第568話 くっころ男騎士とレーヌ城脱出(1)
ジョゼットらの打ち出した信号弾は見事に窓外へと飛び出し、空中で赤い煙の花を咲かせた。これは、救援要請の合図だ。我々とて、無策でこの危険なパーティに参加したわけではない。有事を想定し、きちんと準備は整えていた。
「円陣を組め! とにかく時間を稼ぐんだ!」
とはいえ、増援が到着するまではなんとか自力で耐え続けるしかない。僕は即座に防御陣形を取るよう近侍隊に命令した。なにしろ相手は全身甲冑の精鋭騎士で、こちらは礼服に剣を佩いただけの軽装姿。まともにぶつかり合えばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだった。戦い方にはそれなりの工夫が必要だ。
もちろん、この辺りの作戦は事前にしっかりと詰めてある。ジョゼットらは冷静に行動を開始した。まずは邪魔なテーブルや椅子を蹴り飛ばして空間を作り、ぴったりと肩を寄せ合って円形の陣を作る。そしてアデライドの手を引っ張り、その円陣の内部へと入れてもらう。こうすれば非戦闘員の守りは万全だ。
「さっきの信号弾は、城外の仲間への合図じゃないのか」
「だろうな。しかし、慌てて仕掛けるような真似はよせ。相手はあのブロンダン卿だぞ」
「彼が王都で見せた手管は尋常なものではありませんでしたわ。拙速は即、死を意味しましてよ……」
これに対し、近衛はいたずらに速攻を仕掛けてくることはなかった。どうやら、ずいぶんとこちらを警戒しているようだ。しっかりとした戦列を組み、じりじりと包囲網を狭めていく。増援との合流のため時間を稼がなくてはならないこちらとしては、上々の流れである。。あの精鋭・近衛騎士団がわざわざこちらの思惑通りに動いてくれるとは。少々予想外だが、有難い。
……いや、彼女らはむざむざ敵の思惑に乗るほど愚かな連中じゃあない。もしかしたら、こちらの狙いを分かったうえであえて見逃してくれている可能性もあるな。今の王太子殿下は明らかに異常な状態だ。その殿下のそばを守る近衛隊としても、思うところがあるのかもしれない。
「厄介なことになりましたな、これは」
「ブロンダン卿に伯爵位を下賜した矢先にこれだ。支離滅裂すぎて、頭がついて行きませんよ」
「殿下はあえてブロンダン卿とカスタニエ宮中伯を別個に扱っているようですがね。実際のところの関係はどうなのでしょうか。気になりますな……」
僕たちと近衛騎士団がにらみ合う一方、壁際では賓客らがその様子を見物していた。衛兵らが避難誘導をしているが、それにまったく応じず野次馬をしている者も多い。王家と宰相派閥というガレアの二大勢力が決定的に決別したのだ。貴族として、状況を見定めているのかもしれない。
「誰一人『助太刀いたす』とは言わないな。これはいい傾向だ」
それを見ていたアデライドがニヤリと笑う。たしかに、諸侯らは戦闘を遠巻きに眺めているだけで一切の手出しをしてくる様子はなかった。これがただの巻き込まれた一般人であれば当然の反応だろうが、彼女らはそうではない。なにしろ、ここに集まっている連中はみな先の戦いでフランセット殿下と轡を並べて戦った者ばかりなのだ。
そういった連中が形ばかりの助勢すら申し出ないというのは、はっきり言ってかなりの異常事態だ。おそらく、我々と殿下のどちらに義や利があるのかを測りかねているのだろう。日和見といえば聞こえは悪いが、直接的な敵対を躊躇してくれている時点でだいぶありがたい。今後発生するであろう王軍とのいくさでも、ぜひとも中立でいてもらいたいものだ。
「無駄な抵抗はやめろ、アデライド! アルベールに悪いとは思わないのか!」
そんなことを考えていると、フランセット殿下が近衛の前に出てきてそう叫んだ。悪いとは思わないのか、ねぇ……彼女からすれば、あくまで僕は被害者だという認識らしい。正直、気分としてはかなり腹立たしかった。この人は、僕のことを見ているようでまったく見ていない。これならば、いっそ二人まとめて謀反人と呼ばれた方がよほどましだった。
「お言葉ですが、殿下。自分といたしましても、此度の仕儀は納得しかねるものが……」
大声で反論しようとした僕だったが、そこでいきなりアデライドに袖を思いっきり引っ張られた。彼女はひどく慌てた様子で、僕をガクガクと揺さぶる。
「落ち着け、アル。そういうのは私がやる。君があまり矢面に立ちすぎると、私に向かうべき不満が分散してしまう」
「不満って……」
どうやら、アデライドはあくまで自分が矢面に立つ気でいるようだ。やはり彼女は万一この脱出が失敗した場合のことを考え、処刑されるのが自分だけで済むように誘導しようとしているのだ。しかし正直、この配慮は有難迷惑だった。嫁を犠牲にして自分だけ生き残るなど、死ぬよりつらいに決まっている。気分としては、今すぐそんな考えは捨てろと言ってやりたかった。
だが、現実問題としてそれは難しい。僕とアデライドが揃って処刑となれば、リースベンはいよいよお終いだからだ。領民たちのことを思えば、少なくともどちらかは何が何でも生き延びなければならない。それが領主としての責任というものだ。
