第336話 ポンコツ宰相の商談(2)
エムズハーフェン選帝侯は、アルベールから伝え聞いていた通りかなり手強そうな相手だった。その彼女が、我々と協力関係を築きたいと申し出ている。事実であれば大変に結構なことではあるが、さりとて諸手をあげて即座に受け入れるというわけにはいかなかった。
なにしろ彼女は敵国の要人で、しかもリースベン軍と直接衝突したばかり。復讐を目論んでいないという保証はどこにもないのだ。そうでなくとも、我々はただでさえ王家から危険視されている。選帝侯殿との接近が表沙汰になれば、中央との決裂は決定的なものになってしまうだろう。
おまけに、選帝侯殿は協力の見返りは平和だ、などとのたまっているのだから困る。もちろん今の彼女の状況を考えればまずは現状維持を目指す、という方針におかしな部分はない。とはいえ、相手が妙に無欲な時は却って疑わしくなるというのが政治屋の習性だ。このままの状態で彼女と手を結ぶというのは、いささか抵抗があった。
「……選帝侯殿、こちらをご覧ください」
そう言って私が応接机の上に広げたのは、大陸西方の地図だった。ガレア王国と神聖帝国、ついでに西の島国アヴァロニアの全領土が描かれた、かなり広大な範囲をカバーしているものだ。
「ふむ、これが?」
どこか楽しげな様子で、選帝侯殿が聞き返してくる。私は彼女に笑い返し、神聖帝国の中ほどの場所を指し示す。
「ここが、エムズハーフェン領。モルダー川を中心として大小の街道が網の目状に張られた、広大な交易圏を形成しています」
エムズハーフェン領を中心に、円を描くように指を動かす。エムズハーフェン領だけに収まらない広大な交易圏だ。
「で……ここが我がリースベン領」
次に私が指さしたのが、リースベン領だ。言わずと知れたガレア王国の南端で、神聖帝国領にもこれほど南に伸びた陸地はない
「アルベールから聞きましたが、選帝侯殿は我が領地とエムズハーフェン領の間に、しっかりとした街道を整備されるおつもりとか」
「ええ。ご存じのこととは思いますが、南部の街道はどこも荒れ放題ですから。大動脈を一本通せば、状況は遥かに改善します。南部で安く小麦を仕入れ、北方で高く売る。悪い商売ではないでしょう」
ニコニコ顔で、選帝侯殿はそう説明する。……なるほど、読めてきたな。確かに帝国南部は小麦の一大産地だが、はっきり言ってこれはあまり魅力的な商材ではない。重くてかさばる上に、単価もあまり高くないからだ。小麦の販売の為だけに大規模な街道を整備したところで、その費用をペイできるのは遥か未来の話だろう。
つまり、この話には裏がある。実のところ、小麦の販売うんぬんは言い訳で、交易ルートを確立した後はむしろ南部諸侯らにモノを売りつけることのほうが主目的なのではなかろうか? この城を見ればわかるが、帝国の南部諸侯はなかなかカネをため込んでいる。きっと良い客になってくれることだろう。
しかし、さっきも言ったように南部の特産品である小麦は利益率がよろしくない。おそらく、赤字貿易になるだろうな。だからこそこの女は、あくまで南部諸侯らが売り手ですよ、という顔で話を進めているのだ。なかなかあくどい事をやる。
「なるほど、なかなか良い商売ですね。いや、私も参入したいくらいだ。小麦は高く売れますからね」
高く、という部分に力を入れてそう言い返してやると、選帝侯殿はなんともいい表情をした。うん、やはりこの女は私の同類だな。ならば話は早い。
「選帝侯殿がそのような計画を立てているのでしたら、丁度良い。私から一つ、ご提案があります」
リースベンに乗せていた指を、いきなり北上させる。次に指し示したのは、ガレアの北端……ノール辺境領だ。
「ご存じでしょうが、このノール辺境領は私の友人が治めております。そしてノール領には、北方でも有数の港湾都市ポート・マーシャンド市があります」
「もちろん、知っておりますよ。もっとも、遠方ですのでウチとはあまり取引はありませんが」
そう来るか、という表情で選帝侯殿は頷いた。私はノール領に乗せていた指を、再びゆっくりと南下させていった。
「もし、このノール辺境領とエムズハーフェン領を繋ぐ新街道ができたとすると……おや、タイミングよく別の新街道も建設予定でしたね」
ノール辺境領からエムズハーフェン領までたどり着いた指は、さらに南へと進んでいく。
「大陸北端のノールからエムズハーフェンを経由し、そして最後は南端のリースベンへ。大陸の上から下までがつながりました。これはまさに……」
「……大陸縦断ルート!」
その言葉と共に、選帝侯殿がグッと拳を握り締めたのを私は見逃さなかった。いい反応だ、このまま押し込む!
