第569話 くっころ男騎士とレーヌ城脱出(2)
一時は精鋭・近衛騎士団を相手に不利な戦闘を強いられることを覚悟した僕だったが、騎士らと近侍隊の激突の直前に救いの主が現れた。我らが最強のカマキリちゃんこと、ネェル。そしてロリババアのリースベン最強コンビである。
「ネェル! ナイスタイミングだ!」
大声を上げて手をブンブン振ると、ネェルはにっこりと笑って鎌を振り返してくれた。この子のこういうところ、本当に可愛いんだよな。
「流石に、ちょっと、狭い、ですね? ま、壊していいなら、なんとでも、なりますが」
彼女の突撃により、バルコニーの扉がった場所は完全なる破孔と化していた。しかし、ちょっとしたゾウほどの体格を持つネェルにとっては、それでもまだ狭いようだった。がれきを砕きつつ、強引に大ホール内へと侵入しようとする。下半身カマキリの巨大美女がそんなことをしているのだから、ほとんどトラウマものの光景だ。まあ、味方である我々にとってはこれ以上ないくらいに心強い景色だがね。
「不味いぞ、カマキリ虫人はあのソニア・スオラハティ殿すら鎧袖一触で倒されたという本物の怪物! まともに打ち合えば勝ち目がない!」
「だから死んでも足止めしろって言ってたのに城外班の奴らァ!!」
一方、それ以外の者は大事である。とくに、バルコニー近くに布陣していた近衛騎士らは門前の近侍隊門後のネェルで大事である。彼女らは僕らをちらりと見た後、さっと体を翻してネェルに剣を向けた。こちらより、彼女の方が脅威度が高いと判断したのだろう。この状況で逃げもせずに適確な判断ができるあたり、流石は精鋭といったところだろうか。
もっとも、そのような冷静な行動が出来た者はそれほど多くなかった。野次馬気分で観戦していた諸侯らは流石に顔色を失い剣を抜き始めたし、その野次馬どもを避難させようとしていた衛兵隊は真っ青な顔になりながら小銃をネェルへと向けている。恐慌寸前雰囲気だった。
「ば、化け物だ……!」
「あれがブロンダン卿の子飼いだという、カマキリ虫人! なんと恐ろしい……」
「あの怪物、なんでも翼竜や鷲獅子を頭からバリバリ食べてしまうらしいぞ」
そちらから聞こえてくる心無い言葉に、僕は思わず顔をしかめた。人の友人になんてひどい事を言うのだ、あいつらは。まあ確かにネェルは鷲獅子をとっ捕まえてバリバリ食ってたこともあるが……。
「今なら奴は身動きが取れない! 今のうちに仕留めるぞ!」
「応ッ!」
とはいえ、今は罵声より剣の方がよほど危険な盤面だった。現に、ネェルと相対している騎士たちは先手必勝とばかりに攻撃を仕掛けようとしている。実際、彼女は巨体があだとなってまだ満足に動ける状態ではなかったから、勝ち目があるとすれば今しかないという近衛の判断は正しかった。
「おおっと! ワシが居ることを忘れてもらっては困るのぉ!」
しかし、ネェルは一人ではない。頼りになる助っ人はもう一人いるのだ。満面の笑みと共に近衛騎士団の前に飛び出してきたダライヤが、唄うような調子で呪文を唱える。近衛たちはよどみのない動作で盾を構えたが、もちろん熟練した魔法使いであるロリババアがその程度の防御で防ぐことのできる魔法を選択するはずがない。
「グワーッ寒風!?」
真夏の大ホールに突如猛吹雪が吹き荒れる。銀色の甲冑を真っ白に染められた騎士らは、そのまま暴風に足をすくわれコロコロと転がされてしまった。吹き飛ばされたのはネェルの前に立ちふさがった者だけだが、その強烈な冷気の魔法はあっという間に室内の温度をいきなり二十度は下げていた。寒さに弱い竜人に、この攻撃はツライ。
「なんだあれは!? この規模の氷雪系魔法など初めて見るぞ!?」
「ウワーッ! 寒い! 寒い! 冬眠しそう!」
パーティ会場は先ほどとはまた別の意味で阿鼻叫喚である。さらに、そうこうしているうちにとうとうネェルがホールへの侵入を果たした。彼女はその大きな鎌を軽々と振るい、ダライヤの魔法に耐えた数少ない精鋭たちを草でも刈るかのように薙ぎ払っていく。
「今だ! 総員、突撃!」
この機を逃す手はない。僕はサーベルを指揮杖のように振り上げ、突撃を命じた。とはいっても、流石に敵の本隊は狙わない。できれば殿下に目に物を見せてやりたいという気分はあるが、こちらの勝利条件はあくまでも我々の生還だ。目指すはもちろん、ネェル・アデライドコンビが開けた包囲網の穴。我々は円陣を解除し、一気にバルコニー方面へとなだれ込む。僕ももちろん、アデライドの手を引いてそれに続いた。
「いかん、逃すなっ!」
