第554話 くっころ男騎士の婚前旅行(2)
旅の後半は、船に乗ることが多くなった。レーヌ市はもともと、エムズハーフェン市と同じく河川交通を軸に発展してきた都市だ。そこへ向かうわけだから、陸上の道路を使うよりも川船を使った方がよほど手っ取り早い。
しかも、神聖帝国の河川交通といえばエムズハーフェン家だ。ツェツィーリアの伝手を頼れば、それなりに良い船を優先的に借りることだってできてしまう。移り変わる景色を楽しみながら、川の幸を肴に一杯……などということもできてしまうわけだ。快適過ぎてダメ人間になってしまいそうだった。
まあ、体力を消費しないぶん夜には大変なことになってしまうので逆に困ってしまうが。この頃のアデライドとダライヤは、貞操さえ無事なら何をやっても良いと思っているフシがある。付き合わされるこちらとしては、もう大変どころの話ではなかった。そこまでやるならいっそ最後までやっちまえよ、などと思わなくもないのだが……。
「いやー、いいね……船旅サイコー」
白ワインの入った酒杯を傾けつつ、僕は周囲を見回した。西の地平に沈みかけた太陽が、広く穏やかな川面を照らしている。赤く染まった空には川鳥が優雅に羽ばたき、川岸付近では漁民のものと思わしき小舟が忙しそうに働いている。これだけで酒が何杯でも飲めてしまいそうな、美しい景色だった。
「うむ、まさにこれこそお大尽様の楽しみ方よのぉ。はぁ、無駄に長生きした甲斐もあったもんじゃのぅ……」
酒臭い息を吐きながら、ダライヤが僕にしなだれかかってくる。カワイイ奴め、などと思いながら僕は彼女に頬擦りをした。この船は我々の貸し切りだから、周囲の目を気にせずいくらでもイチャつくことができる。彼女の言う通り、これはお大尽様の遊び方だな。こんなのに慣れちゃったら、マジで元の生活に戻れなくなってしまうのではないかという不安があった。
「気候もちょうどいいしなぁ」
ダライヤの逆側から、アデライドが僕の肩に腕を回した。もちろん胸元に腕を突っ込んでくることも忘れない。セクハラ宰相の面目躍如だ。黙っていれば陰のある知的な美女なのに、どうしてこの人はいちいちセクハラオヤジみたいなムーヴをせねば気が済まないのか。男の胸なんぞ揉んで何が楽しいのかという疑問ともども、いまだにこの宰相閣下のやることはよくわからない。
しっかし、すさまじい状況だな。右手にダライヤ、左手にアデライドだぞ。完全に両手に花の状態だ。死ぬまで非モテ街道を突っ走った前世の僕が今の状態を見たら、いったいどんな顔をすることやら。まあ、両手に花とはいっても実際は食人花みたいな女性なんだけどな、二人とも。
ちなみに、こちらの船に乗っているのは、この二人と幼馴染の騎士のうちの半分だけだった。残りの半分と、そしてネェルは別の船に乗って我々の船のすぐ後ろを航行している。なにしろネェルは図体が大きいから、みんなが同じ船に乗るのは流石に無理があったのだ。むろん、ネェルばかりに寂しい思いをさせるのは申し訳ないので、明日は彼女のほうの船に乗る予定になっている。
「確かに、偶然とはいえ避暑にはちょうどいい機会だったねー」
それはそれとして、アデライドの言うことももっともだった。今は晩夏の季節で、リースベンであればまだまだ汗ばむ日々が続いているところだ。しかし、我々はすでにだいぶ北上してきている。当然ながら夏の暑さも緩み、吹く風はちょうど心地よくなる程度の涼しさだった。
「完全に私用だったら、もっと羽根を伸ばせたのにねぇ……本当に残念だよ」
などと言いながら、アデライドは僕の胸を揉む。いや、すでに大概羽根を伸ばしてるだろ、アンタ。そう思いながら、無言で彼女の手をブロックする。いくら婚約者とはいえ野外でこんなことをされるのは恥ずかしい。
「あー、我らのアル様が汚されてるぅ……」
案の定、文句の声が出た。我々から少し離れた場所で釣り糸を垂らしていたジョゼットだ。
「いくらオフだからって、我々の目の前でイチャコラするのはやめてもらえませんかねぇ!」
「そうだそうだ! 独り身のこっちのことも考えろ!」
「これ以上新たな性癖に目覚めたらどうする! 責任を取ってくれるのか!? アル様が!!」
ジョゼットに続き、他の幼馴染騎士どもも声を上げ始めた。ほとんどデモか決起集会のような声の挙げ方だった。まあ、彼女らは全員未婚だからな。そりゃあ、目の前でこんなことやられたら普通に嫌だろ。文句が出るのも当然のことだ。
