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第522話 くっころ男騎士と政治

 リースベン軍でも今年から調達が始まったばかりの野戦用調理器具、フィールドキッチン。キッチン馬車とでもいうべきこの機材は、行軍や野戦のさ中であっても街に居る時と変わらぬ料理を兵士らに提供することができる。ソニアに連れられて昼食会にフラリとやってきたエムズハーフェン選帝侯は、このフィールドキッチンを売ってほしいと要望してきたのだが……。


「……ええ、お望みであれば何台でも。もっとも、その前にこの戦争を終わらせる必要がありますが。敵味方に分かれた状態では、商売どころでもありませんし」


 どうやら選帝侯閣下はこのフィールドキッチンの取引を踏み台にして、鉄砲や大砲などの新型火器の輸入につなげたいと考えている様子だった。むろん、この提案は受け入れがたい。

 現状、我々は友邦たるディーゼル家にすらライフルの輸出は行っていないのだ。戦場の形態すら変えてしまうような危険な兵器を平気で売り歩けるほど、僕は軽率な人間ではない。売った銃がこちらに向けられる可能性だって十分あるわけだしな。

 ただ……平和的な装備に関しては、積極的に売り込んでいきたいという気分があるのも確かだ。なにしろリースベン領の税収は帳簿を見たアデライドがしばし沈黙して頭を抱えるほどひどい状態で、収入のほとんどをアデライドからの借り入れとディーゼル家からの賠償金に頼っている。そういう有様だから、トップセールスで輸出を増やすのは急務だった。


「そうだな、それはもちろんそうだ」


 柔らかな笑みを浮かべつつ頷くエムズハーフェン選帝侯。今回の戦いでは直接干戈を交えることとなった彼女ではあるが、逆に言えばガレアと神聖帝国が直接激突するような異常事態でなければ、我々が敵対することはまずあり得ない。なにしろリースベン領とエムズハーフェン領はそれなり以上に離れている。利害の不一致が発生するような関係ではないのだ。

 むしろ、今後は出来るだけ仲良くしたい相手なのは確かなんだよな。彼女の持つ交易ルートは大変に魅力的だ。上手く付き合えば、リースベンの輸出業を伸ばす良い機会になるかもしれない。ソニアが閣下を連れてきたのも、そういう部分を考えた上のことであろう。


「ところで、ブロンダン卿。何台でも……ということは、このフィールドキッチンとやらはリースベン領で製造されているのかな?」


 そんなことを言いながら、閣下はフィールドキッチンをしげしげと眺めた。じっくりと品定めをする商人の眼つきだ。


「え、ええ、そうですが……」


「ふぅん? リースベンには、これだけ大きな鉄製品をコンスタントに製造できる能力があるのか。水運に接続されていないあの領地では、鉄インゴットの大量輸入などできまい。……もしや、リースベンには高炉があるのでは?」


 うげ、うげげげっ! 口にしてもない情報がいきなり抜かれたぞ!? 確かに、リースベンには高炉……すなわち、溶鉱炉がある。伝統的なタイプの製鉄炉(塊鉄炉などと呼ばれるものだ)ではリースベン軍の鉄需要に堪えられない為、アデライドから借り入れたカネで思い切って最新鋭の高炉を建設してみたのだ。

 高炉は半世紀ほど前に東方から伝わってきた新しい製鉄炉で、従来の炉よりもはるかに大量の鉄を生産することができる。反面、大規模な施設だけに資源や燃料を大量消費してしまうため、どこの地方にもあるというものではない。高炉の存在自体は機密という訳ではないのだが、この短いやり取りの間にそこまで推理されてしまったというのは流石に怖い。下手な発言をすれば、軍機まで抜かれてしまいそうな気がする。

 うへぇ、このカワウソ美女クソ厄介だぞ。僕のような頭に軍隊のことしか詰まっていないようなアホを誘導することなど、彼女からすれば赤子の手をひねるより簡単だろう。やばいなぁ、この人と交渉するときは、アデライドかロリババアを矢面に立てた方がいい。僕ではちょっと……いや、かなり実力不足だ。


「そ、そうですね。せっかく鉄鉱山があるのだから、製造まで自前でやってしまえと。少しばかり無理はしましたが、作って良かったなぁとは思っております」


 地獄のような環境のリースベンだが、地下資源だけはやたらと豊富だ。リースベン戦争の原因となった戦略資源ミスリルはもちろん、鉄鉱石や石炭などもとれる。資源を自弁できるのだから、重工業に投資しない理由はないだろ。そういう考えで、僕はアデライドから借りたカネの結構な額をこれらの投資にブチこんだ。

