第532話 くっころ男騎士と来訪
アデライドがミューリア市にやってきたのは、それから数日後のことだった。移動手段は、予定通り翼竜。とはいえ今は戦時下で、要人の移動にはそれなりのリスクがある。それが空の旅ならなおさらだ。山本五十六長官の二の舞など絶対にご免である。。
そう言う訳で、アデライドの移動は極秘かつ迅速に行われた。護衛も含め十数騎の翼竜がいきなり現れたミューリア市では少しばかり騒ぎが起きたが、背に腹は代えられない。気を使った甲斐があり、アデライドは無事つつがなくカルレラ市・ミューリア市間のフライトを終えることができた。
「しばらくぶりだな、アル君。無事で何よりだよ」
ミューリア市正門の路上に降り立ったアデライドは、そう言い放つなり僕に抱き着いてきた。さらに、問答無用でキスまでしてくる。当然ながら周囲には出迎えのためリュパン団長やらモラクス氏やら、さらにはイルメンガルド氏やらエムズハーフェン選帝侯までいて、たいへんに恥ずかしいことこの上ない。
ちなみに、我が副官たるソニアはこの場にはいない。一足先にリースベンへと戻り、領主名代の引継ぎをしていた。アデライドは、彼女と入れ替わりでこちらへやってきたことになる。領主不在のままリースベンを放置するわけにもいかないので、仕方のない処置ではあるのだが……このきな臭い情勢下でソニアと別れるのは、いささか不安を覚えずにはいられない。
「ありがとう、アデライド。貴女が無事を祈ってくれたおかげだ」
公衆の面前で嫁とイチャイチャするのはほとんど羞恥プレイなのだが、恥ずかしいからと婚約者を突き放すほど僕は野暮ではない。顔を真っ赤にしつつも、そう答えて彼女の背中を抱き返す。定期的に届く手紙によれば、アデライドは毎日のように教会に通って僕の無事と武運を祈っていてくれたらしい。まったく、本当に良い女性と縁を結べたものだと思う。
「まだ結婚式も上げていないのに、このアツアツぶりか。いや、あやかりたいものだな」
苦笑しながら、エムズハーフェン選帝侯が肩をすくめる。それを見たアデライドは、慌てて僕から身体を放した。外国の大貴族を前にスキンシップを続けるほど、アデライドも厚顔ではない。
「し、失礼いたしました。少しばかり、感極まってしまいましてね……」
「ははは、別に構わんさ。家人を戦地へと送り出したのだ、心配するなというほうが無理だろう」
「本来であれば、その役割は男女逆なのだがな」
せっかく選帝侯閣下がとりなしてくれたというのに、リュパン団長がボソリと余計な発言をしやがった。この手の指摘はアデライドの地雷だ。『なんだァ? テメェ……』と言わんばかりの様子で団長にメンチを切り始めるアデライドを、僕は慌てて止める。
「まあまあ、まあまあまあ」
「ぐぬ、ぐぬぬぬ」
歯噛みをするアデライド。僕はリュパン団長に『そこに触れちゃあ戦争ですよ!』と言う意志を込めて睨みつけた。彼女はため息を吐きつつ、首を左右に振ってそっぽを向いた。どうやら、一応矛を収めてくれたようだ。まったく、余計なことを言ってくれるもんだね。
アデライドは典型的な文官肌の人間で、性格的にも能力的にも直接的な暴力にはサッパリ向いていない。個人的にはむしろそれこそが真人間というものではないか、と思うんだけどね。とはいえこの国は武官がもてはやされる封建制の社会だ。やはり、気にするなという方が無理があるのかもしれない。リュパン団長みたいな考え方の人も少なくないしな。
いやまあ、別にリュパン団長自身は決して悪い人ではないのだが。用兵の手管は手堅く確実、部下の扱いも丁寧だ。僕からしても、信頼できる武人という印象が強い。ただ、やはり頭が固いのが難点だな。アデライドとは水と油の関係になる事間違いなしだから、できるだけ隔離しておいた方がいいだろう。
とにかく、今はこれ以上まごまごして選帝侯閣下らをお待たせするわけにもいかん。アデライドに目配せをすると、彼女は赤くなった自らの頬を両手で叩いてから頷いた。そして、ピシリと姿勢を正す。
「えー、こほん。改めまして、ご紹介しましょう。選帝侯閣下、こちらはガレア王国宰相にして宮中伯、そして僕の婚約者でもあるアデライド・カスタニエです」
