第558話 くっころ男騎士とシスコン系妹(2)
「ハイハイ言うくらいなら、可及的速やかに姉上をワタシに返してください。ノールを継ぐにふさわしい人間は、姉上を置いて他にいないのです。あなたが独占するなんて、とても認められません!」
久しぶりに再会したソニアの妹、マリッタはそう言って僕に詰め寄ってきた。彼女は、僕に姉を取られたと思っているのだ。実際、本来であればソニアはスオラハティ家を継ぐはずの人間だったのだ。これは決して、マリッタの逆恨みなどではないだろう。
「……」
僕は鬼の形相でこちらを睨みつけるマリッタから視線を外し、バルコニーの外に目を向けた。そこにはレーヌ市の街並みが広がっているはずなのだが、今は漆黒の闇に塗りつぶされて何も見えない。電灯がまだ発明されていない世界だから、夜景などは最初から期待できないとはいえ……いくらなんでも暗すぎる。これだけの大都市で、ランプの明かりひとつ見えないというのは異様だった。
レーヌ市の市民は、みな戸や窓を閉ざし息を潜めているのだろう。占領下の都市はこれだから、と嫌な感覚を覚える一方、理性の方は現実逃避をするのはやめろと訴えていた。今はそんなことを考えるよりも、マリッタの相手をせねばならない。
「姉上を返しさえすれば、あなたを許すと言っているのです」
目に強い光を宿しながら、マリッタが言葉を重ねる。スオラハティ姉妹の例にもれず彼女もなかなかの長身(百九十は軽く超えているだろう)だから、なかなかの迫力だった。
「う、うん……」
「うん、ではありませんよ。いいですか? 姉上さえノールに戻ってくるのであれば、ワタシはあなたを義兄と読んでもいい。あるいは、どうしてもリースベンとやらに引きこもりたいたいというのなら、母上でもヴァルマでもその両者でも、好きに連れて行ってもいい。そう言ってるんですよ、ワタシは。これほど譲歩しているのですから、あなたには真面目に応える義務があります」
僕の胸倉をつかみつつ、マリッタはそうまくしたてる。そうとうお怒りの様子だな。
「あなたのせいで、ワタシの家族はメチャクチャですよ。みんな、あなたに狂わされてしまった。本来ならば、磔にしてやりたいくらいの気分なんです」
そうだね!! 僕は思わず盛大に頷きそうになった。そりゃ、そうだよな。スオラハティ家は確かに僕のせいで大変なことになっている。現当主と元次期当主とついでに末の妹が、同じ男の元へ行こうとしているのだ。異常事態以外の何物でもないだろ。
一般庶民でもこんな状態になったら家庭崩壊待ったなしだわ。まして、スオラハティ家はガレア随一の大貴族家。関係者からすればたまったものではないだろうし、その中でもマリッタは一番の被害者だ。ウ、ウオオ……正論すぎて何も反論できないぞ。
「ワタシがまだ淑女的な態度でいられるうちに、妥協をしておいた方が良いと思いますけどね」
ギリギリと歯ぎしりしてから、マリッタはそう付け加える。……そっちの言い分はわかる。めっちゃわかる。この件に関しては、僕が一方的に悪い。もちろん反論したい部分はあるが、ソニアやカステヘルミに泥をかけるような真似はしたくないしな。結局、彼女らの好意をいいことに自分勝手な立ち回りをした僕に、すべての責任があると見た方が良いだろう。
「……ごめん。いや、申し訳ありません」
とはいってもね、今さら土台をひっくり返すわけにもいかんのよな。ソニアはもはや僕にとっては不可分の相方で、離れ離れになるなどとても考えられない。しかし、だからと言って彼女に同行してノール辺境領に引っ越しというのも論外だ。今のリースベンは、おそらく僕無しでは結束を保てない。もともとのリースベン領民と蛮族勢の間にはまだまだ大きな溝があるし、蛮族勢は蛮族勢でお互いにいがみ合っている。間に僕が挟まることで、なんとか拮抗を保っている状態なのだ。
そう考えるとなかなか不健全で不穏な状況なのだが、そうでもしないとリースベンは治まらないのだから仕方ない。もちろんずっとこんな有様では僕の死後にリースベンが爆発四散することは間違いないので、なんとか改善を図っていくつもりではあるが……一朝一夕にどうにかなるものでもなし、腰を据えて融和を図っていくしかないというのが正直なところだった。
