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第535話 ポンコツ宰相の商談(1)

 私、アデライド・カスタニエは気合が入っていた。リースベンの領主名代というストレスのたまる仕事からやっと解放され、自分の本来の仕事に戻ることができたからだ。……いや、大国の宰相ともあろうものが、辺境の小領邦の統治ごときで難儀しているというのはいささか情けなく感じないでもないんだがねぇ、こればかりは仕方がないのだよ。

 なにしろ、今やリースベンの人口の結構な割合が原住民の蛮族どもだ。エルフどもは全く私の言うことを聞かない上に、野蛮な事件を毎日のように起こす。アリンコどもはエルフほど扱いにくくはないが、こちらにハイハイと従っているフリをして後ろでは犯罪スレスレのアコギな商売をやっていることが多かった。平気で面従腹背をしてくる当たり、ある意味エルフよりも厄介だ。

 本当に……本当によくもまあアルベールはこんな連中を率いていけるものだと尊敬するよ。正直言って、私の手には負えん。彼から応援要請が来たときは、やっと解放されると安堵したくらいだった。


「改めまして、選帝侯殿。よろしくお願いいたします」


「ええ、こちらこそ宰相殿」


 私はにこやかな笑みを浮かべつつ、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン殿と握手を交わした。アルベールとの打ち合わせを終え、私は選帝侯殿主催の小さな茶会に参加していた。

 今、私が居るのはミューリア城の一角にある小さな応接室だ。あまり広い部屋ではないが、趣味の良い調度品の設えられた居心地の良い場所だった。アンティーク調の応接机には湯気の上がる香草茶のカップが置かれ、その対面ではにこやかに笑うカワウソ貴族がチョコンと座っている。

 部屋の中に居るのは、私と選帝侯殿の二人だけだ。給仕や従者ですら、部屋の外で控えている。誰にも聞かせたくないような機密度の高い話をするつもりであるのは、火を見るよりも明らかだった。


「お忙しい中お呼び立てしてしまって申し訳ない。どうしても、貴殿とは一度直接顔を合わせておきたいと思いましてね」


「なんのなんの。選帝侯殿ほどのお方にそこまで言っていただけるとは、なんとも光栄なことですな」


 営業用の笑みを顔に張り付けつつ、そう応える。もちろん、彼女の"要件"については私も承知していた。選帝侯殿は寝返りじみたことまで示唆しているのだ。このような用件を政治に疎いアルベールに丸投げするのは流石に酷だろう。私が出張るのは当然のことだ。


「話の仔細はアルベールから聞いております。なんでも、自国の安全保障体制を見直したいとか」


 ほんの先日シバき倒した相手に向かって、安全保障体制がどうのなどという話をするのはいささか失礼だとは思うのだがね。しかし、これは向こうが言い出した案件だ。私は余計な遠慮をせず、ストレートな言い方で本題を切りだすことにした。


「この戦争で、大陸西方の情勢は大きく動くでしょう。リッペ市を巡る戦いでわが軍は大変に傷つきましたし、領地も荒れました。新たな手を打たねば、時代の波に飲み込まれてしまうでしょう」


 そう言ってから、選帝侯殿は豆茶を一口飲んだ。そして悪戯っぽい笑みを浮かべ「もちろん、嫌味でこのような言っているのではありませんよ」と付け加えた。……なにしろ、彼女の所領に攻め込んだのはほかならぬアルベールだからねぇ……。王家に命じられてのこととはいえ、やはり申し訳ない気分はある。


「むしろ、今となっては対手がブロンダン卿であったことを極星に感謝しているくらいなのです。彼は占領者としては例外なくらいに穏当で淑女的な方でしたし……なにより取引相手としてこれ以上ないくらいに魅力的だった」


 隔意の全くない口調で、選帝侯殿は言葉を続ける。まあ、彼女ほどのやり手貴族ならば、恨み骨髄の相手でも同様の態度は取れるだろうがね。さて、彼女は本気で我々と手を結ぶつもりなのだろうか? それとも、復讐のためにこちらをハメようとしているのか……なかなか難しい判断だな。


「転んだ挙句タダで起き上がるような者に、商売人の資格はありません。私はこの機をバネにして、新たなる飛躍を狙う腹積もりです。宰相殿、私と手を結びましょう。そのほうがきっと儲けは大きくなります」


