第552話 くっころ男騎士の旅立ち
なんとも居心地の悪い送別会を終えた翌日、我々は予定通りレーヌ市へ向けて出立していた。正直に言えば気の重い仕事だが、だからこそ先延ばしにはできない。後ろ髪を引かれるような気分を断ち切り、我々は一路北を目指した。
ちなみに、同日にヴァルマもミュリン領を発っている。とはいっても、別に僕たちの旅に同行するわけではない。彼女の仕事はアーちゃんの護送だった。先日、やっとのことでリヒトホーフェン家が身代金を払い、あのライオン女は自由の身となった。その身柄の引き渡し役に立候補してくれたのが、ヴァルマだったのだ。
アーちゃんの身柄引き渡し予定地は、ミュリン領のやや北にある都市国家だ。残念なことに、僕たちとは使うルートが異なっている。出立早々、ぼくたちはアーちゃんやヴァルマと別れることになってしまった。旅の道連れが減り、僕としては少しばかり残念だった。ヴァルマはもちろん、アーちゃんも普通の友人として付き合うのならわりと面白い相手なのだが。
「尻が痛い。めちゃくちゃ痛い」
分かれ道でヴァルマらを見送った数時間後。軍馬にまたがったアデライドが泣き言を漏らした。今回は急ぎの旅であるから、当然ほぼ全員が馬に乗っている。我らが宰相閣下もそれは同様だった。
とはいえ、彼女はあくまで文官だ。貴族のたしなみで乗馬術こそ習得していても、普段の移動にはもっぱら馬車を活用している。つまり騎馬で遠距離移動をする経験などほとんどしたことがないのだ。おまけに、今回の旅では馬を早足で歩かせていた。こうなると、当たり前だが尻にはとんでもない負担がかかる。そりゃあ、慣れない者にはさぞ辛いことだろう。
「うう……振動が響く……翼竜よりは馬のほうがはるかに乗り心地がいいだろうとタカをくくっていた昨日までの自分を殴り倒したい……」
そう語るアデライドの目には涙が浮いている。本当に辛そうだ。こうなることはわかっていたから、彼女には事前に特注の乗り心地の良い鞍を用意しておいたのだが……どうやら、あまり役には立っていない様子だな。
「ぬっふっふ、情けないのぉ」
僕の背中に抱き着いた幼女が、アデライドを煽る。ダライヤだ。どちらが僕に同行するかで争っていた彼女らだったが、結局二人ともついてくることになったのだ。こうなると逆に留守のリースベンが心配になるが、この招集が罠である可能性がある以上、夫人は万全にしておきたかった。政治面においては、間違いなくこの二人が我々の陣営の切り札だからな。
「うるさいぞ、ひっつき虫! 男の背中に張り付いて、情けなくはないのかね!」
「仕方ないじゃろぉ? ワシ、一人じゃ馬の乗り降りすらできん訳じゃしぃ」
ニヤニヤ笑いでロリババアが煽る。僕は小さくため息をついた。相変わらずアデライドとダライヤは相性が悪い。
「一休み入れようか? 初日からあんまり無理をするのは良くないだろうし」
見習い時代を思い出しながら、僕はそう言った。馬ってやつは、自動車やバイクなどよりよほど尻への負担の大きな"乗り物"だからな。僕も乗馬初心者の頃はさんざん尻の痛みに悩まされたものだった。それなりに鍛えている人間ですらその調子だったのだから、普段あまり運動をしないアデライドからすればほとんど地獄のような者だろう。
おまけにこの早足だ。僕はちらりと自分の馬に目をやる。僕がまたがっているのは体格の良い精悍な軍馬だが、それでもやや辛そうな様子を見せている。歩行ペースが速すぎるのだ。駆け足というほどではないが、こんな調子で歩かせていたらあっという間につぶれてしまうだろう。
もちろん、そうならないよう僕は行く先々で替え馬を得られるように手配していた。しかし馬は替えられても、乗っている人間の方はそうはいかない。乗馬は意外と体力を食うのだ。まして久しぶりに馬に乗るとなると、その消耗は尋常なものではないだろう。
「嫁さんには優しいですねぇ、アル様。私なんて、幼年騎士団の時分にはケツの肉がもげるんじゃないかってくらいキツイ乗馬訓練をやらされた記憶があるんですがね」
先導役の騎士がこちらを振り返っていった。近侍隊の隊長、ジョゼットだ。彼女に率いられた幼馴染の騎士たちは、総勢二十余名。宰相ほどの大貴族の護衛にしてはやや数が少ないが、全員がボルトアクション・ライフルを装備していることを思えば戦力的には十分だろう。
「そりゃあお前、兵隊と文民では話が別だろう。訓練兵とゴマの油は絞れば絞るほど出るものなり、なんて格言もあるくらいだからな」
「聞いたことありませんよそんな格言。……それに、今やアル様の方が絞られる立場じゃないですか」
ジョゼットはちらりとアデライドの方を見ながら言う。……絞られる立場って、つまりそういう? 品がない冗談だなぁ。
「だが、この調子では搾り取るどころか私の方がアルに喰われてしまいかねんな。馬に跨るのも男に跨るのも大差ないだろう。いい機会だから、アルをも乗りこなせるよう今のうちに訓練して置こうじゃないか……」
