第557話 くっころ男騎士とシスコン系妹(1)
ノール辺境伯、カステヘルミ・スオラハティには三人の娘がいる。一人は言わずと知れたソニア。王国一の騎士と称えられる、本物の天才。そして末の娘が、これまた天才でしかも危うげな野望に燃えるあのヴァルマだ。
そんなキャラの濃い姉と妹に挟まれたマリッタ・スオラハティという人物は、はっきり言ってそれほど目立つ人物ではなかった。いや、決してマリッタの出来が悪いわけではない。武技も知略もそつなくこなし、隙がない。おまけに性格も真面目だ。ただ、比較対象であるソニアやヴァルマが際立った天才過ぎたのが彼女の不幸だった。
「……」
そんなマリッタが、貴族の一団に紛れて僕を睨みつけている。それを見ただけで、鉛の塊を飲み込んでしまったような気分になってしまった。正直に言えば、僕は彼女のことがかなり苦手なのだ。いや、苦手というよりは、申し訳なさを感じているというか……。
実のところ、僕はマリッタから随分と恨まれている。彼女はなかなかのお姉ちゃんっ子で、昔からソニアの副官を気取っていたのだ。将来は、スオラハティ家の当主となったソニアを支えていく! などということも言っていた。にもかかわらず、ソニアはスオラハティ家から出奔し、僕の副官になってしまった。マリッタからすれば、僕は姉を奪った憎い相手なのだ。そりゃあ、目の仇にもするだろって感じだな。
ああ、しかしまさかレーヌ市にマリッタが居たとは。おそらく、スオラハティ家に命じられた軍役に応じて出陣したんだろうな。こう言った場合、本来であれば当主であるカステヘルミが出張るのが普通なのだが……マリッタはソニアから繰り上げでスオラハティ家の当主になることが決まっているから、箔付けのために彼女が出陣することになったのだろう。武家の頭領を勤めるためには、それなり以上の実戦経験が必要なのだ。
「お初にお目にかかります、ブロンダン卿。私は王都西のバージルという地に所領を持つ、バージル城伯と申す者……」
なんとも気まずい気分だったが、僕は一応このパーティの主賓だ。何も言わなくても、あちこちから勝手に人が集まってきてアレコレ話しかけられてしまう。正直に言えばこういった貴族的な付き合いをするような気分はすっかり吹き飛んでしまったのだが、だからといってまさか彼女らを邪険に扱うわけにもいかない。なんとか笑顔を取り繕いつつ、僕はマリッタに軽く会釈をしてから挨拶へと専念した。
「ほう、そちらのご領地は銀細工が特産品なのですか。これは興味深い。よろしければ、ネックレスなどを発注させていただきたいですね」
貴族たちと空虚な会話を交わしつつ、僕は内心ため息をついた。もちろん銀細工などには興味はないし、それよりもマリッタのほうがよほど気になる。しかし僕は新参の成り上がり者だから、社交の場での立ち回りには細心の注意が必要だ。むろん、邪険に扱うなど論外である。ゲンナリしたものを感じつつも、表面上はにこやかに応じる他なかった。
「ええ、ええ。ジェルマン伯爵殿には、この戦いでもたいへんにお世話になりました。軍議でも、そして戦闘でも、あの方には助けられっぱなしで、はい」
相手の商売に付き合ったり、共通の知人の話をしたり、もう大忙しだ。僕はベルトコンベア作業でもしているような気分になりながら、貴族らの話に付き合い続けた。一人と会話を終えても、即座にまた新手が現れるのだから大変だ。厄介だなぁ、などと思いながら貴族らを右から左に流していたら、大柄な影が僕の前にヌッと現れた。
「失礼。少しばかり、この者をお借りいたします」
マリッタである。彼女は僕の肩を掴み、そのままぐいぐいと引っ張ってきた。あわててジョゼットが止めに入ろうとするが、目でそれを制止する。あまり関係が良いとは言い難いとはいえ、一応彼女は身内なのだ。どうしてこんなマネをしているのかくらいは、予想がつく。