「まるで共同出資の申し出ですな」


 貴族というより商人らしいその言い草に、私は思わず苦笑した。もしこれが本音からの発言であれば、どうやら彼女は私と同じような性格の持ち主だと思われる。たしかに、ビジネスパートナーとしてはかなりよさげだ。


「事実、その通りです。これは共同出資以外の何物でもありませんよ。なにしろ、投資は入れた額が増えれば増えるほど期待できるリターンも大きくなりますから」


「そのぶん、失敗した時の損失も膨らみますがね」


「そうですね。……ですが、この場合はそれが良い方に傾くのではないかと。エムズハーフェン家の身代が傾くほどブロンダン卿に投資をすれば、それはそのまま私が裏切らないという保証につながるでしょう? 空虚な血判書などよりよほど信用できる保証書になるのではないかと」


「……確かに」


 ああ、なるほど。これはまるっきり商談だ。やりやすいと言えば、間違いなくやりやすい。本来、私は政治家というよりは商売畑の人間だしな。


「しかし、失敗すれば身代が傾くほどの投資となりますと……相当大きなリターンがなければ割に合いますまい。具体的には、どのような"成果"を求めておられるのですか?」


「むろん、相応の利益は期待していますとも。……アデライド殿は、商売の極意というものをご存じでしょうか」


 突然の質問に、私は少しばかり面食らった。だが、彼女の愉快そうな顔を見て、すぐに何が言いたいのか察しはついた。


「商品を右から左に流すだけで儲かる体制を構築することですな。さすれば、個々の取引の大小などはさしたる問題になりません」


「その通り。物流を抑えれば、あとは自然にカネとモノが循環していく様を見守っているだけで懐は温まりますからね。私は、この状態を維持、発展させていきたい。そのためには、何としてでも平和が必要なのです」


 そう言って、選帝侯は豆茶を一気に飲み干した。カップを静かにテーブルに置き、私の方をじっと見る。


「戦争は商機、などとのたまう者も多いですがね。それは個々の取引で一喜一憂する小物の話です。私からすれば、とんでもない。戦争が起これば自然と治安が悪化し、交通量が……つまり、私の取り分が減ります。おまけに市場も乱高下を繰り返しますから、普通の取引ですらリスクが増えてしまうというおまけつき。やはり、平和こそが、値千金の財産なのです」


 弁舌を振るう選帝侯殿の声音には、実感がこもっていた。たしかに、彼女の言うことは理解できる。エムズハーフェン家は、物流を牛耳ることで成長してきた家なのだ。今回のように自らのナワバリが戦場になってしまえば、商売どころではなくなってしまう。


「では、選帝侯殿が我々に望むことは……」


「平和です。安定、と言い換えても良いかもしれません。要するに、不埒な者どもが我々のナワバリを荒せぬようにしていただきたい。それだけでも、そちらに与するだけのメリットは十二分にある」


「ふむ……」


 筋の通った話だ。私は視線を香草茶の入ったカップに向け、しばし黙考した。私のカンでは、選帝侯殿が少なくとも我らと手を結びたいと考えているのは確かだと思われる。しかし、まさかカンだけでこの重大な決断をするわけにはいかない。敵国の大領主と協力関係になったことが王家に露見したら、いよいよ反逆者コース待ったなしだからな。

 確かに、エムズハーフェン選帝侯が味方になるのは大きい。ガレアと神聖帝国、双方のトップ層に位置するカネモチ同士が手を組むのだ。こと経済にかんしては、この大陸西方に敵はいなくなるだろう。それこそ、王家(ヴァロワ家)にすら対抗可能な勢力になるやもしれない。

 近頃の王家の振る舞いは、どうかしているくらいにきな臭いからな。これはもう衝突は不可避やもしれん。それを見越した手は打っておくべきか。……ふむ、根拠がカンでは薄弱、か。ならば、強固な根拠を用意すれば良いだけの話だ。選帝侯殿が裏切らないという確証があるのならば、この取引は十分に受ける価値がある。


「……選帝侯殿、こちらをご覧ください」


 私は、書類鞄の中から一枚の紙を取り出して机の上に広げた。さあて、ここからが勝負だ。彼女が私の思った通りの人間ならば、この手には絶対に乗ってくるはず……!




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