しかし、うちの嫁さんはさらに下品だった。ニヤッと笑いつつ卑猥に腰をグラインドさせるものだから、ジョゼットをはじめとした幼馴染どもは大爆笑だ。僕は思わず頭を抱え、大きくため息をついた。
「おお、怖い怖い。愛しの夫が枯れ果ててしまう前に、先んじて絞っておかねば」
背中のダライヤがそんなことを囁きかけてくる。うるせえぞエロババア。僕は無言で彼女の肘鉄をかまし、もう一人のセクハラ女に視線を向けた。
「意外と余裕があるじゃないか。よーし、次の宿場町まで休憩は必要ないな!」
「あっ、エッ!?」
しまった、と言わんばかりの様子でアデライドが顔を引きつらせた。
「つ、次の宿場町か……ちなみに、どれくらいでつくのかね?」
「たぶん三時間くらいッスね」
口角を上げつつ、ジョゼットが答えた。ひどく楽しそうな表情だ。こいつはこういう底意地の悪い部分がある。それを聞いて、アデライドは「うげぇ……」と淑女らしからぬ声を上げた。それを聞いた幼馴染どもはさらに大笑いだ。こらこら、人の嫁さんで遊ぶんじゃねえよ。
「お馬さんに、乗るのが、つらいの、ですか? なら、ネェルが、運んであげても、いいですけど」
そこへニュッと顔を突っ込んでくるものがいた。我らがネェルちゃんである。彼女はそのカマキリボディについた四本脚をシャカシャカと動かし、早足で進む騎馬集団にも見事に追従してきている。相変わらず恐ろしいフィジカルだった。
……ちなみに、馬たちは明らかにネェルにビビっている様子だった。恐慌こそ起こしていないが、彼女が後ろにいるだけで明らかに進む足が速くなっている。おかげで、急かすどころかバテないように手綱を引く必要すらあった。
「い、いや、その……」
顔色をさらに青くするアデライドを見て、ネェルはにやにやと笑いながらその恐ろしげな鎌をこすり合わせてギャリギャリと音を出した。おかげで、アデライドはほとんどチビりそうな表情になっている。ジョゼットもジョゼットだが、ネェルも大概だよな。心優しい娘なのは確かなのだが、時々明らかに人をビビらせて遊んでいるフシがある。
「ふふふ。冗談です、冗談。マンティスジョーク。……ああ、運ぶのは、冗談では、ありませんよ? 必要ならば、言って、ください。アデライドちゃん、ならば、背中でも、鎌でも、貸して、あげます」
「け、結構だ」
首をブンブンと振るアデライド。実際、ネェルの背中は馬などよりもよほど乗り心地が悪いので賢明な判断だ。まあ、鞍がついているわけでもないので当然のことだが。
「はぁ……まあ、なんにせよしばらくは頑張るさ。レーヌ市には、一分一秒でもはやくたどり着きたいところだからねぇ。初日に躓いてはいられないだろう」
口をへの字に曲げながら、アデライドは首を左右に振った。一分一秒でも早くたどり着きたい、か。妙にやる気に満ち溢れてるなぁ、正直、僕の方はかなり気が重いんだけど。何かの罠ではないかという疑念はぬぐい切れないし、そもそもこれ以上自分の地位が上がるのも勘弁してほしかった。
「レーヌ市でなにか楽しみなことでもあるの?」
「あるとも。君の昇爵だよ」
ええ……マジ? 城伯としての地盤すらまだ固まってないのに、もう伯爵に昇爵なんてマジで勘弁とか思ってるんだけど、僕。いやもちろん僕だって出世欲が無いわけではないが、自分の身の程というのは知っているからな。あまりに過剰な責任を背負いすぎて、部下や領民に迷惑をかける形で自爆する羽目になったりしたらシャレにならないだろ。
「妙な顔をするねぇ。忘れたのかい? アルが伯爵になったら、お楽しみのイベントが控えているのだよ」
「おたのしみ?」
「はぁ……その顔、すっかり忘れているようだねぇ。軍人としての君はこれほど有能なのに、なぜ私事となるとこれほど抜けてしまうのか……」
やれやれ、という風情でアデライドが首を左右に振った・
「いいかい、アル。君が伯爵になれば、宮中伯である私とも身分が釣り合うようになる。つまり、正式に結婚できるようになるということだ」
「……アッ!」
い、いかん、すっかり忘れていた……! 僕が固まるのとほぼ同時に、背中のダライヤと後ろを走るネェルがため息をついた。アデライドに至っては、明らかにガックリ来たような顔になっている。
「ご、ごめん……いや、違うんだ。なんというか、もうすでに結婚済み、みたいな気分になっててさ……」
なにしろ、この頃は僕も努めて"嫁"とはスキンシップを取るようにしていた。さらに言えば、彼女らとは寝所をともにし一緒に働いてもいる。これはもうほぼ家族みたいなもんだろ。
「馬鹿言うな……!」
ところが、アデライドはそうではなかったようだ。大層立腹した様子で、グッと拳を握り締める。
「正式に結婚しない限り、私は延々とベッドでお預けを喰らい続ける羽目になるからねぇ……! 異性と同衾して押し倒すのを耐え続けるのがどれほど辛いか、教えてあげようか!」
確かに言われてみればその通りである。僕は思わず吹き出しかけた。言いたいことはわかるが、こうもハッキリいう奴があるか!