「現状、リースベンには港はありません。しかし、知っての通りこの半島はサマルカ星導国に並ぶほど南に突き出している。南大陸への玄関口として、立派な港湾都市を整備する価値はあると判断しております」
「南部の底に穴をあけるということですか」
「ええ。選帝侯殿ほどのお方にあえて言う必要もないでしょうが、物流は血管と同じようなもの。循環せねば意味を成しませんし、末端はどうしても細くなってしまう。大動脈を作りたいのであれば、どこか大きな部位とつなげてしまうのが一番です」
「なるほど……そう来ましたか」
選帝侯殿は口元を抑えた。よく見れば、頬が緩んでいる。釣れたな、これは。そう思ってから、ハッとなった。釣られたのは、むしろ私かもしれない。平和がどうとか無欲なことを言って見せたのは、誘い受けだったのだ。わざと私を不安にさせ、気を引くための儲け話を提示させるための罠……!
面白い、これは面白い。この女、予想以上に出来る。是非とも味方に引き込みたい。なんなら、王室との関係を蹴ってでも、選帝侯殿と組む価値はあるかもしれないねぇ。王室のこれまでの対応を見れば、我らは既に見限られているという可能性も十分にあるわけだし。
「しかし、それほどの大事業となると……水運はともかく、陸運が不安ですね。中央大陸を貫く交易ルートともなれば、輸送量は尋常ではない規模になるでしょう。それに耐える道路となると、石畳の広くて立派な道路が必要になります。そういう規模の道路を大陸の北から南まで引くとなると、私と貴殿が組んでも賄いきれないほどの費用がかかりますよ」
話が現実的な方向になってきた。つまり、それだけ乗り気になってきたということだ。よしよし、この調子だ。選帝侯殿と組むプランの場合、彼女に裏切られればこちらは破滅だ。それなりの予防策を打っておく必要がある。
そしてその予防策が、この大事業だった。魅力的なもうけ話を鼻先にぶら下げ、裏切れば事業自体がポシャるように仕向けるのだ。商売人が相手なら、脅迫などよりもよほどこの手のほうが有効だろう。
「それを解決するためのプランも用意してあります。これをご覧ください」
そう言って、私は書類鞄からまた別の紙を取り出した。今度は地図ではなく写真だ。いやあ、こんなこともあろうかとプレゼンの用意をしておいて良かったよ。要領よく口説き文句を突き付けることができる。
「これは、リースベン領の鉱山で利用されている軌条貨車……トロッコです」
写真を指さしながら、私はそう説明した。写真に写っているのは、線路の上に乗った平凡な箱型貨車だ。トロッコ自体は、それほど珍しいものではない。しかし……
「……ッ!? これはもしや、レールが鉄でできているのですか?」
「その通りです」
従来の線路は、木製のレールを用いていた。だが、木製レールは耐摩耗性が低く頻繁に交換する必要があった。これでは、主要な輸送手段としては使いづらい。そこで鉄製レールの出番というわけだ。これもまた、アルベールの転生知識とやらのたまものだった。
「鉄のレールと車輪の組み合わせは、摩擦が少ないために大変に効率が良いのです。実験してみたところ、ばん馬一頭で一トンもの荷物を運べることが分かりましてねぇ。これは、従来の荷馬車などとは比べ物にならないほどの高い輸送効率ですよ。おまけに、揺れも少ないために荷物の破損率も少ない。……ならば、これを都市間輸送に用いない理由はない。そう思いませんか?」
「なるほど……線路で都市と都市を繋いでしまう訳ですか。しかも、一から舗装路を構築することを想えば、線路の方がまだコストは低いのではありませんか?」
自然石を一つ一つ手作業で整形し、隙間なく敷き詰めていく石畳の道路は極めてコストが高い。対して、この鉄道方式ならば鋪装の手間はあまり大きくない。もちろん重量級の貨車が通行するわけだから基礎工事は必要だが、それは通常の道路でも同じことだ。
「通常の舗装路と、この鉄製線路……鉄道の敷設費用を比較した資料がこちらになります。ご確認ください」
私が取り出した新たな資料を、選帝侯殿は食い入るように確認し始めた。いいぞ……! このまま抜き差しならないところまで引き込んで、無理やり運命共同体に仕立て上げてやる……!




