制圧できて小回りも利くダライヤと、パワーとスピードに優れたネェルのコンビはまさにリースベン最強だ。さしもの近衛も、この布陣を突破するのは容易ではないようだった。
「大丈夫か? 無理はするなよ。手傷も負っているようだし……」
ネェルの身体には、あちこち出血の痕がある。さきほどの衛兵隊による一斉射撃で受けた傷だろう。さすがに直撃こそ防いでいるようだったが、ライフル弾はかすっただけでもなかなかに悲惨な怪我になってしまう。彼女は体格が大きいから少々の負傷で命を落とすことはなかろうが、それでも心配なものは心配だった。
「なあに。今は、無理の、しどころ、ですよ」
返ってきたのは頼もしい返事だが、むしろそう言われると余計に心配になってしまうのが人の心というものだ。僕は深いため息を吐き、覚悟を決めた。今はぐだぐだと言葉を重ねるよりも、素早く作戦を終えた方がネェルの負担が小さくなる。乾いた唇をなめてから、アデライドの前でしゃがみこんだ。
「う、うう。これは恥ずかしいな。男に背負われる日が来るとは……」
顔を真っ赤にしつつも、アデライドは大人しく僕の背中に抱き着いてきた。柔らかい感触が背中一杯に広がるが、それを楽しんでいる暇はない。近くにいた幼馴染騎士の一人が作業を引き継ぎ、ロープで僕とアデライドをしっかりと固定していく。当然ながら、文官である彼女は懸垂下降技術など習得していない。誰かがこうして背負ってやらないことには、一人だけバルコニーに取り残される羽目になる。
「ははは。なら、戦いが終わったら何時間でもおんぶに付き合ってあげるよ。リースベン軍名物、おんぶマラソンだ」
「それは勘弁してもらいたいなぁ!」
思わず吹き出しつつ、僕はハーネスとロープを八の字型の金具で接続した。そのまま手すりの上から飛び降り、壁を蹴りつつロープだけを頼りに降下していく。。実戦では久しぶりの懸垂下降だが、訓練は欠かしていないので動作は体が覚えている。その身一つで忍者のように壁を下っていくのは楽しいが、どうやらアデライドはそれどころではないらしい。体が宙を舞うたびに悲鳴をあげて、なんだか可哀想になってきた。たしかに、こういう高所作業は慣れないものにはつらいだろう。
とはいえ、こちらも慣れているのでビル四階ぶんの高さであればあっというまに降下完了だ。無事に地面に降り立ち、ぼくはほっとため息をついた。作業そのものには不安がないが、空中に居るうちに敵に狙い撃ちされてはたまらない。幸いにも、今回は先発組が先んじて地上の敵を制圧してくれたから、なんの不安もなく降りられたがね。やはり、持つべきものは頼りになる仲間たちだ。
「よし、待たせたな! ネェルらと合流ののち、レーヌ城より脱出する!」
すっかり全身カチコチになったデライドを地面に降ろしつつ、僕はそう号令した。