案の定、マリッタは僕をホールから直通になっているバルコニーへと連れ出した。先客も居たが、マリッタはそれをひと睨みで退散させる。やはり、彼女は僕と二人っきりで話がしたいようだな。
「や、やあ、どうも。久しぶり」
努めて友好的な声音で挨拶するも、その空虚な言葉はマリッタの鉄面皮に跳ね返されて霧散してしまった。彼女のそのヴァルマによく似た顔(双子なのだから当然だ)には、氷のように冷たい表情が浮かんでいる。
「姉上はどこにいらっしゃるのですか?」
ひどく端的な口調で、マリッタは僕を詰問した。挨拶も前振りもない、単刀直入すぎる言い草だ。数年ぶりの再会にも関わらず、この態度。ぜんぜん変わってないなぁ、マリッタ。思わず顔に笑みが漏れだしそうになって、なんとか我慢する。ここで笑ったりすれば、間違いなく彼女は気分を害するからな。
「ソニアはリースベンだよ。誰でも彼でもに領主名代を任せられるような土地じゃないからさ、あそこ……」
政治屋、内政屋としては超一流のアデライドですら統治に難儀をするのがリースベンという土地だ。留守番を置かない、という選択肢は流石に無かった。仕方がないので、ソニアには引き続き領主名代の仕事を頼んでいる。
「ノール辺境領の支配者となるべき立場の姉上が、今や辺境の小領で領主代理をしているなんて。悪夢以外の何物でもありませんね……」
眼鏡の位置を直しつつ、マリッタは深い深いため息をついた。彼女は姉であるソニアをたいへんに尊敬しており、自分が二番手に甘んじることを良しとしているのだ。天上天下唯我独尊を地でいくヴァルマとは、真逆の性格と言っても差し支えない。
「お姉様を返しなさい、アルベール。おかしいとは思いませんか? お姉さまはスオラハティ家の跡取りなのですよ。百歩譲ってあなたが婿入りするならまだしも、なぜ姉上のほうが嫁養子にならねばならないのです、道理が通らないでしょう」
「そ、そげなことをいわれましても……」
怒り顔で睨みつけてくるマリッタに、僕は黙り込むことしかできなかった。彼女の言葉は正論だ。むしろ、譲歩してくれているとすら言える。スオラハティ家は王国屈指の大貴族で、ぼくはいち宮廷騎士の息子なのだ。本来であれば、本人らがどれほど望んだところで結婚できるものではない。ましてや、跡取り娘を嫁に出すなど驚天動地の出来事だ。
「婿入りしたくないというのなら、ヴァルマとだけくっ付けば良かったのです。あの愚妹でしたら、ワタシだって喜んで送りだしますよ」
マリッタはピシリと僕の眼前に人差し指を突き出した。
「あるいは、母上の後夫でもよろしい。正直複雑な気分ですが、母親の幸せを願う情くらいワタシにだってあります。母上がリースベンとやらで隠居をしたいというのなら、もちろん応援だっていたしましょう」
「ハイ」
「しかし、しかしです。名前も聞いたこともないような南のド辺境に姉上の骨をうずめるのは流石に容認できません。さらにそれに加えて、母上までもあなたの元へ行きたいだなどと。ああ、もう、ワタシは頭がどうにかなってしまいそうです」
「ハイ……」
いや、もう、おっしゃる通りです。うん、そうだよな。マリッタとしちゃ、そう言うほかないよな。姉を取られて、さらには妹と母親まで取られて、そりゃあ僕を恨まないハズないよな……。ううううむ……どうしよう、全然言い返せない。だって十割正論だもの。でも、今さらそんなこと言われてもメッチャ困るだろ……。
「ハイハイ言うくらいなら、可及的速やかに姉上をワタシに返してください。ノールを継ぐにふさわしい人間は、姉上を置いて他にいないのです。あなたが独占するなんて、とても認められません!」
凄まじい剣幕で、マリッタは僕に詰め寄った。う、うおお…なんだか胃が痛くなってきたぞ……。




