第337話 くっころ男騎士と同盟
「ワーハッハッハッハ! カンパーイ!」
ビールが満たされたジョッキ同士が、激しくぶつかり合う。二人とも上機嫌だなぁ、などと思いながら、僕は一気にジョッキの中身を飲み干した。
アデライドとエムズハーフェン選帝侯の密談が行われていた小さな応接室は今、飲み会の会場へと変貌を遂げていた。夕刻ごろにこの部屋へと呼ばれた僕は、否応なしに宴会へと巻き込まれている。どうやら、今回の交渉は上首尾に終わったらしい。二人とも、たいそう気分がよさそうな様子だった。……僕は蚊帳の外からいきなり召喚された身なので、いまいち状況を把握しかねている部分もあるのだが。
「アッ、お代わりどうぞ」
僕とほぼ同じタイミングで一杯飲み終わったエムズハーフェン選帝侯に、ビールを注いでやる。前世は宴会文化圏に生まれた身なので、この辺はもはや条件反射だ。空っぽの杯を見れば、身体が勝手に動いてしまう。
「おお、申し訳ない。いや、すまないな。ブロンダン卿に酌夫のような真似をやらせるわけにもいかん。どれ、こちらも」
上機嫌にそれに応じた選帝侯閣下は、僕のジョッキにもビールを注ぎ返してくれた。最上位に近い大貴族が下位の者に手づから酒を注いでやるなどまず無い事だ。僕は少しばかりたまげた。
「アルぅ、こちらの酒杯も空なのだがねぇ? 早く注いでくれたまえよぉ」
「あー、ハイハイ」
隣の席に座ったアデライドが、ジョッキをぐいぐいと押し付けてくる。これじゃあマジの酌夫だな、などと思いながら、注文に応じてやる。しかし、アデライドも選帝侯閣下も良い飲みっぷりじゃないの。つまり、シラフでしなきゃいけないような話はもう終わってるってことか。
「ひとまず駆け付け一杯を頂いたところで……よろしければ、会談の首尾のほうを教えて頂いても?」
「おお、おお、すまないね。すっかり気分が良くなってしまって、君を置き去りにしてしまっていた」
ニコニコ顔のアデライドは、しまったとばかりに膝を打った。演技ではなく、本気でそう思っている様子だ。その様子に、僕は思わず苦笑してしまう。僕がこの部屋に来た時から、アデライドはもちろんエムズハーフェン閣下すらも何だか酔っているような様子だったんだよな。まだ、酒の一杯も飲んでいなかったにも関わらずだ。つまり、酒を飲まずとも酔えるような気分の良い内容で交渉がまとまった、ということかな。
「カスタニエ家とエムズハーフェン家は同盟を結ぶことにした。もちろん、秘密裏に……だがね」
「なるほど、それはめでたい」
予想通りの言葉に、僕は破顔した。僕のあずかり知らぬところで勝手に結ばれていた同盟ではあるが、もちろん否とは言わない。僕は事前に彼女へ『アデライドが良いと判断するのであれば、僕は選帝侯閣下の申し出を受けて良い』と事前に伝えてあったし、そもそも立場的にはいまだに僕が従でアデライドが主だからだ。出過ぎた真似をするつもりはない。
結局のところ、選帝侯殿との接近を躊躇していたのは、対王家の兼ね合いを考えてのことだからな。政治担当のアデライドが大丈夫だと判断したのなら、僕にそれを拒否する理由はないんだよ。
「私としても、そちらの王家との主従関係にあえて波風を立てようとは思っていない。とりあえずガレア王家にはバレないよう、裏から協力関係の構築を進めようと思っている」
「少しばかり手間は多いがね、致し方あるまい。どうせ、例の計画は一朝一夕には成らないのだ。腰を据えて、じっくりと準備を進めねば」
「その通り。焦って強引なことをすれば、いらぬ軋轢を生むのは当然の成り行き。確実に"成果"を収穫するためにも、迂闊な真似は慎むべきだろう」
訳知り顔で、智者二人はウンウンと頷く。妙に通じ合っている様子だ。成果の収穫、ねぇ……。まあ、共通利益の構築ができた時点で半ば勝ち確みたいな所はあるからな。しかし、この短時間でよくもまあこれほど打ち解けたものだよ。流石はアデライドだ。
