第521話 くっころ男騎士とカワウソ選帝侯
「このような料理は初めていただくのだが……ふむ、なかなか美味だな」
エムズハーフェン選帝侯、あの可愛らしい小柄な美女が、一般兵向けに作った焼き魚をお上品に食べながら言った。僕は愛想笑いを浮かべつつ、ソニアのほうをチラリと見た。身内だけのささやかな昼食のはずが、なんとこの副官は選帝侯閣下を連れてやってきてしまったのである。いったい何がどうしてこうなってしまったんだと、目で問いかける。
現在、選帝侯閣下は虜囚の身となっている。とはいえ相手はガレア王国で言うところの公爵に匹敵するレベルの大貴族だ。幽閉じみた真似をするのは大変に失礼なので、それなりの自由は保障されている。帯剣はもちろん許可されているし、監視付きならば散歩をすることすら許される。敵方とはいえ、貴人にはそれなりの扱いをせねばならないのが封建社会だ。
「どうしたもこうしたも」
いつものように僕の後ろで待機していたソニアは、なんら悪びれる様子もなく僕の耳元にささやきかけてきた。
「会議で喧々諤々やり合うだけが外交ではありません。時には、こうして食事会などに招くなどして親睦を深めるというのもとても大切なのです。……まあ、アデライドからの受け売りですが」
「そ、そっかぁ……」
言われてみれば、確かにそうである。というか、むしろ外交と言えばこういった接待行事こそが本分かもしれない。……しかし、一応この戦争の主体はガレア王国であり王家なんだよなぁ。あんまり僕らが出しゃばるのも良くないような気がするんだけど。
というか、そもそもだよ。接待するにしても、突然すぎるんだよなぁ。相手はブロンダン家よりもだいぶ格上の大貴族様だぞ? 出迎えるには、それなりの準備ってものがあるだろ。料理だって大衆向けの串焼きだしさ。選帝侯閣下が今食べている魚なんて、市場で一山いくらで売ってる激安大衆魚なんだぞ。偉い人にそんな安物食わせるのは……マズくないか?
「まあ、準備不足なのは確かなのですが。しかし今回は、向こうからぜひともと……」
「このソースの味付けは、明らかにガレア風ともオルト風とも異なっているな。いったい、どこの国の料理なのだ? これは」
ソニアとの内緒話を断ち割るように、選帝侯閣下が質問を飛ばしてくる。難しい事を聞いてくるねぇ。まさか、我が前世第二の故国のソウフルードです、とは堪えられないしさ。
「西大陸近傍の島国に伝わる料理だそうです。王都に住んでいたころ、とある船乗りに教えてもらいましてね。いらい、すっかり僕の好物になっているのですよ」
「ほう、新世界の料理とは。物珍しいのも当然のことだったか」
納得したように頷く選帝侯閣下。西大陸というのは近頃交易が始まったばかりの遠い海の向こうの大陸のことだ。まだまだ謎に包まれている場所だから、いい加減なことを言ってもそうそうはバレない。
とはいえ、まったくの嘘八百を並べ立てているわけではない。新世界とも呼ばれるこの大陸からはトウガラシだのカボチャだの、前世ではアメリカ大陸原産だった作物が流入してきているからな。この中央大陸西方がヨーロッパなら、西大陸はアメリカに相当する場所であるのは間違いないのだ。
そういうわけで、バーベキューを西大陸料理扱いするのもあながち誤りではないかもしれない。……ちなみにサツマイモも南米原産なのだが、なぜほぼ鎖国状態にあったエルフェニアでこの作物が育てられるようになったのかは結構な謎である。
「酸味と辛味の組み合わせが癖になりそうだな。美味しい薬膳のような風情だ。きっと体にも良いだろう」
「少なくとも、食欲増進効果があるのは確かですね。だからこそ、食べ過ぎには気を付けねばなりませんが。過ぎたれば薬も毒になりますし」
無作法ではないかとドギマギするこちらをしり目に、選帝侯閣下はごく上機嫌な様子でチリトマトソースまみれの串焼き魚に舌鼓を打っている。いやぁどうでしょうね? トウガラシなんで、それほど体には……特にお腹にはよくないと思いますけど。いや、適量だったら薬にもなるのかな? 香辛料だし。うーん、その辺素人なんでわかんないわ。
まあ、それよりなにより気になるのは選帝侯閣下本人の思惑なんだよな。まさか、彼女ほどの方がメシをタカりにきただけ……などということはあり得ないだろうし。何かの狙いがあってこちらに接触してきたに違いない。僕はもう一度後ろを振り返り、小声でソニアに返した。
「何らかの取引でも狙っているのだろうか、閣下は」
「おそらくは。その内容についてまでは、分かりかねますが」
「講和条件の緩和……かなぁ」
