第562話 くっころ男騎士と作戦会議
オレアン公ピエレット氏との会談を終えた僕たちは、いったん宿へと戻ることにした。情報の整理のためだ。それに、変装しているとはいえ我々は王室にマークされている身の上。無意味にあちこちをウロウロするような真似は避けねばならない。
「なるほど、黒幕らしき者がおるやも……という予想は当たっておったわけじゃな」
報告を聞いたダライヤが、腕組みをしながら小さく唸る。宿の厩に集まった我々は、臨時の会議を開いていた。なぜ厩かといえば簡単で、ここがネェルの仮の居室だからだ。なにしろ彼女は図体が大きく、一般的な亜人種向けの部屋には宿泊できない。そこで仕方なく、厩を借り受けそこで寝起きをしているという次第だった。
フィジカルの強さが注目されがちなネェルだが、頭の方もなかなか優秀だ。彼女を会議に参加させることは、ダライヤはもちろんアデライドも反対しなかった。みな、ネェルを信頼しているのだ。……にもかかわらず、馬糞の臭い漂う厩に押し込めるというのは大変に申し訳ない扱いなのだが。物理的に宿には入れないのだから仕方ないとはいえ、後で何か埋め合わせをしておくべきだろう。
「まあ、このヴィオラとかいう女が黒幕とは限らない訳だがね。しかし、現状一番怪しいのがこの女だというのは確かだ」
難しい顔のアデライドが、ため息交じりにそう言った。
「王都内乱の首謀者と、今のフランセット殿下。この両者の足元で、同じ女がうろうろしているんだ。まあ、無関係という方が無理があるだろうねぇ」
「その女を、捕まえれば、万事、解決。……とは、行きませんか」
ワラ束の上に腰? を下ろしたネェルが、カマをこれ見よがしに掲げた。やれと言うならやるが? という意思表示だろう。
「少なくとも、今の状態でそんな手を使うのは避けた方が良かろう。ヴィオラ本人は、単なる連絡役に過ぎぬやもしれん」
「僕もダライヤの意見に賛成だな。病巣の全貌がわかっていないのに、外科的治療を行うのは拙速が過ぎる。今はとりあえず、オレアン公からもたらされた情報を足がかりに更なる調査を進めた方が良いと思う」
そもそもの話、今の段階でそんなことをしたらこっちが一方的に悪いことになってしまうからな。王室と決別することになるとしても、最初の一発は相手に撃たせなければならない。ただでさえ、我々は不利な状況に置かれているんだ。せめて大義名分の上でくらいは優位を取っておかなきゃマズイだろ。
もし王室側が最初の一発を撃ってこなかったら、それはそれで構わないしな。もちろんそれでも王室との緊張関係は続くだろうが、冷戦と熱戦なら前者の方がはるかにマシだ。膠着状態はむしろこちらの望むところである。
「とはいえ、調査といってもな……」
僕らをちらりと見ながら、アデライドが顎をさする。
「現状では、それもままならないのが難しいところだ。なにしろ、ここはリースベンからも王都からも遥か離れた外地。調べごとをしようにも、人手も伝手も足りないというのが正直なところだ。せめて、王太子殿下の近辺にウチの派閥の人間がいれば、かなりマシだったんだろうがねぇ。残念ながら、レーヌ市遠征軍には宰相派閥の貴族はほとんど参加していないのだよ」
「むぅ……」
僕は思わずうなってしまった。もちろん、遠征軍に宰相派閥の人間が居ないのは偶然ではないだろう。おそらく、フランセット殿下が意図的に軍役のリストから宰相派閥を外したのだ。今の我々はまさに敵中孤立状態。取れる手はかなり限られている。
「ま、それは仕方あるまいて。ヴィオラ某の調査は、リースベンや王都の者どもに任せる他ないじゃろう。ひとまず我らは、無事にこのレーヌ市から出ていくことに注力すべきじゃな」
「無事に、ね……」
僕は思わず顔をしかめた。そこが一番難しい部分なのだ。
「マリッタが敵に回ったと仮定すると、見通しはかなり悪い。我々は孤立無援になってしまった」
これは完全に僕の失策だ。忙しさにかまけて、マリッタを放置してしまった。彼女が僕とソニアの関係に不満を持っていたことは最初からわかっていたんだ。前々からきちんと話し合っていれば、ここまで決定的に拗れることはなかっただろう。
……いや、そこまで遡る必要はないかもしれない。昨夜が最後のチャンスだったんだ。話の持って行き方次第では、敵対を思いとどまらせることだってできたかも……。
「逆に言えば、王太子にとっては今こそが好機というわけじゃな」
ダライヤの言葉で、僕の意識は再び浮上した。いかん、いかん。今そんなことを考えていても、事態は全く改善しないんだ。過ぎてしまったことは後回しにして、とにかく現状の打開策を考えるべきだろ。反省は、リースベンに戻った後ソニアとよく話し合いながらやればいい。話し合いの不足が、こういう事態を招いたんだ。一人で抱え込んでも、改善するはずもないだろう。