「ああ、そう言えば喜びが先行してまだ君には事情を説明していなかったな。我々は、協力して新たな交易路を建設することにしたんだ。もちろん、その中にはリースベンも含まれている。このルートが完成すれば、リースベンは今よりも何倍も人や物の往来が激しくなるはずだよ」
そんなこちらを見て、僕があまり事情を理解していないことに気付いたのだろう。アデライドはハッとなった様子でそう説明してきた。
「おお……!」
新しい交易路! なんとも胸躍るキーワードだな。思わず目を見開き、アデライドと選帝侯閣下を交互に見る。
「小麦やソーセージなんかが、庶民でも買える値段で輸入できるようになったりするのかな? それって」
「ああ、むろんだ。あのレンガみたいな燕麦パンともおさらばだよ」
アデライドの言葉に、僕は自然とガッツポーズをしていた。ああ、そいつは確かに最高だ。リースベンの民を延々と悩ませてきた食料問題が、やっと解決するのだ。こんなに嬉しい事はない。
「この話を聞いてまず第一に庶民の台所事情についての意見が出てくるあたり、ブロンダン卿は本当に良い領主なのだな。いやはや、感服した」
二杯目のビールをうまそうに飲んでから、選帝侯閣下はそう言った。泡がついて白ひげが生えたようになっている口元には、微かな笑みが浮かんでいる。
「だろう? いや、本当に良い男なのだよ、彼は。むふふふ」
ニヤニヤ笑いのアデライドが、イヤらしい所作で僕にしなだれかかり、肩を組んできた。もちろん、そのついでに体をまさぐるのも忘れない。相変わらずのセクハラオヤジムーヴだった。
「おっと、婿自慢と来たか」
「ハハハ……申し訳ない。自分にはもったいないくらいの良い男を貰えることになったものだから、ついついねぇ」
「まったく、羨ましい話だな」
唇をとがらせながら、選帝侯閣下はそっぽを向いた。
「私もあやかりたいものだが、なかなか難しい。財産や立場が目当ての男であれば、ウジャウジャ群がってくるのだが。私と共にエムズハーフェンを背負っていけるような男となると、探せども探せどもなかなか出てこない。困ったものだな」
「ああ、それは全く同感だね。私も選帝侯殿くらいの年齢の時分には、同じことを思っていたものだよ。……ま、そのころには既にアルベールに狙いを定めていたわけだが!」
当時の僕って何歳よ! 僕は思わずそう叫びそうになった。カステヘルミといい、アデライドといい、彼女らにはショタコン性癖でもあるのだろうか? いや、その二人に引き立ててもらった身で文句を言うのは憚られるけどさ……。
「……」
上機嫌に僕の胸元を揉むアデライドを見て、選帝侯閣下はしばし黙り込んだ。流石に気分を悪くしたか……? おい、せっかくイイ感じで取引がまとまったんだろ。なんでわざわざ喧嘩売るようなこと言ったんだよこのセクハラ宰相が。そう思って彼女の二の腕をつねろうとしたが、それより早く選帝侯閣下が口を開いた。
「……本当にあやからせてもらっていいか?」
「エッ、何を……」
虚を突かれた様子で、アデライドが僕の身体をまさぐる手を止めた。
「ブロンダン卿だよ。この事業は、我々一代で終わるほど容易なものではないからな。子々孫々までにわたる協力関係を築くためには、血縁を利用するのが一番だ。ならば……宰相殿の子と私の子を、異母姉妹にしてしまえば良いのでは?」
「エッ、エッ……アッ!」
ビールの一気飲みで紅潮していたアデライドの頬が、さっと青くなった。えっ、何、どういうこと!? 僕は混乱して、アデライドと選帝侯閣下の顔を交互に見た。頼りになるはずの嫁さんは、アワアワとするばかりだ。そして爆弾発言の主である選帝侯閣下は、顔を真っ赤にしながら僕をチラチラ見ている。
「むろん、無理に……とは言わないがね。しかし、今後のことを考えれば、私と宰相殿が"姉妹"になるというのはなかなか有効な一手だ。一考の余地はあると思うんだがな……」
ひどく恥ずかしそうな表情で、選帝侯閣下は更なる爆弾発言を投げつけてきたのであった……。