しかし、アレだな。僕自身が身を固めることになった以上、彼女らの結婚についてもそろそろ考えねばならない時期が来てるなぁ。この時代の結婚なんてのは、親や上司、主君なんかが世話をしてやるのが普通なのだ。僕も彼女らの上官なのだから、このまま放置というわけにもいかん。……まあ、とはいえ今回ばかりはそんな煩わしいことは後回しで良かろう。せっかくの休暇だしな。
「おい、ジョゼット。竿、引いてるぞ」
「あっ、わっ、おっとっと!」
僕がそう指摘すると、ジョゼットは慌てて釣り竿と格闘し始めた。どうやら大物がかかったようで、なかなか難儀している。ほかの幼馴染どももすっかり興味の対象をそちらに移し、ジョゼットに声援を送り始めた。みな、とても楽しげだ。結局のところ、さきほどのシュプレヒコールめいた文句も一種のからかいにすぎなかったのだろう。
どうやら、みな旅行気分を楽しんでいるらしい。まあ、ここ一年はあまりにも忙しすぎたからなぁ。こうしてみなでノンビリする機会など、まったくといっていいほど無かった。出立前は気が重かったこの旅ではあるが、いざ始まってみれば本当に良い気晴らしの機会になってくれた。しかも旅費は王家持ちだしな。うーん、最高。
「珍しく緩んでおるのぉ、アル」
僕の頭を優しく撫でつつ、ロリババアが言う。緩んでるのは確かだが、そう珍しい事ではないと思うが。僕は割と年中緩んでるタイプの人間だし。
「まあ、気分は分かるがの。しかし、油断のし過ぎは禁物じゃぞ? まだ、相手方の真意は分かっておらぬわけじゃし」
「確かに……」
僕はワインを口に運んでから、ゆっくりとため息をついた。実際、王家の誘いがいかにも罠っぽいのは確かなのだ。旅行気分でユルユルになった挙句、奇襲を喰らって全滅しましたでは話にならない。はぁ、たまには浴びるほど酒を飲んでぐでぐでになりたいものだが、そういう訳にもいかんのだろうな。
下っ端だった頃は、そんなことなんかまったく気にせず酒場で徹夜もできたのにな。下手に偉くなってしまったばっかりに、制約ばかりが増えてしまう。今ならば、前世の頃に時折遭遇した、佐官や将官への昇進を蹴って今の職場に居座り続けるような人物の考えていることが理解できるような気がする。正直、結婚云々がなければ伯爵への昇爵も断りたいくらいなんだが……。
「ダライヤ、君はなかなか疑い深いねぇ」
一方、アデライドはそんなダライヤの懸念には懐疑的だ。ワインのたっぷり入った酒杯を一気に飲み干し、ぷはあと息を吐く。
「確かに先方はこちらを目障りに思っているだろうさ。しかし、我らとてそれなりの勢力は有しているのだ。直接的な排除を目指せば国が割れる。そして、今の段階で先方がこちらを切れば、泥をかぶるのは向こう側なのだ。万一内戦に突入した場合、泥をかぶった側が不利になるのは間違いあるまいよ……」
そう言いつつ、アデライドは空になった酒杯を押し付けてくる。お酌をしてくれ、ということらしい。僕は薄く笑って、彼女の酒杯にワインを注いでやった。
「確かにのぅ。しかし、覚悟を決めた人間というのは厄介じゃぞ? 国を割るくらいは平気でやる。ワシ自身もそうじゃった」
僕の首筋を人差し指でやさしくなぞりつつ、ダライヤが反論した。新エルフェニア帝国を叩き割った"前科"がある彼女の発言だから、なかなかに真実味がある。僕は腕組みをし、小さく唸った。万が一には備えているつもりだが……やはり、内戦は怖いな。
「一応、両親に事情は伝えておくか……後で、鳥人伝令を呼んでおいてくれ」
僕の両親は王都に住んでいる。万が一のことがあれば、人質にされてしまうかもしれない。むろん、僕とて軍人で領主だ。両親と領民を天秤にかける事態になれば、問答無用で後者を選択する。しかし、だからこそ最初からそんな選択をせずに済むように手を打っておくべきだろう。
「うむ、良い心掛けじゃ」
ウンウンと頷くダライヤ。そんな彼女を見て、アデライドは小さく肩をすくめた。
「ま、備えあれば憂いなしともいうからな。念には念を入れておくのもいいだろうさ」
おそらく、杞憂に終わるとは思うけどねぇ。そうつづけるアデライドに、僕は思わず苦笑した。僕は軍人だから、どうしてもリスクを重く見すぎるきらいがある。杞憂で済んだならそれで幸い、そういう価値観がしみついているのだ。しかし、文官肌のアデライドにはこのあたりの感覚はあまり理解できないのかもしれないな……。