お偉方の御前でこそこそ話に興じるのは大変に不敬だろうが、相手の狙いがさっぱりわからないものだから仕方ない。せめて、来る前に連絡してくれればマシだったのだろうが。
「あるいは、戦後を見据えて兄貴と縁を持ちたいと考えとる可能性もあるんじゃないかね」
そんなことを言ってきたのは、それまで控えていたゼラだった。彼女を含むアリンコ兵連中は、突然のお偉いさんの参戦に怯んで大人しくしている。キジも鳴かずば撃たれまい、とでも思っているのかもしれない。実際、彼女らのような一般兵卒にとっては選帝侯だの何だのというような地位の人間はほとんど天災のようなものだからな。過ぎ去るまでは、首を引っ込めてただただ耐えることしかできない。……いや、本当にすまんね、君ら。楽しい昼食中にこんなことになっちゃってさ。
「それもあり得る話ですね。どう考えても、喧嘩を売りに来た風情ではありませんし」
「ううむ……」
部下らの提言を聞き、僕は小さく唸った。まあ、罠でない限りは選帝侯閣下を邪険に扱う必要はない。腹をくくって、彼女を歓迎することにしようか。もっとも、あまり仲良くしすぎるのも問題だろうが。なにしろ僕らは王家から疑いの目を向けられている身の上。敵方の貴族とあまりに接近しすぎると、王家の疑念をさらにあおることになってしまう。
「ところで城伯殿。さきほどから気になっていたのだが、この串焼きを作っているあの機械。あれは何だ?」
そんなこちらの思惑を知ってか知らずか(切れ者の閣下のことだから九割がたお見通しなのだろうが)、エムズハーフェン選帝侯はにこやかな笑みを浮かべつつ視線を移動式オーブンの方へと向けて聞いてきた。オーブンからは相変わらずモクモクと燻煙が上がっている。見た目は完全に小さくなった蒸気機関車のそれだ。
「フィールドキッチンと呼ばれるシステムの一部です。行軍中でも兵らに美味しい食事を届けるための道具ですね」
「ほう、なるほど。車輪がついているのはそのためか」
感心したような表情で、選帝侯閣下は頷く。
「ええ。食事は士気に直結しますからね。このタイプはオーブン・グリル専用機で、普段はパン焼きに使っておりますが……これとは別に、鍋料理や湯沸かしができるタイプも開発しています。現場では大好評ですよ」
「ふぅむ。ガレアの兵士は大鍋を背負って戦場にやってくる、とは昔からよく言われてきたことだが……とうとう馬車までキッチンにしてしまうとは。なるほど、君の兵があれほどまでに精強だったのは、こうした後方支援による部分も大きかったのだな。感心したよ」
いや、まあ……それはどうだろうね? 今回の戦いで主力になったのは蛮族兵だしさ。エルフやアリンコどもはフィールドキッチンなどがなくても十分に強い。もちろん、こうした設備が士気の維持に重要な役割を果たすのは確かなのだが。
ちなみに、閣下の言うところのガレア兵は大鍋を背負って……云々の格言は、ガレア軍が昔から兵隊用の食事として軍隊シチューを多用していた歴史からくる言葉だ。神聖帝国側にはこういった文化はなく、兵士用の食事は穀物粉や調味料などを現物支給し、兵士個人が調理する方式をとっている。
「正面装備だけではなく、こうした設備にもキチンと気を払う。ブロンダン卿は強い軍隊を作るための方法を心得ているようだ。我々も見習わねばならんだろうな」
えらく褒めるじゃん。少しばかり気恥ずかしいが、たぶんなんか意図があってのことだろうな。相手はいくさであれほどの切れ者ぶりを見せてきたエムズハーフェン侯だ。気を引き締めねば足をすくわれてしまうだろう。
「お褒めにあずかり光栄です、閣下」
「いやはや、興味深い。良ければ、何台か買わせてもらえないか? もちろん、講和会議が成った暁の話なのだが」
ほら来たほら来た。フィールドキッチンを売ってくれだぁ? ……いや、人を殺傷するような機材でも無し、それは別にいいんだけどね。とはいえ、ほかになんか狙いがありそうだなーって思うワケよ。
「兄貴……おそらくじゃが、この方が本当に買いたいもなぁフィールドキッチンじゃないぜ。無害な軍用品を買うた実績を踏み台に、大砲やら鉄砲やらの輸入に踏み切りたいってのが、この方の狙いなんじゃないかい?」
僕の耳元に口を寄せたゼラがそう囁きかけてくる。……たぶん彼女の言う通りだな。選帝侯閣下はヴァルマとも対戦している。新型の火器類の威力は身に染みて理解していることだろう。そして、現状ライフル火器の製造法を知っているのはガレア王室とスオラハティ家、そして僕だけだ。この中でもっともガードが緩そうに見えるのは、間違いなく僕だろう。なるほど、選帝侯閣下の思惑が見えてきたぞ。