もちろん、敵もタダでは逃がしてくれない。あわてた殿下が追撃を命じ、四方八方から敵が襲い掛かってきた。近侍隊は即座に応戦を開始したが、なにしろ統制だった隊列を組んでいるわけではないので不利は免れない。流石に一太刀で切り捨てられるようなものはいなかったが、攻撃を防ぎきれずあっというまに体のあちこちに手傷を負ってしまう。一方甲冑姿の近衛は少々の反撃などまったく気にせず攻撃を続行できるのだから、やはり防具の有無は大きい。
「堅い、殻が、ついて……うふふ、ネェルは、エビ、カニ、好きですよ。あなた達も、そういう、味?」
そこへカバーに入ったのがネェルだ。体格が体格なのでやや窮屈そうな様子だが、それでも大ホール内であればある程度自在に動き回ることができる。四本の脚をシャカシャカと動かして近衛騎士団に肉薄した彼女は、鎌をぶんぶんと振って騎士らを吹き飛ばしていった。物騒なマンティスジョークを飛ばしているが、流石に敵兵を捕縛してそのまま噛みつくような真似はしない。単なるタチの悪い冗談だろう。
もっとも、相対している側はジョークか否かなど判断できるはずもない。悲鳴こそ漏らさないものの、近衛らはあきらかに腰が引け始めた。なにしろ相手はあのエルフどもから畏怖を集めるリースベン最強生物だ。さしもの精鋭も、恐怖を覚えるなという方が無理があるだろう。
「これこれ、ネェル。狩りばかりに熱中しておらんで早う荷物を下ろさんか」
そんなキケンなカマキリちゃんの背中に、ダライヤが飛び乗る。そこには、大きな行李がロープで括り付けられていた。ダライヤはエルフ伝統の山刀で縄を切断し、行李を地面に落とす。
「ありがたい!」
この行李の中身は我々が撤退するために必要な物資一式であった。近侍隊が行李に群がり、小銃(もちろんボルトアクション式ライフルだ)や弾薬ポーチ、それにフック付きのロープなどだ。
「マズイ、鉄砲が……」
それを見た殿下が悔しげな声を上げる。屋内ならともかく、屋外戦闘ではライフルはてきめんに強力な兵器だ。このままではこちらの撤退を阻止できないと判断したのだろう。殿下は口元をきゅっと結んでから、レイピアをこちらに向ける。
「小銃の配布を止めろ! このままでは手遅れになるぞ!」
「しかし、この状態では……接近もままなりません!」
対する近衛隊長の反応は悲壮だった。なにしろ、こちらでは殿に立ったネェルがまさに一騎当千の暴れっぷりを見せているのである。下手に攻撃を仕掛ければ、手痛い反撃を喰らうのは間違いなかった。
「このままでは……ええい!」
ギリギリと歯噛みするフランセット殿下。精鋭がこうも容易に蹴散らされているのだ、彼女の焦りも当然のことだった。近衛が敗れれば、もはやこちらの撤退を阻むのは不可能になってしまう。
「こ、ここは自分にお任せください!」
そこに出てきたのが、真っ赤な軍礼服を纏った衛兵隊長だった。胸元にはジャラジャラと徽章をぶらさげているが、それに反して年齢はひどく若い。コネで隊長職を得た有力貴族の子弟(妹?)かなにかだろうか? 何はともあれ、ベテラン兵揃いと見える衛兵隊を統率するにはやや経験が足りない士官のように見える。なにしろ、その顔は明らかに恐怖で真っ青になっているのだ。
「接近戦を挑むから不利を被るのです。こういった敵は、射撃で仕留めるべしと教本にもありました……! ライフル兵、前へ!」
恐慌寸前の眼つきでネェルを睨みながら、衛兵隊長はそう叫ぶ。上官からの突然の命令に困惑しつつも、衛兵はその命令に従った。兵は上官に対し一切の疑念を抱かぬよう教育せよ。王軍の従来の士官用教本に書かれた一文だ。僕の提供した新教本では削除されている文言だが、どうやら今の王軍ではまだその辺りは不徹底のままのようだ。
「あれは……いけませんね。皆さん、ネェルの、後ろへ」
多数の銃口がこちらを向くのを見て、ネェルは自らを盾にするように我々の一団を庇った。なにしろこちらは甲冑を着ていないのだから、流れ弾でも致命傷を負いかねない。有難い配慮ではあったが、僕は流石に心配になって「ネェル、無茶をし過ぎるなよ!」と叫んでしまった。彼女は凄まじく強いが、それでも無敵ではない。歩兵用の小銃でも、当たり所が悪ければ重傷を負う可能性もある。
「あっ、馬鹿! 屋内で発砲は……」
顔を青くして殿下が叫ぶが、ネェルへの恐怖で正常な判断力を失った若き衛兵隊長の耳には届かない。彼女は「撃てっ!」と鋭い命令を発し、衛兵隊が一斉射撃を始める。耳をつんざく銃声と、刺激的な硝煙のにおいが大ホールに満ちる……。




