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第542話 くっころ男騎士とカタブツ子爵(2)

 エムズハーフェン家への"出張"。それをジルベルトから指摘された僕は、思わず椅子の上に正座をした。僕は彼女とも婚約している身だというのに、他の女の元へ抱かれに行かねばならない。これが浮気以外の何だというのだ。そう思うと、自然と冷や汗が垂れてくる。


「い、いえ。それほどかしこまらないでください、主様。決して私は、御身を責めるつもりなどないのです」


 その様子を見たジルベルトが、あわてて身を乗り出してくる。だが、僕はそれに対してうわごとのような声で「すまない……」と返すほかなかった。あぁ、胃が痛い。せっかく良縁を得たというのに、なぜこうも不義理をせねばならないのか。正直、『わーいハーレムだー!』みたいな役得よりも、理不尽感を強く覚える。


「違います、違います。これは詰問などではないのです。ですから、そのような顔をなされないでください」


 ひどくあわてたジルベルトが、半ば強引に僕に正座を止めさせた。そして深いため息を吐き、首を左右に振る。


「わたしがお聞きしたいのはただ一つ。此度の婚姻が、主様の本意に叶ったものであるかという点です。……ありていに言えば、つまり、これはアデライド様に強制されたものではないのかと。わたしはそう疑っているわけですね」


「きょ、強制」


「はい。もしそうであるのなら……誰が何と言おうと、わたしが止めます。アデライド様であれ、エムズハーフェン様であれ、敵に回す所存であります。わたしに一言、助けろと。そう命じて頂きたい」


「……」


 な、なるほど! ジルベルトは、僕がアデライドによって無理やり身売りをさせられているのではないかと心配している訳か! まあ、確かによくよく考えればそういう図式に見えなくもない。実際、エムズハーフェン閣下からの提案を飲むべきだと判断したのはアデライドな訳だしな。


「……それは違う、ジルベルト。安心してほしい。これは、僕自身の判断だ」


 とはいえ、最終的にそれを飲んだのは僕なのだ。アデライドに責任を押し付けるような無様な真似はできない。


「リースベンの将来を思えば、味方はできるだけ増やしておかねばならない。そう思ったんだ。確かにアデライドと相談はしたが、けっして無理やり条件を飲まされたわけではない」


「そうですか……」


 やや残念そうな面持ちで、ジルベルトは大きく息を吐いた。


「で、あれば……わたしから申すことは何もございません。どうぞ、主様の御心のままに」


「う、うん……」


 そうは言っても、やはりジルベルトには承服しかねると言いたげな雰囲気がある。そりゃそうだろうね。当たり前だわ。事実上のネトラレじゃんよ、これ。僕だったらキレてるかもしれない。


「……ごめん、ジルベルト。勝手にこんなことを決めて。本当なら、しっかりと相談すべきことだったのに」


「正直に言えば、確かに先に一言おっしゃって欲しかった、という気分はあります」


 薄く笑ってから、ジルベルトは冷めきった香草茶を口に運んだ。


「とはいえ、実際のところ……相談を受けたところで、わたしが状況に関与できたかは怪しいわけですから。現実問題、ブロンダン家はその家格に見合った家臣団を持っていない。血縁外交で味方を増やしていく以外に、取れる手はないでしょう?」


「そうだね……そこが一番の問題だよね……」


 ブロンダン家は既に大貴族の枠に入っている。少なくとも、周囲からはそう見られているし、扱われている。だが実際のところ僕はたんなる辺境の城伯に過ぎないし、ブロンダン家自体も零細宮廷騎士家としての規模しか持ち合わせていないわけだが。

 現状の我々の一番の泣き所だよな、これ。求められる役割と、実際の能力の間に大きな齟齬がある。そのねじれが表出した結果が僕のとんでもない婚姻関係だろう。ブロンダン家がもうちょっと規模の大きい家だったのならば、婚姻外交をするにしてももうちょっと負担を分散できたんだろうが……。


「ですから、この件に関して主様がわたしに負い目を感じる必要はまったくありません。こういった事情を承服したうえで、わたしはあなたに求婚したわけですから」


「……ごめん。いや、ありがとう」


 随分と複雑な気分になりつつ、僕はそう返した。なんと出来た助勢だろうか。僕は彼女の詰めの垢を煎じて飲んだ方が良いかもしれない。


「ですが、無理はいけませんよ。わたしはこれでも、あなたの一番の家臣であり一番の妻であることを目指しております。ですから、主様はひとりで重荷を背負い込んだりはしないでください。ソレは、私が支えるべき荷物でもあるのですから」


 そういって、ジルベルトは僕の手を優しく握った。いや、もう、本当にいい女だなあ彼女は! 僕にはあまりにも勿体なさ過ぎるだろ……。


「ありがとう、ジルベルト。君のような人と共に人生を歩むことができるのは、なんと幸福なことだろうか。僕は世界で一番の果報者かもしれない」


 僕の言葉を聞いたジルベルトの頬に、さっと朱が差した。彼女は奥ゆかしく笑い、こちらの手を握る力を強くする。


「主様が人生を終えられるときに、同じ言葉を頂くことができるよう粉骨砕身の努力をしていく所存であります」


 そこまでしなくていいよ僕なんかに! そう叫びそうになったが、なんとか堪えた。いくら僕でもここでそんな返しをするのがどれだけ野暮なことなのかくらいは理解している。


「……君と話していると、星導教が重婚を戒めている理由がわかるね。お互いの人生にしっかりと向き合っていくのが、正しい結婚の姿というものだ。しかし相手が何人も居たのでは、目先の対応に忙殺されて向き合うどころではなくなってしまう」


「ええ、それは……まったくもって同感です」


 ジルベルトは頷き、僕から手を離した。それから悪戯っぽく笑い、ウィンクをする。


「ですが、こうも思うのです。今の状況は、私にとってむしろ有利な環境なのではないかと」


「んん? どういうことだろうか、それは」


 今のハーレム状態がジルベルトにとって有利な環境? はて、どうしてそうなるのだろうか。僕は小首をかしげた。


「主様は、相手が多いあまりに対応に迷っていらっしゃるわけでしょう? しかし、逆に言えば主様はまだ特定の誰かのモノにはなっていないということになります。政略上、主様がいろいろな女に抱かれてしまうのは致し方ありません。しかし、だからこそその心だけはわたしのモノにしたい。卑しい事に、わたしはそのような事を考えているのです」


 ひどく恥ずかしそうな笑みを浮かべつつも、ジルベルトははっきりとした口調でそう断言した。僕は思わず赤面し、口ごもる。


「そ、それは……また」


「他の女どもが牽制合戦でモタモタしているというのであれば、わたしにとっては好機です。まず、手始めに……デートでも、いかがでしょうか? 時間があるときで結構ですので、一緒に遠乗りへ行きませんか。今回は流石に、野暮なエルフに邪魔されることもないでしょうから」


「ああ、そんなこともあったねぇ」


 僕は思わず苦笑した。ジルベルトとの初めてのデートは、乱入してきたエルフどもによって中断する羽目になってしまったのだった。


「わかった、近いうちに時間を作ることにしようか。エスコートはよろしく頼むよ」


「ええ、お任せを」


 ジルベルトはにっこりと笑い、胸に手を当てて恭しく頷いた。……ああ、本当にいい女だなぁ、ジルベルトは。僕の方も、彼女に釣り合う男になれるよう頑張らねば。

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