ああ、しかし、やはり気分は最悪だ。言い返すことすら許されず、その結果得られるのが嫁さんを犠牲に生き残る権利とは。こんな汚濁を飲むくらいなら死んだ方がマシだが、今の僕には自分の好きな時に死ぬ権利すらない。『くっ殺せ』という言葉の何と無責任なことよ。はぁ、クソクソクソ。
「まったくもってファックって感じだ」
そう吐き捨てる僕の肩を、アデライドが苦笑しながら叩いた。
「まあ、今回のところは私の顔を立ててくれ。たまには、身をもって男を庇う騎士役がやりたいのだよ。君に守られてばかりじゃ、私の立つ瀬がないじゃないか」
「ウヌゥ……」
アデライドにはアデライドのプライドがある。普段は僕の奥方役をやってくれている彼女だが、本心では自分の方が前に立ちたいと思っていることは僕も承知していた。しかし、種族の差という絶望的なハードルが彼女にそれを許さない。このハードルを越えられるような只人は、うちの母上のような頭のネジがどこかへ吹き飛んでしまったような手合いだけなのだ。
……ああ、母上か。母上は今頃、どうしているのだろうか? 一応、王室周りが大変にきな臭くなっていることは伝えているが、心配だな。殿下とこうも決裂した以上、うちの両親も否応なしに事態に巻き込まれてしまうだろう。本当に申し訳ない。
「またアルベールに何かを吹き込んでいるのか!」
こちらの会話を断ち切るように、フランセット殿下がもう一度叫ぶ。いや、まあ、彼女の言葉を無視しておしゃべりを始めたのはこっちのほうなので、あまり文句は言えないが。とはいえ、今さら彼女の言葉に耳を傾ける価値があるとは思えない。既に賽は投げられたのだ。残念ながら、言葉で解決できるフェイズは終わってしまった。
「口先三寸でアルベールを惑わす詐欺師に、道を誤った主君に忠言もしない佞臣ども……! ああ、まったく嘆かわしい! アルベール程の男の周りにいるのは、ロクデナシばかりだ! もはや許せん。近衛騎士団! 悪党どもを蹴散らしアルベールを救い出せ!」
フランセット殿下が勇ましい号令をかけると、近衛騎士らは剣と盾を構えた。彼女ら自身も強固な密集陣形を組んでいることもあり、その姿はスクラムを組んで暴徒を阻止せんとする機動隊によく似ている。
しかし、彼女らの武器は警棒などではなくきちんと刃のついた真剣だ。その上、こちらは一切の防具を持ち合わせていない。まともにぶつかり合えば一方的な被害を被ることは目に見えていた。血みどろの戦いの予感に、僕の手のひらに汗がにじむ。
「プランB、行きますか」
そこで、ジョゼットが顔を敵の方へ向けたままボソリと聞いてきた。プランBというのは、救援が遅れそうな場合に備えて用意しておいた次善の策だ。この装備の差では、長時間の持久戦などとてもできないからな。たんなる遅滞戦闘とは別のアプローチも考えておかないと、救援が到着した時には壊滅していました、などということになりかねない。
そのプランBが具体的にどういう作戦かと言えば、迎撃に徹すると見せかけて直前に円陣を解除、一気呵成に攻撃を仕掛け殿下の身柄を狙うという超攻撃的なプランだった。当然ながらこの作戦は交戦状態に入ってからでは発動できないし、何より今は標的である殿下自身が前に出ている。プランBを実行するためのタイミングは、今しかなさそうだった。
「いや、大丈夫だ。わざわざ危ない橋を渡る必要はなさそうだぞ」
しかし僕は、ほっとした心地でそう答えることができた。窓の外から、聞きなれた音が流れていることに気付いたからだ。ヘリコプターの回転翼から出るものとよく似た、連続した重低音だった。僕の口角が自然と吊り上がる。
「仕事が早い。流石だな……!」
僕は、視線を敵から外し壁際にある大扉へと向けた。ドアと言っても、廊下に繋がった出入り口ではない。その向こうにあるのは、広いバルコニー。先日マリッタとの決別があった、あの場所である。
次の瞬間、破滅的な爆音とともにバルコニーのドアが粉砕された。まるで大砲でもブチ込まれたような破砕ぶりだったが、飛び込んできたものは砲弾などではない。今となってはすっかり見慣れた、緑色の巨体。そう、ネェルである。
「うわあ、出た!」
「城外班は何をやってるんだ! カマキリ虫人は最優先でマークしておけと命じていたハズだぞ……!」
いままさに突撃を仕掛けようとしていた近衛騎士団は、予期せぬ闖入者の出現により明らかに出鼻をくじかれていた。さしもの精鋭も、ネェルの威容に動揺を隠せない様子だった。ネェルも、何ともいいタイミングで仕掛けてきてくれたものだな。
「おまたせ、しました。空中騎兵隊の、登場です」
我らが愛しのカマキリちゃんは、その禍々しい鎌を掲げつつそう宣言した。頼もしすぎる増援を受け、僕は会心の笑みを浮かべつつ彼女にサムズアップしてみせる。何がお待たせしましただ、ぜんぜん待ってないぞ。これだから空中機動作戦は最高なんだ。作戦のテンポが違う。
「ワシもおるぞ!」
そして、助っ人はネェルだけではなかった。ネェルの背中から、妙に小柄なポンチョ姿の童女が降り立つ。ロリババアだ。魔術に関しては敵なしのロリババアと、フィジカル最強のネェル。この二人がいれば、精鋭の近衛とてもはや恐ろしくはない。さあ、反撃開始だ!
 