「そうだ。純軍事的に考えれば、こんな大チャンスを逃すなんて論外だろう。王太子殿下は近いうちに仕掛けてくるはずだ」
「……信じがたい。いや、信じたくない予想だな。いや、確かに殿下は私を除きたいと考えているだろうさ。しかしねぇ、去年の内乱のせいで、ただでさえヴァロワ王朝は揺れているんだ。ここへきて、自らが泥をかぶるようなやり方でまた内乱を起こすというのは、正気のやり方ではないな」
恐ろしいほど渋い顔で、アデライドはそう言い捨てた。
「つまり、ここで仕掛けてきた場合、いよいよ殿下の正気を疑わねばならないということだ。はぁ、まさかこんなことになるとは。浮かれた気分でレーヌ市出張を受けた少し前の自分を殴りつけてやりたい気分だよ」
どうやら、自己嫌悪に陥っているのは僕だけではないようだ。思わず苦笑し、僕は彼女の肩を優しくたたいた。
「奇遇だね、アデライド。ちょうど、僕も似たようなことを考えていたばかりだ。……しかしなんにせよ、既に賽は投げられている。反省会は、無事にこの危機を脱してからやることにしよう」
「……確かにな。それで、脱出の用意はできているのかね? いろいろと準備をしていたようだが」
こほんと咳払いをして、アデライドは僕に質問してきた。王太子殿下には、レーヌ市で再開した時点で既に危ういものを感じていたからな。もちろん、最悪の事態に備えて既に布石は打っている。
「もちろんだ。ジョゼットに命じて、脱出ルートの構築や馬、物資などの準備はすでに進めてある。幸いにも、こちらのバックにはあのエムズハーフェン家がついているからな。レーヌ市からさえ脱出してしまえば、あとはそれほど難しいことはない。神聖帝国側のルートに乗って、安全にリースベンまで戻ることができるだろう」
逆に言えば、レーヌ市からの脱出……というか、そこに駐屯する王軍からの追撃を躱すのが一番のネックなんだよな。この街にはまだ数万の兵が詰めている。もちろんその連中がすべて僕らに襲い掛かってくる、などということはあるまいが。しかし、数に置いて圧倒的な不利を被るのは避けられないだろう。
「まあ、アルベールくんには、ネェルが、ついて、いますからね。万が一にも、後れを取る、つもりは、ありませんが」
カマをこすり合わせてギャリギャリと音を立てつつ、ネェルが笑った。
「うん……ネェルのことは、頼りにしてる。でも、王軍は大量のライフルを装備してるからな。君とはいえ、油断はできないぞ」
調べてみたところ、レーヌ市にはふたつのライフル兵連隊が駐屯している。わずか一年で編成した急ごしらえの部隊だが、それでもライフル兵には違いあるまい。数を頼みに強攻してきたら、ネェルとはいえ無事には済まないだろう。
なにしろ彼女はカマキリ虫人だ。攻撃には向いているが、防御面ではそれほど強くはない。少々の銃撃ならばカマではじき返せるようだが、四方八方から猛射撃を浴びれば迎撃は間に合わなくなるだろう。堅牢な装甲を持つ戦車ですら、マトモな支援が無ければあっという間に撃破されるんだ。まして、ネェルはいくら強いとはいっても生身の人間だからな。過信は禁物だろ。
「この会議が終わったら、ジョゼットをここへ呼んでおく。連携の再確認をしておいてくれ」
戦車を守るためには歩兵が必要だ。ネェルだってそれは同じことだろう。どれほど強力な兵科でも、単一で運用すれば脆いものだ。肝心なのは諸兵科編成、つまり異なる兵科同士の連携なのである。その点、連発式ライフルで弾幕を張れるジョゼットの近侍隊はネェルの相方としてピッタリだと思われる。
「りょーかい、です」
ちょっとムスリとしつつも、ネェルは頷いてくれた。僕は苦笑をしつつ、アデライドに視線を戻す。
「殿下が我々を粛清するとすれば、そのタイミングは明日の戦勝パーティである可能性が高い。レーヌ城での大立ち回りは、覚悟しておいてくれ」
敵主力を自軍陣地に誘引し、大兵力で囲んで一気に殲滅。まあ、戦術の基本だよな。僕が王太子殿下なら、間違いなくこの作戦を採用するだろう。
「……ああ、わかった」
ゆっくりと息を吐き出し、そして手をぐっと握り締めながらアデライドは頷いた。やはり、彼女も少なからず王家と決定的な決別をすることに恐怖や拒否感を覚えているのだろう。正直に言えば、僕だって全く同じ気持ちだった。理不尽やら、ふがいなさやら、いろいろな物が澱のようになって胸の奥へ沈殿していくような気分に、僕はため息を吐くことしかできなかった……。




