第545話 くっころ男騎士と義妹嫁騎士の転機(2)
アンネリーエ氏の身柄をお前に任せる。そんな無茶ぶりを受けたカリーナは、先ほどまでの自信ありげな様子からは一転、完全にフリーズしてしまっていた。彼女の背中を優しく撫でつつ、僕は苦笑する。同衾の最中にこんな話をするだなんて、僕はなんと野暮な男なのだろうか。
「アンネリーエをリースベンで預かる、という話は既に決まっているんだ。ただ、その世話役については少々迷っていてね。いろいろ考えていたんだが……お前が適任じゃないかと思ってさ」
先日、僕はイルメンガルドの婆さんから面倒な仕事をひとつ頼まれた。彼女の孫……あのアンネリーエ氏の身柄を押し付けられたのだ。名目は人質だが、イルメンガルド氏は『どうにかこの馬鹿孫を叩きなおしてやってほしい』などとも言っていた。あの婆さんは、どうやら僕に孫の再教育を押し付ける腹積もりらしい。ウチは学校じゃねーぞ、というのが正直なところだ。
とはいえ、この依頼自体はむしろ渡りに船であった。現状のままアンネローエ氏がミュリン伯になったら、リースベンの将来にかなりの暗雲が立ち込める。なにしろ、彼女は重要な交渉の真っ最中に独断で交渉相手に喧嘩を売るような女なのだ。
このままではまずいので、アンネリーエ氏にはなんとか更生してもらいたい。しかし、すでに一度ならず二度までも後継者教育に失敗しているイルメンガルド氏にそれを任せるのは不安だ。ならば、再教育はこちらの手で行うのが一番だろう。リースベンやディーゼル家に好意的になるよう誘導すれば、将来の火種も消せて一石二鳥だ。
「……な、なんでさ」
あんなヤツを押し付けられちゃ困る。カリーナはそう言いたげな様子だった。気持ちはまあわからんでもない。
「お前が次期ズューデンベルグ伯の叔母で、アンネリーエが将来のミュリン伯だからさ。両家の橋渡し役として、これほど適任な人材は他にない」
彼女を撫でる手を止め、僕は彼女にぐっと顔を近づける。吐息のかかる距離だ。暗闇の中でも、彼女の口角がふにゃっと下がるのが見えた。よし、もう一押し。僕はそっとカリーナにキスをした。もちろん、我が義妹はそれを拒むどころか自分からぐっと唇をおしつけてくる。よしよし、この頃だんだんこの手の状況での定石がわかってきたぞ。
「……いいか、カリーナ。ミュリンとディーゼルが不仲なままでは、いろいろと困るんだ。こんな戦争が二度も三度も起っちゃリースベンにはいつまでたっても平和は訪れない」
リースベンとエムズハーフェンが結ばれた以上、その間に領地を持つミュリン家やジークルーン家はいやおうなしにこちらの勢力圏に取り込まれる。戦争で完全敗北した彼女らには、他に生き残る道がないのだ。そのことは、すでに裏の講和会議(内容が内容なので、この会議が王家に漏れないようだいぶ気を使っている)では確認済みだった。
とはいえ、ミュリンにしろジークルーンにしろ国力だけ見ればリースベンよりもはるかに大きな有力諸侯だ。一度勝ったからといって放置していれば、痛い目を見るのは確実。むしろ、戦争のショックが癒えないうちにこそ取り込み工作を本格化させておく必要がある。
「た、確かにそうだけどさぁ……」
「だろ?」
「い、いや、でも……相手はあのアンネリーエだよ? 正直、自信ないんだけど……」
先ほどまでの威勢はどこへやら。カリーナはすっかり自信を失った様子だった。まあ、アンネリーエ氏の所業は彼女も知っているからな。そんな相手と友達になれなどと言われても、なかなか難しいのは確かだろう。それに、ディーゼル家とミュリン家の因縁は歴史的なものだ。そう簡単に関係を修復できるものではない、というのもあるだろう。
「大丈夫だ。もちろん、僕だって援護はする。お前に丸投げにはしないさ」
