第561話 くっころ男騎士と新オレアン公(2)
「ポンピリオ商会のヴィオラ……」
レーヌ市街の民家で行われた、現オレアン公ピエレット氏との密会。その現場で、彼女は王太子殿下を惑わした張本人ではないかと疑われる人物の名を口に出した。聞き馴染みのないその名を反芻しつつ、僕は眉をひそめた。
「聞かない名前ですな。響きからして、サマルカ星導国の商人でしょうか?」
難しい表情のアデライドが、そう聞き返した。サマルカ星導国は大陸南部にある半島国家で、ガレア王国の国教でもある星導教の総本山だった。この国は宗教国家であると同時に貿易にも力を入れており、有力な大商人を何人も抱えている。
「ああ。お察しの通りだ。ポンピリオはサマルカの中堅商会で、本業は海運……らしいが。やはり、アデライド殿も知らない商会だったか」
香草茶のカップに視線を落としつつ、ピエレット氏が答える。実家がガレア屈指の大商会であるアデライドが知らないような会社なのだから、本当に地味な連中なのだろう。僕は心の中で「なんだかなぁ」と呟いた。やっぱり、胡散臭い話になって来たぞ。諜報機関や犯罪組織がペーパーカンパニーを隠れ蓑に活動する、なんてのは前世の世界でもよくあったこと……なんだよな。
「この頃、王太子殿下はこのヴィオラという女とたびたび面会している。しかしその割に、軍や王室の取引相手としてポンピリオ商会の名があげられているのは見たことがないのだ。どうにも、臭うと思わないか」
「それは、また……特大の厄物件ですな」
アデライドが苦虫をダース単位でかみつぶした表情になった。
「私のカスタニエ家も、もとはと言えば商人の家系です。ですから、商人の考え方はよく理解できる……」
「……」
顎を微かに動かし、ピエレット氏は無言で先を促した。
「王太子殿下の身辺、つまり権力の中枢に食い込んでおきながら、大口の取引に絡んでこない? そんな輩は、間違いなく商人ではありませんよ」
「だろうね。私も同感だ」
ヤバくない? これ。高確率で、他国の諜報機関が噛んでるやつじゃん。前世の世界なら、即座に公安を投入すべき案件だ。まあ、ガレア王国に公安警察なんか無いけど。……公安はなくても、諜報機関はあったな。本来なら、こういった事態はその連中が防ぐべきなんじゃないのか?
……あ、いや、駄目だわ。ヴァロワ王家の諜報機関を統括してたの、フランセット殿下だわ。手遅れだわ我が国。ああー、頭がめちゃくちゃ痛くなってきた。香草茶にブランデーぶちこんじゃ駄目? こんな話、シラフじゃ聞きたくないんだけど。
「つまり、ポンピリオ商会云々は世間を偽る仮の姿と?」
僕の問いに、ピエレットはゆっくりと頷いた。そして顔を伏せ、しばし考え込む。
「その上……このヴィオラと言う女は、どうやら我が姉イザベルとも接触を持っていたようなんだ」
「……ッ!?」
思ってもみない言葉に、僕とアデライドは揃って目を剥いた。ピエレット氏はそんな僕らの顔を順番に見てから、苦しげな表情で言葉を続ける。
「姉と私は、はっきり言って仲が悪かった。だから、詳しいことはわからない。だが、どうやらヴィオラが姉の周りをウロチョロしていたのは確かなようだ。何なら、夜中に王都の下屋敷で怪しげな密談をしていた、などという話も出ている」
「……その情報は、王太子殿下には?」
彼女の言葉が本当なら、事態はヤバいどころの話ではない。ピエレット氏の姉イザベル氏は、去年の王都内乱の首謀者なのだ。そんな彼女の関係者が、今度は王家に工作を仕掛けている? どう考えても国家転覆の準備をしてるだろ……。
「むろん、話したとも。しかし、殿下は信じてはくれなかった。逆臣の妹よりも、彼女の方がよほど信用できる……などといってね」
そう言ってから、香草茶を一口飲むピエレット氏。どうなってんだ、そりゃ。普通の事態じゃないぞ。そんな忠言を受けたら、普通なら調べるくらいするだろ。いや、そもそも怪しげな事象商人が接近して来たら、誰に言われずとも身元調査くらいするよな? ううむ、いったいどうなってるんだ……。
