第560話 くっころ男騎士と新オレアン公(1)
レーヌ市へとたどり着いた翌日。予定通り、僕たちはオレアン公と会談すべく宿を発った。とはいっても、もちろんそのまま普通に出発したわけではない。なにしろ、これだけ物騒な情勢だ。どう考えても、我々には監視がついている。そのまま何も対策を打たないままオレアン公と接触したら、王太子殿下に更なる疑惑を(そして介入の口実を)与えることは間違いなかった。
そう言う訳で、たかだか人ひとりに会いに行くだけの要件にも関わらず、我々はたいへんな手間を取らされた。影武者を立てたり、変装したりといった面倒くさい手順をいくつも踏んで、やっとのことで僕は目的地へとたどり着いた。
街のアッパータウンとダウンタウンの境目にあるその家は、一見したところたんなる民家にしか見えなかった。特別裕福でもなければ、特別貧しくもない。そういうごく普通の家族が住んでいそうな家である。普通の来客者のフリをして家に上がらせてもらった後も、その印象は拭えなかった。なにしろ、出迎えをしてくれた青年が赤ん坊まで背負っている始末だったからな。
「ん、来たか」
しかし、その客間で僕たちを出迎えたのは、たしかに現オレアン公ピエレット・ドゥ・オレアン氏だった。僕は彼女とは直接の面識はないのだが、腐っても元王宮勤務の騎士だったので顔くらいは知っている。重鎮貴族の子息なんてのは、いやでも目立つ立場だからな。
とはいえ、もちろんピエレット氏も我々と同じように変装をしている。失礼を承知で表現すれば、人は良さそうだがどうにも儲かってなさそうな行商人、という風情の格好だった。もともとのピエレット氏が持つ茫洋とした雰囲気が、その印象に拍車をかけている。
ちなみに、そういうこちらはと言えばアデライドとお揃いで巡礼者の格好をしている。レーヌ市は巡礼ルートの途中にある街だから、こういう恰好が一番目立たない。巡礼者用のローブにはフードが備え付けになっているのも都合が良かった。
「いきなり呼びつけて申し訳なかったな、アデライド殿」
立ち上がったピエレット氏は、愛想笑いを浮かべながらアデライドと握手をした。そして、僕の方をちらりと見る。少しばかり怯んだ心地になってしまったが、その目には敵意も反感も浮かんでいなかった。
「オレアン公閣下は、アルとは初対面でしたな。必要はないでしょうが、一応礼儀として紹介しきましょう。彼は、我が婚約者にしてリースベン城伯、アルベール・ブロンダンです」
貴族同士が初めて顔を合わせたら、仲介者が間に立ってから挨拶をかわす。それが大陸西方の宮廷儀礼だ。アデライドはやや面倒くさそうな様子で僕を紹介し、そして同じような手順で今度はピエレット氏を紹介してくれた。
「初めまして、ブロンダン卿。挨拶が遅れて申し訳ない。……できれば、あの忌まわしい内乱が終わってすぐにそちらへうかがいたかったのだが」
「……いえ、こちらこそ。先代のオレアン公閣下には、たいへんにお世話になっております。本来ならば、自分の方から参上するのが道理でしたのに」
先代のオレアン公は、何かと因縁のある相手だった。どうにも彼女は僕が宮廷騎士だった頃からこちらを疎ましく思っていたようだし、こちらはこちらでオレアン公の陰謀が原因で幼馴染の騎士を一人失っている。はっきり言って、敵といっても差し支えないような相手だった。
しかし、オレアン公は最後の最後でその残り少ない命を燃やし、僕を救ってくれた。彼女が居なければ、僕は敵将との相打ちを狙って自爆していたことだろう。当たり前だが僕だって好き好んで自爆などを企んだわけではない。それを止めてくれた前オレアン公には、どれだけ感謝してもしたりないというのも確かなのだ。
「はは、足が向かなかった気持ちはわかるとも。自分の母がどういう人物だったかくらい、私も承知している」
