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第418話 カワウソ選帝侯の論戦

 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは安堵していた。ブロンダン卿の戦後処理がたいへんに穏当なものだったからだ。敗戦というものはえてして悲惨なものになりがちだ。自らの所領における戦いで敗れたのであればなおさらだ。しかし、彼は私の領地を"狩りの成果物"として扱う気はさらさらないようで、過酷な収奪などとは無縁の虜囚・占領生活が続いている。

 何より有難いのは、ブロンダン卿が兵に対して略奪行為を全面的に禁止している点だ。そのおかげで、リッペ市も往時のにぎやかさを取り戻しつつあった。もちろん、軍規を無視して無体を働く兵も少なからずいる。けれども、そのような輩にはキチンとした法の裁きを下すのが、ブロンダン卿の占領方針だった。そのおかげでリッペ市の治安は、なんとか普段通りの商売ができるレベルまで回復していた。


「エムズ=ロゥ市からレーヌ市へと向かう物資の流れを止める……やはりこれが第一ですね。レーヌ市防衛のために出陣した皇帝軍は、なかなかの大所帯です。これほどの大軍の糧秣を、現地調達だけで賄うのは難しい。補給線の一部でも使用不能になれば、かなり戦いにくくなるのではと」


「ふむ、言いたいことはわかるが。しかし、矢玉や武具ならまだしも、糧秣に関しては軍需品と民需品の区別などできない。つまり貴殿らは、エムズ=ロゥ市・レーヌ市間の物流を全面的に停止せよとおっしゃるのか」


 そんなリッペ市で悪くない虜囚生活を送っているこの私が何をやっているのかといえば、もちろん講和会議だった。毎日のように市庁舎の会議室に通い、雁首を揃えたガレア軍南部方面軍のお歴々と激論を交わしている。

 負けたとはいえ、勝者の言うことをなんでもハイハイと頷くわけにもいかないからね。なかなかハードな交渉になっている。ガレア側はどうやらレーヌ市への交易路すべてを封鎖したいみたいだけど、そんなことをしたら普通に賠償金を払うよりもよほど大損しちゃうからね。実際のところ、かなりの踏ん張りどころだった。


「……」


 そんな重要な交渉のさ中、ガレア側の最高責任者であるブロンダン卿がどうしているのかと言えば……なんだかどうでも良さそうな様子だった。いやまあ、流石にあからさまに詰まらなそうな顔をしているわけじゃあないけれど。とはいえ発言は露骨に少ないし、たまに口を開いたと思えば出てくる言葉は戦略面の提言のみ。驚いたことに、政治的な発言は一切なかった。

 戦いにおいてはあれほど苛烈な采配をしていたというのに、講和会議における彼はまるで別人のようにおとなしかった。自分の仕事は戦うことであって、その後のことは専門外ですよ……と言わんばかりの態度ね。流石にちょっと面食らっちゃった。成り上がり者という話だから、もっとガツガツ噛みついてくるものだと思ってたんだけど。


「もちろん、レーヌ市に向かう物資はすべて止める。これが理想であるのは確かですな」


 そんなブロンダン卿の代わりに弁舌を振るっているのが、モラクスとかいう外交官だった。王室特任外交官なる訳の分からぬ役職のこの女は、木で鼻をくくったような態度であれこれ無茶ぶりをしてくる。正直、かなり鬱陶しい。

 リヒトホーフェン家ですら一個中隊くらいの増援は寄越してきたというのに、ガレア王家は一兵も出さないまま口ばかりを挟んでくるだなんて。いくらなんでも無体が過ぎるような気がするけどなぁ……。相対的にあの腐れライオン女の株が上がっちゃって、自分でもびっくりよ。


「そうなると、賠償金の類はびた一文たりとも出せんな。物流を止めろ、カネも出せ……これは明らかに過大な要求だろう。承服しかねる」


「それでは困る!」


 ガレア軍に参加する諸侯の一人が声を上げた。名前は……ヴァール子爵だったかな? まあ、覚える必要も無いような小物だけど。なんにせよ、私が賠償金を出さないとなると、ガレア側の諸侯らはかなり困るでしょうね。なにしろ、軍役は手弁当が基本。出兵によって生じた莫大な戦費を埋め合わせるには、略奪はもちろん賠償金の"分け前"も必須だからね。


「過大な要求? それはどうでしょうか。当面、少しばかり損をするだけで、この戦いの結果を帳消しにできるのです。むしろ破格の条件と言っても良いのではないかと」


 モラクスも、諸侯らの声をまるで無視した交渉はできない。とうぜん、両方の条件をこちらに飲ませるべく攻勢を仕掛けてくる。まあ、雑なやり口だけどね。「負けたんだから言うことを聞け」という言葉を少しばかり迂遠にしただけの文句に、私は思わず苦笑した。まるで押し込み強盗ね。