「姉は、あの事件を起こす少し前からどうにも様子がおかしかった。疑心暗鬼に駆られ、過ぎた話を掘り返し、周囲がすっかり見えなくなって……ちょうど、今の王太子殿下のような状態だよ」
「……そのヴィオラ某が、人を悪心に駆り立てていると?」
「ああ、私はそういう風に考えている。……なんだか、昔話の魔王のようだな。馬鹿らしい、とは思うのだが。どうにもそんな想像が頭から離れないのだ」
苦笑するピエレット氏だが、その顔は少しだけ引きつっていた。少なくとも彼女の中では、この想像は笑い飛ばせる段階をとうに超えているということだろう。
「別に、絵本に出てくる魔王の摩訶不思議な術がなくとも、人の心は乱せますからな。例えば薬物であったり、話法であったり……決してあり得ない話ではないでしょう」
苦渋に満ちた表情で、アデライドはそう言った。実際、その通りだよな。言葉巧みに相手に近づき、麻薬漬けにする……そういった手段でも、ピエレット氏が語っているような事態を引き起こすことは十分に可能だ。
「オレアン公閣下の御懸念が真実であった場合、事態はたいへんに深刻ですな。どこかの勢力が、意図的にガレア王国を叩き割ろうとしているわけですから」
「これが杞憂ならば、これほどうれしい事もないが。しかし、我らがガレアでなにかしら悪い事態が起きつつあるのは確かなのだ。手は打たねば」
苦い表情のピエレット氏に、僕とアデライドは揃って頷いた。むろん彼女の言葉を頭からすべて信じてしまったわけではないが、筋の通った仮説なのは間違いない。皇太子殿下の様子がおかしいのは確かだしな。
「とはいえ、そうなると時間がありませんな。このままでは、私は近いうちに逆臣認定を受けそうな気配があります。調査にしろ、打開策にしろ、間に合わない公算が高い」
「ああ。まさか、いきなりヴィオラの身柄を押さえるような真似はできないだろうしね。彼女は巧みに姿を隠しているし、何より王太子殿下の信を得ている。逆臣の妹として冷遇される私では、彼女には手が届かない」
「それは私も同様ですな。むしろ、信用されていない度合いでは遥かに上でしょう」
アデライドとピエレット氏は、顔を見合わせ力なく笑った。お手上げだぜ、ハハ……。そういう雰囲気だ。先代オレアン公と違い、ピエレット氏はずいぶんと付き合いやすい性格をしていらっしゃるな。
「ブロンダン卿に恩はあるが……領地、領民、そして家族……それらを見捨てて、君たちを支援することはできない。申し訳ないが、私は龍ではなくトカゲでね。危険が迫ればすぐに尻尾を切ってしまうよ。だから、君たちもそれを前提に作戦を立ててほしい」
「トカゲなど」
僕は少し驚き、声を上げた。トカゲというのは、竜人に対する詐称だ。彼女らは、龍の亜人であるという誇りをもって生きている。それをトカゲ呼ばわりするのは、一発で刃傷沙汰になってもおかしくないレベルの罵倒だった。そんな言葉をまさか、自分に対して使うとは。
「むしろ、こうして貴重な情報を教えて頂いている時点で、随分と助けられておりますからな。無理は申しますまい」
薄く笑って、アデライドがそう答える。もちろん、僕も頷いた。流石にそこまでは迷惑はかけられないだろ。
「ひとまず、私たちのほうでもポンピリオ商会やヴィオラについて洗ってみましょう。別のルートで調査をすれば、何か新しいことが判明するやも」
「うん。私の方でも、出来る限りの手は打っておこう。裏切り予告をしておいてなんだが、出来る限り恩は返しておきたい。何かあったら、連絡してくれ。……殿下に気付かれないようにな? もし気付かれたら、私はシラを切るぞ」
ハッキリ言う人だなぁ。僕は思わず苦笑してしまった。こうして何もかも口に出してしまうところは、先代にまったく似ていないな。とはいえ、僕としてはむしろこういうタイプの方が付き合いやすいかもしれない。
「ありがとうございます、オレアン公閣下。うまく事態を切り抜けられましたら、このお礼は必ず致します」
そう言って、僕は深々と頭を下げた。うまく事態を切り抜けられなかったら……ま、お礼はムリだろうな。たぶん僕やアデライドは斬首ルートだ。そうならないよう、せいぜい足掻くとしよう。
 