軽い口調でそう言いながら、僕はカリーナの肩を叩いた。実際、この任務は極めて重要なのだ。僕が……というか、アデライドが危惧しているのは、ミュリン・ズューデンベルグ戦争の再燃だけではない。ミュリン家が反ディーゼルに凝り固まったままの状態だと、今後エムズハーフェン家に取り込まれてしまうのではないかという懸念もあった。
秘密同盟を結んだエムズハーフェンではあるが、あのカワウソ殿の手腕もあり決して油断できる相手ではない。最悪の場合、庇を貸して母屋を取られる事態も考えられた。彼女らの勢力拡大は出来るだけ阻止するべし、というのがアデライドの方針なのだ。
そのためにはまず、ミュリン家やジークルーンといった帝国諸侯の切り崩しを狙う。ミュリン家とディーゼル家の和解もその一環だった。伯爵級の中規模勢力を糾合し、エムズハーフェン家とは別派閥に仕立て上げる。そうすれば、両者は適度にいがみ合いリースベン本国への圧力は減る……。まるで天下三分の計だな。
「確かに、歴史的な不和を修正するのは容易ではないだろう。だかこそ、アンネリーエにはお前と同じ釜の飯を食わせる。現状、これが一番可能性の高い"仲直り"プランだ。オーケイ?」
まあ、同じ釜の飯を食ったところで仲良くなれるとは限らんがね。とはいえ、今のアンネリーエ氏は尊敬していた祖母のまさかの敗戦で随分とショックをうけている。そのせいか、この頃は毎日僕のもとへやってきてあれころおしゃべりをしていく始末だ。彼女の中で何かしらの心境の変化があったのは間違いない。
経験上、こういう時につけ込めば人はコロッと転んでしまう。いわばボーナスタイムだ。ここを攻めない理由はない。……自分で言っておいてなんだが、完全にカスのやり口だな。まあ、仕方がないが。背に腹は代えられないだろ。
「……了解」
幼く見えても、カリーナは実戦経験のある立派な士官だ。命令という形で任務を提示すれば、頷くほかないということは理解してくれる。彼女の答えに満足した僕は、再びその頭をぐりぐりと撫でてやった。
「敵だった相手を、味方に変える。自慢じゃないが、僕の得意技だ。そしてお前は、義理とはいえ僕の妹。きっと上手くいくさ、安心しろ」
「わかった、頑張る」
頷くカリーナを、僕はぎゅっと抱き寄せた。うん、うん。本当にいい子だ。お前ならば、この難儀な仕事だってきっと成功させられるさ。もちろん、全部こいつ任せにする気はないがな。当然ながら、適切なバックアップはするつもりだ。今は大人しくなっているとはいえ、アンネリーエ氏はなかなかの難物だ。カリーナ一人の手には、流石に余るだろう。
僕は、カリーナには自分のような軍事一辺倒の人間にはなってもらいたくないと考えていた。目指すは、エムズハーフェン選帝侯のような政戦両略の人材だ、まあ、あそこまでの傑物になるのはなかなか難しいだろうが、そこはそれ。なんにせよ、リースベンの中核を成す人間を目指すのであれば若いうちにいろいろな経験を積んでおくに越したことはない。
「……はぁ。やると言ったからにはやるけどさ。お兄様ったら、本当に女を乗せるのが上手いよね。悪男と言われても言い訳できないようなムーブしてるよ? 今」
「んっ!?」
あきらめきった口調でそんなことを言いながら、カリーナは僕の鎖骨を甘噛みした。痛くすぐったいその感触に、思わず妙な声が出る。
「今夜は義妹として大人しくしているつもりだったけど、やーめた。お兄様がこの調子なんだもの、ちょっとくらいやり返したってバチはあたらないでしょ?」
暗闇の中でも、カリーナの顔に嫣然とした笑みが浮かんでいることがわかった。……オ、オイオイオイ。ちょっとヤバくない? いや、駄目だって。お前まだ成人したばっかりだろ。あんまり妙なことはするんじゃない。
「か、カリーナ、やめなさい」
「ま、アデライド様への義理もあるからね。ユニコーンに蹴られるようなことはできないけど、さ?」
などと言いつつも、カリーナはベッタリと僕にくっつきながら深呼吸をする。彼女の体温がどんどんと上がっていくのが、肌で分かった。う、ウオオ……子牛が肉食獣になりつつある。こいつはヤベェぞ。




