第543話 くっころ男騎士と義妹嫁騎士
大方の予想通り、北部戦線は膠着化した。王軍はレーヌ市の攻囲にこそ成功したらしいのだが、堅牢な城壁に阻まれそこから一歩も前進できずにいるという話だ。王軍の火砲が使用不能になっているという予想は、やはり的中していたということだな。
一方皇帝軍は皇帝軍で難儀をしているらしい。なにしろ、アテにしていたエムズハーフェン領からの補給が途絶えたのだ。これは痛い。食料などは現地調達でもある程度なんとかなるだろうが、問題は矢玉や武具の補修部品などといった軍需消耗品だった。手持ちで何とかなる短期戦ならともかく、長期戦に付き合うのであれば軍需物資の欠乏は致命的だろう。
結局、王軍は最低限の守備兵が立てこもった(籠城において過剰な戦力は却って有害だ)レーヌ市を囲んで地道な攻城戦を続け、それに対する皇帝軍は遠巻きに状況を眺めながら隙を窺う……そういう状況になっているらしい。完全に古典的な攻城戦の様相を呈しているわけだな。こういう戦いは、容易には終わらない。嫌でも長期戦になる。
「北の戦いに参加した諸侯らは大変ですな……」
その報告を聞いた南部諸侯の一人が、こんな言葉を漏らしていた。完全に他人事としか思えない発言だが、致し方あるまい。緊迫の度合いを増す北部とは裏腹に、南部ではどんどんといくさの気配が遠ざかりつつあったからだ。
相変わらず我々はミュリン領に陣を張っているが、周辺の敵諸侯が反抗を企てる様子はまったくない。嵐が過ぎ去るのを待つように、ただただじっとしている者が大半だった。それどころか、商売を持ちかけてくる者すらいる始末。
対するガレア側の諸侯も戦意が高いとは言い難い。リュパン団長などはそれでも積極策を口にしたりはするのだが、大半の諸侯はやる気など皆無なのだから後に続くものなど現れるはずもない。リュパン団長はすごすごと振り上げた拳を降ろすことしかできなかった。
「まあ、だからと言って暇という訳でもないのだけども」
そんな風にボヤきつつ、僕は粛々と普段の仕事をこなしていった。戦況は落ち着いている……というか、平和そのものではあるが、総司令官の僕はけっこう忙しかった。諸侯軍などというものは典型的な烏合の衆だから、内部では毎日のようにトラブルが起きる。
やれ乱闘だ、決闘だ、裁判だ……よくもまあトラブルの種が尽きないものだと感心するね。こういった諸問題に対処しているだけで、一日があっという間に過ぎ去っていく。……まあ、実のところこの手の仕事はエルフやアリンコどもの世話をしていたおかげですっかり慣れてしまっているがね。
ほかにも、ミュリン領近辺の治安維持も僕の仕事の一つだった。イナゴの大群のようにどこからともなく現れる盗賊団を、騎兵で追い回す毎日だ。地味で気が遠くなるような作業だが、これをやらないとミューリア市が物資欠乏を起こし兵どもが飢える羽目になる。義侠心のみならず、実利の面から見ても盗賊団撲滅は必須の作業だった。
「本当に忙しそうだねぇ、お兄様は」
それでもなんとか夕方までには最低限の仕事を終わらせ、僕は宿屋の一室に構えた仮設執務室で休憩をしていた。そこへやってきたのが、我が義妹にして婚約者、カリーナである。ギャルゲのような関係性になってしまった我々ではあるが、この頃はあまり顔を合わせる機会がなかった。なにしろこちらは軍司令であり、カリーナは末端部隊の下級指揮官だからな。あまりにも職場が違いすぎるため、最近は食事すら別々にとっている始末だった。
「まあねぇ。一応ここはまだ戦地だし、しかも部下もやたらと多くなっちゃったし……」
ソファでうつ伏せに寝ころびながら、僕はそう答えた。その背中には、カリーナが馬乗りになっている。……別に、卑猥なことをしているわけではない。やってきて早々、カリーナがマッサージを提案してきたのだ。どうやら、疲れた義兄をいたわってくれる腹積もりらしい。もちろん僕はそれを諸手を上げて歓迎した。