 その甲斐あって、カルレラ市の北にある山脈では、鉱山・工業都市が形成されつつある。まあ、まだ都市というよりは村と言った方がいい規模だがね。とはいえ、鉄鋼業の基礎となる施設である高炉、そしてそこから生産される銑鉄を鋼鉄へと作り変える転炉はすでに操業を始めていた。いずれ、製鋼はリースベンの主要な産業となってくれることだろう。


「なるほど、流石はブロンダン卿。先見の明がおありだな」


 ニコニコ笑いでそんなことを言う選帝侯閣下。前世知識でズルをしているだけなので、そんなお世辞を言われてもなぁって感じはあるな。それより、この人の方が怖いよ。彼女の狙いがどうにもわからん。新式火器が欲しいのは確かだろうが、それを使って何をやるかが問題だ。


「いえ、いえ。僕はただ、部下に恵まれただけですので」


 空虚な笑いを浮かべつつ、僕は思考を巡らせた。さて、僕はここからどう立ち回るべきだろうか?利用されるのは別に構わないが、リースベンの損になるようなことは極力避ける必要がある。

 ううーん……閣下から距離を取るのは簡単だが、逃げるだけでは勝利は掴めない。どこかで反転攻勢に転じねば。やはりここは、態勢を立て直すべきだな。早急にロリババアと合流する必要がありそうだ。不完全な手札で勝負ができるほど、エムズハーフェン侯は甘い相手じゃないだろ。


「……ああ、失礼。それほど警戒しないでほしい、これはあくまで、無害な商売の話だからな。勝負をするフェイズはすでに終わっている、そうだろう?」


 困ったように右手を振る選帝侯閣下。ううむ、ポーカーフェイスは得意なつもりだが、それでもこちらの内心は向こうに筒抜けっぽいな。こりゃ手強い。僕はソニアに目配せをした。彼女は僕の耳元に口を寄せ、囁きかけてくる。


「アル様、エムズハーフェン侯は切れ者ですが、我々の直接的な敵ではありません。win-winの関係を構築すれば、こちらにもかなりの益があるのではないかと」


 正論だなぁ。まあ、直接的な敵ではないと言っても、結局のところ一度は殺し合いをしてしまっているわけだけど。向こう側が何の恨みも抱いていないかって言うと、絶対に否だろ。とくに、今回の場合は我々の側が一方的に侵略してるわけだし。うーむ、コイツは難しい案件だぞ。


「そうですね。戦場でも、そしてその後の議場の戦いにおいても、閣下のお手並みは尋常なものではありませんでした。はっきり申しますと、もう二度と戦いたくはないというのが正直なところです」


「それは私のセリフだよ」


 なんとも苦々しい笑みを浮かべつつ、エムズハーフェン選帝侯は肩をすくめた。


「不幸にも、我々は一度は敵対することとなった。しかし、この戦いはガレア王国のヴァロワ家が神聖帝国のリヒトホーフェン家に仕掛けたもの。我らはその臣下に過ぎぬわけだから、責を負う立場にはない。不幸なファーストコンタクトは忘れて、改めて一から関係を構築するべきではないだろうか」


 ふーむ。つまり、恨んでいるのはガレア王家の方だから、僕らには責任は求めませんよ……と言いたいわけか。これが彼女の本意だとすれば、大変にありがたいのは確かだ。まあ、あくまで口でそう言っているだけなので、完全に真に受けるのは危険だろうが。


「まったくの同感です、閣下」


 まあ、ソニアの言うことももっともだからな。警戒は緩めるべきではないが、出来る限りwin-winの関係を構築したいのは確かだ。僕は努めて愛想のよい笑みを顔に張り付けつつ、閣下に頷き返した。


「なるほど、我らの見解は一致しているようだな。喜ばしい事だ」


 パチンと両手を叩き、選帝侯閣下は新しい焼き魚串を手に取った。それを一口食べてから、さらに笑みを深める。


「そのためには、まず講和会議を終わらせなければな。諸君らといち早く信頼関係を築くためならば、こちらとしても多少は講和条件を譲歩する用意がある。……せっかく、昼食を共にしているんだ。いい機会だから、その辺りを詰めておこうではないか」


 おう、おう、おう。政治だ。政治の臭いがプンプンする発言だ。参ったなぁ、どうすりゃいいんだこれ。戦場ならまだしも、交渉の場ではどう考えてもこの人に勝てる気がしないんだけど……。

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