すこし苦笑してから、ピエレット氏は応接椅子に腰を下ろした。公爵が座るには流石に粗末に過ぎる椅子だったが、服装のせいか不思議とミスマッチには感じない。彼女は首をかすかに振って、我々にも座るように促した。
「しかし、だからこそ私は君にどれだけ感謝をしてもしたりないのだ。ブロンダン卿のおかげで、母は面目を保つことができた。そして、名誉ある最期も」
少しだけ目を伏せ、いったん言葉を切るピエレット氏。そして小さくため息を吐き、再び口を開く。
「母は、ああいう人だったからね。ブロンダン卿が看取ってくれたからこそ、あれほど安らかな表情で逝けたのだと思う。私では、こうはいかなかっただろう」
「いえ、そんな……」
僕の脳裏に、前オレアン公の最期のがよみがえる。娘を殺され、その復仇を果たした騎士の顔にしては……確かに安らかな表情だった。
「ありがとう、ブロンダン卿。オレアン公爵として、この恩は必ず返す」
ピエレット氏がそう言ったすぐ後に、客間のドアがノックされる。少しバツの悪そうな顔をしたピエレット氏がどうぞと答えると、入ってきたのは例の青年だった。相変わらず、背中には赤ん坊を背負っている。どうやら、ネコ科系の獣人の子供らしかった。
青年は我々に一礼した後、応接テーブルの上に湯気の上がる香草茶のカップを人数分ならべた。そして、オレアン公の前にある冷めきった香草茶を回収する。その作業の最中に、赤ん坊がぐずり始めた。青年は慌てた様子で、我々と赤ん坊を交互に見た。
「見知らぬ人間が大勢いて怖いのだろうさ。我々のことは気にしなくていいから、奥であやしてあげなさい」
そう言いながら赤ん坊を一瞥するピエレット氏の目は、ひどく優しげなものだった。もしかしたら、子供が好きなのかもしれない。青年は深々と一礼し、早足で客間から出ていった。
「……いや、もうしわけない。急場、かつ極秘で用意した拠点なものでね。いろいろと、その……」
気まずそうに眼を逸らしてから、ピエレット氏はコホンと咳払いをした。
「気にする必要はございません。なにしろ、密会ですからね」
苦笑しつつ、アデライドが肩をすくめた。僕のような人間からすると、密会なんてのはいかにも高級そうな料亭でやるイメージがあるが。まあ、本当に内緒話をしたいのなら、こういう目立たない地味な場所を使うこともあるか……。
「挨拶はこのくらいにして、そろそろ本題に入ることにしましょうか」
表情を改め、そう続けるアデライド。どうやら彼女は、少しばかり焦っているようだな。まあ、戦勝パーティの本番は明日だからな。そりゃあ、焦りもするか。いつフランセット殿下が仕掛けてきてもおかしくない情勢だしな……。
「ああ、近頃の殿下の身の回りについて……だったね」
深く息を吐き、ピエレット氏は湯気の上がる香草茶を口に運んだ。
「君たちも、さぞ違和感を覚えていることだろう。この頃の殿下は、どうにも妙だ」
「ええ。少なくとも去年までのフランセット殿下は、聡明で思慮深いお方でした。それが、今や……」
どうしてこうなった、と言わんばかりの様子でため息を吐くアデライド。これに関しては、僕も全くの同感だった。殿下と知り合ったのは、王都内乱のさ中だ。その時の彼女は、流石は大国の王太子だと感心するような度量を持ち合わせていた記憶がある。今の近視眼的な彼女とは別人のようだ。
「実のところ、王太子殿下がああなってしまわれたのは……ある女の影響ではないかと思っているのだ」
「……」
僕とアデライドは揃って顔を見合わせた。まったく、嫌な話題だな。うーん、聞きたくねぇ。僕だけ部屋から出て、あの赤ん坊の世話をやらせてくれないだろうか? クソみたいな政治話をしてるくらいなら、赤ん坊のおしめの始末でもしてたほうがよほど気分が楽なんだけど。……そういうわけにもいかんのよなぁ。はぁ……。
「その女の名は、ヴィオラ。ポンピリオ商会のヴィオラだ」
顔を引きつらせる僕に強い視線を向けながら、ピエレット氏は決定的な名前を口に出した。