「まあ、人死にが出ているわけで無し。充実感があると言えばその通りなんだけど……アーイイ、そこイイよ」
しゃべっている間にも、カリーナは甲斐甲斐しく僕の背中をぐいぐいと押してくる。丁度良い力加減で、なかなかに気持ちが良かった。この戦争が始まるまでは、よくこうしてカリーナのマッサージを受けていたものだ。ああ、こんな戦争さっさと終わらせて元の日常に戻りたいものだなぁ。
「んふ。やっぱりお兄様はちょっと乱暴にするくらいが好きなんだね。カワイイ……」
嬉しそうな声でそんなことを言いつつ、カリーナは僕の肩やら背中やらを揉んだりほぐしたりしてくる。なにしろ彼女は小柄だから、体全体を使ってマッサージなどをした日には……柔らかい部分がいろいろと接触してくるんだよな。これがまた、気持ちがいいわけで。
……いや、いやいや。相手は義妹だぞ。いかがわしい気分になってはいかん。ん? いや、義妹とはいえ婚約者でもあるのだから別にいかがわしい気分になってもいいのか? いやでもカリーナはまだ若いしそういうのは……。むむむむ……。
「詳しくは聞かないけど、いろいろと大変なこともあるんでしょ? 義妹として、妻として、しっかりいたわってあげなきゃあ……ね?」
べたりと体を密着させつつ、カリーナが耳元で囁いてくる。吐息を吹きかけてくるような、独特の艶っぽい話し方だ。背筋が大変にゾクゾクする。やめなさい、やめなさい。一体そんな手管をどこで覚えてきたんだ。お義兄ちゃん許しませんよ。
「う、あ、ああ。ありがとうね。と、とはいえお前だってそこは一緒だろう。いきなり小隊長になったんだ。十代で背負うにしちゃ重すぎる責任だろ、正直言って」
「確かに大変だけどね。お兄様のほうがよっぽど苦労してるってことくらい、私にだってわかるよ」
腰のあたりをぐいぐいと押しつつ、カリーナは言う。……気持ちいいけど、なんか手付きがエロいような気がする。アデライドが尻を揉んでくるときの手付きに近い感覚っていうかさ。いや、イカンイカン。僕の方に邪な気分があるから、相手にも邪念があると勘違いしてしまうのだ。そんな疑いを持っては、純粋に義兄をいたわってくれているであろうカリーナに申し訳が立たない。
「どっちが苦労してるかなんて、詮無い問いだよ。……うん、これが終わったら、何かご褒美をあげよう。何がいいかな?」
ふと、脳裏にジルベルトとの一件が思い浮かんだ。たいへんに不埒なことに、僕は多くの女性と縁を結ぶことになってしまった。しかし、ジルベルトは"その他大勢"に紛れる気などさらさらないようだった。彼女は、僕ときちんとした家族関係を結びたがっている。
そしてそれは……おそらくカリーナも同じだろう。ジルベルトにも、カリーナにも、そしてもちろんアデライドやソニアにも……夫として真摯に応えていく義務が僕にはある。仕事が忙しい、なんてことは言い訳にならないよな。これからは、彼女らとの時間をしっかりと作っていかなきゃならないだろう。
「いいの? じゃあ、耳かきをしてもらいたいな。耳ふー多めでさ」
ひどく嬉しそうな声でそう答えるカリーナに、僕は思わず笑ってしまった。マッサージをしてもらった後に、耳かきをしてやる。リースベンにおける日常でも幾度となくこなしたルーティーンだ。まったく、うちの義妹は欲がない。
「オッケー、了解だ。でも、今日は気分がいいからもう一つお願いを聞いてあげよう」
「いいの? やった、お兄様ったら太っ腹!」
子供のような声で(まあ僕から見れば十代中ごろは本当に子供なのだが)カリーナは僕の背中に抱き着いてきた。あー! いけません義妹様! そんなことをされては義兄の威厳が吹き飛んでしまいます!
余計な邪念を抱かぬよう、僕は心の中で素数を数えた。