というか、そういう難儀な領地だけに実務面でもソニアは必須の存在なんだよな。いまだって、僕がこうして遠方に旅行できているのはソニアが領地の面倒を見てくれているからだしな。ここでソニアが離脱という事態になったら、リースベン領もブロンダン家も潰れてしまいかねない。とにかく人材不足なんだよ、ウチは。
「マリッタ様に理があるのは事実なのですが、今すぐそちらの要望にお応えするのは現実的には困難です」
言葉遣いを目上を相手にするときのものに改め、僕はそう説明した。マリッタの要求をのめない以上、身内に対するような喋り方は失礼だ。私的な面での折り合いがつかない以上、公的な立場に戻って話をする必要がある。
「とはいえ、もちろん一方的に身勝手を申すつもりはございません。レーヌ市における仕事が終わったら、ソニアも呼んで話し合いの機会を設けるのはどうでしょうか? このような問題は、僕個人の一存で差配できるものでもありませんし……」
僕がマリッタを説得するのは、まず無理だろう。彼女は僕を恨んでいるし、そもそも悪いのもこちらだ。ソニアやカステヘルミも読んで、家族間の話し合いで折り合いをつけてもらうほかない。まあその結果、逆にソニアが説得されてノールへ帰ってしまう可能性も無きにしも非ずだが……まあ、その時はその時だ。交渉なんてのは妥協点を探るためにやるものなのだから、何かしらの痛手を負うことは最初から覚悟しておかなければならない。
「駄目です」
だが、マリッタは僕の提案を一蹴した。彼女は眉間にしわを寄せつつ、大きなため息を吐く。
「姉上が自分からあなたの元を離れるなどあり得ません。なにしろ、あそこまで骨抜きにされてしまっているわけですからね。もはや、手遅れですよ。何とかするには、あなたが命じて荒療治をするほかない」
「え、ええ……」
「すべてあなたが悪いんですよ。男などまったく興味のなかった姉上を誘惑し、性癖を捻じ曲げ、心を捕らえ……ええい、許しがたい」
それは知らんわッ! 僕は誘惑なんかしてねーぞ。というか、童貞のままアラフォーでおっ死んだ人間に威勢の誘惑なんかできるわけないだろ常識的に考えて。流石にそれは濡れ衣だわ。
「ワタシは最大限まであなたに譲歩しました。いわば、最後通牒です。これ以上は、びた一文たりとも払う気はないのです。ですから、もしあなたがこの条件をのめない場合は……」
僕の襟をつかんでいた手を離し、マリッタは少しだけ距離を取った。しかし、だからと言って彼女の怒りが収まったわけではないようだった。むしろ、その目の光は菜緒を強くなっている。
「交渉、決裂。もはや、あなたのことは身内とみなしません。あなたは、我が家族を破壊する怨敵です」
怨敵、怨敵と来たか。僕は思わず顔を引きつらせた。むろん、彼女から恨まれていることは理解していたが……まさか、ここまでとは。参ったな、流石にこれは計算外だぞ。どうしたもんかね、ううむ……。
「言葉で解決できない問題は、実力で解決するほかない。いまやあなたに残された選択肢は、今ここでワタシの案を飲むか、あるいは敵対者としてワタシに攻め滅ぼされるか、です。まあ、幼馴染の義理もありますから、白旗を上げれば受け入れてやりますけどね」
「……」
「で、どうなんです? 姉上を返してくれますか。はいかいいえで答えなさい」
相談もせずにそんなこと決められるかよ! 僕はそう言い返したい気分だったが、マリッタの意志は固いようだった。昔は、ここまで頑ななヤツではなかったはずなのだが……。
「いや、頷けない。少なくとも、いまここでは。だから、僕の答えはいいえだ」
「なるほど、結構。では、貴様はワタシの敵だ」
敬語すら捨て、マリッタは踵を返した。そして荒々しい足音を立てながら、バルコニーを去っていく。残された僕は、深いため息を吐くことしかできなかった……。