「戦いの結果が気に入らないのは事実だがな。ならば、もう一度"やり直し"をするという手もある。エムズハーフェン家の戦力はまだまだ健在だ。もう一戦する程度ならさして難しい物でもない」


 実際、エムズハーフェン軍が手痛い損失を被ったのは事実だけどね。とはいえ、この発言はブラフでもなんでもない。リースベン軍とぶつかった別動隊はしばらく戦闘不能だろうけど、リュパン軍とやらを足止めしていた本隊のほうは健在だからね。


「……それに、諸君らが相対しているのはエムズハーフェン軍だけではない。ここは神聖帝国領なのだ。周辺には味方の諸侯が大勢いる。敵中に孤立した状態で、欲をかくのはやめておいた方が良いと思うが?」


 などと考えていると、思ってもみなかった方向から援護が来た。アホのアレクシアだ。指摘を受けたモラクスは、一瞬黙り込んでしまう。実際、この辺りの帝国諸侯が一致団結して戦い始めたら、総兵力一万程度(戦闘を経ているため、実際の兵力は皿に損耗しているだろう)の王国軍では流石に旗色が悪い。

 ……まあ、自身も帝国諸侯である私には、その"一致団結"がとっても困難であることを知っているわけなんだけども。とはいえ、相手は神聖帝国より中央集権の進んだ王国人。しかも、領地を持たない宮廷貴族だ。領主貴族の考え方を理解できていない以上、それなりにブラフの効果はある。

 しかし、まさかアレクシアが私に助け舟を出してくるとはね。戦闘で役に立たなかったお詫びかしらね? そういうのはいいから、もっとたくさんの援軍を連れて来るか、さっさとブロンダン卿を倒すかしてほしかったんだけどなぁ……。何よ一騎討ちって。まったく。


「……」


 それはさておき、肝心のブロンダン卿。彼は再戦を匂わされたことによって、少しだけ目を見開いた。そして、隣に居たリュパンとかいう騎士団長に目配せする。「もう一戦できる?」「望むところだ」……と言っている風情のアイコンタクト。本当に戦いに関わる話題にしか反応しないわね、アナタ。

 なんというか、この人……思考パターンが雇われの将軍みたいな感じなのよね。君主から見れば、政治に興味を示さず軍事だけに専念するその姿勢は理想の軍人って感じだけど。でも、この人一応領主貴族……つまり、君主側の人間なのよねぇ。

 出身が宮廷騎士の家らしいので、そこの教育によるものかしらね? 成り上がり者とは思えないくらい野心を感じないのがちょっと妙な感じ。すくなくとも、自分から望んで領主になったわけではないのかも。


「……なるほど。では、選帝侯閣下はもう一度戦いのやり直しをお求めになると。もちろん、こちらとしてはそれに応じるのもやぶさかではございませんが。とはいえ、御身の身柄はすでにこちらが抑えているのです。その辺りの事情は、しっかり考えておいた方が良いかと」


「私の身柄がなんだ。確かに私はまだ未婚だし、子もいない。しかし、優秀な妹なら居る。私が死んだところで、エムズハーフェン家は困りはしない」


 口ではモラクスと言い合いをしながらも、頭は別のことを考えている。そういえば、ブロンダン卿と婚約しているという話の王国の重鎮……アデライド・カスタニエ。彼女は、軍を持たぬ法衣貴族だという話だった。戦争のことにしか興味のない典型的な武人と、武力を持たぬ文官貴族の結婚。なるほど、読めて来たわね。

 ブロンダン家に取り入るのであれば、そのアデライドとやらに面通ししておくのは必須かな。できれば、出来るだけ早く会っておきたい。調べた限りでは、彼女は今リースベン領で領主名代をやっているらしい。ふーむ、ちょっと遠いなぁ。向こうから会いに来るというのは期待できないかなぁ。

 ならば、こちらから会いに行くしかないわけだけど。とはいえ、講和会議が終わらない限り私の身柄は自由にならないだろうし。……ああ、いや。よく考えれば、そうでもない。講和会議の真っ最中なのは、私たちエムズハーフェン家だけじゃないもの。幸い、先日便りを出したところ、"先方"からは色よい返事が返ってきている。結ばれたばかりの協力関係、せっかくだし活用してみようかな。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ミュリン家→ディーゼル家ラインですかね
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