この世界の貴族社会では、基本的に貴人同士は顔を合わせてもいきなり自己紹介を始めたりはしない。両者を引き合わせた者がしっかりと仲介をして、初めて挨拶をかわすのだ。まあ、戦場ではそうも言っていられないことが多いので、省略されがちな手順ではあるがね。
もちろん、今回に関してはしっかりと手順を踏む。常識知らずの田舎者だと思われたら、交渉どころじゃなくなっちゃうからな。まずはアデライドを紹介し、同じ手順で選帝侯閣下もアデライドへと紹介する。政治音痴の僕だが、流石にこの程度のことならばよどみなくこなすことができる。
「初めましてだな、宰相閣下。しかし、カスタニエ商会の名は仕事でよく耳にしていた。そのせいか、正直あまり初対面という感じではないが」
親しげな様子で、アデライドの肩を叩く選帝侯閣下。小柄小柄と言われる彼女だが、それはあくまで竜人や獅子獣人などと比べての話だ。只人としてもやや小柄なアデライドと並ぶと、やはり彼女の方が背は高い。……亜人ってやっぱり体格イイよなぁ。母上が事あるごとにボヤくはずだよ。
ちなみに、カスタニエ商会というのはアデライドの実家がやっている商社だ。彼女の家はむしろ商売の方が本業で、宮廷貴族としての歴史はかなり短い方だという。それで宰相まで上り詰めたんだから凄いよな。
「同感ですな。閣下がお持ちの商船は、我が商会でも幾度となく利用させていただいた記憶があります。機会があれば一度ぜひお会いしたいと思っておりましたが、それがこのような機会に叶うことになろうとは。まったく、不幸な星野めぐりあわせもあったものですな」
「こればかりは致し方ありますまい。お互い、高貴なる義務を背負った身の上ですのでね」
流れるようなやり取りに、僕は流石アデライドだと感心する。貴族というよりは商人同士の会話っぽい感じだな。どちらも商業分野に強いタイプの貴族なので、当然のことかもしれないが。
「積もる話はいくらでもありますが、私がいつまでも貴殿を独占していてはガレアの皆様方に申し訳がたちませんね。後日茶会を開かせていただきたいと思っておりますので、良ければぜひお越しください」
「もちろん、その時はぜひ参加させていただきたく存じます」
何度も握手を交わしてから、選帝侯閣下はいったん後ろへと下がった。こう言った場で延々と長話をするのはマナーに欠ける行いなので、早々に切り上げたのだろう。アデライドが挨拶せねばならない相手は選帝侯閣下ばかりではないのだ。
アデライドはひとまずイルメンガルド氏やジークルーン伯爵などの帝国諸侯らと連続で握手を交わした。……そしてそれが終われば、いよいよガレア側のターンだ。最初に出てきたのは、王室代表の特任外交官モラクス氏である。
「やあ、モラクスくん。突然押しかけてしまってすまない」
「いいえ閣下、とんでもありません。むしろ、私の力が及ばぬばかりに閣下に御足労いただく事態になってしまい、汗顔の至りであります」
どうやら、アデライドとモラクス氏には面識があるらしい。まあ、どちらも職場はガレア宮廷だからな。そりゃあ、顔を合わせたこともあるか……。
「いや、なに。私はただ婚約者の顔を見に来ただけさ。君の顔を潰す気はさらさらない。とはいえ、難儀な仕事をしている同僚をしり目に遊び惚けているわけにもいかないからねぇ。無論、手伝えることがあればなんでも言ってほしい」
「ありがとうございます。閣下の御助力があればまさに百人力、なんと心強い事でありましょうか」
近年溝ができつつある王室と宰相派閥ではあるが、少なくとも表面上はアデライドもモラクス氏も穏当な態度を取っている。一見、親しい上司部下に見えるほどだった。とはいえ、よく見れば二人とも目には隠微な光が宿っている。
選帝侯閣下の要望に応じてアデライドに応援を頼んだわけだが、この様子を見ているとどうにも心配になってくるなぁ。これ以上、王室との溝が広がる事態にならなきゃいいんだけど……。いやまあ、敵の要人とコッソリ手を結ぶような交渉をやってる時点で、裏切り者扱いされても仕方のない真似をやってる自覚はあるんだけどさ。




