第514話 くっころ男騎士とお悩み相談(1)
翌朝。エムズハーフェン選帝侯閣下によるリッペ市の暴徒鎮圧作戦が決行された。鎮圧といっても、それほど乱暴な作戦ではない。リッペ市の暴徒らは、あくまで侵略者……つまりは、我々への抵抗を示しているに過ぎないわけだからな。彼女らにとってエムズハーフェン軍はむしろ味方であるから、穏当に説得で解散させられる可能性は十分にある。
とはいえ、それはあくまで理想論だ。相手は将校によって統率される"きちんとした"暴力集団ではない。こういった集団が目的を見失って無軌道に破壊と混乱をまき散らすだけに終始するのは決して珍しい事ではない。
そこで選帝侯閣下は、自身の近衛隊を主力として臨時編成の大隊を結成した。古参の装甲兵(甲冑を着込んだ兵士のこと)のみで構成された精鋭部隊だ。この兵士たちは、通常の武装の代わりに盾と棍棒を装備させている。暴力に酔いしれて暴走する者たちを、ぶん殴って正気に戻してやるための装備だ。……要するに、現代の機動隊のようなものだな。
選帝侯閣下はこの特務部隊を自ら率い、朝のうちにリッペ市内へと突入した。約束通り、わが軍は鎮圧任務には参加せず市外で待機している。とはいえ、陣地に流れている空気はいささか剣呑なものだった。なにしろ、停戦中とはいえエムズハーフェン軍が敵であることには変わりがないのだ。最悪の場合、暴徒らと共謀して我々に再び牙を剥く可能性もある。そうなった場合に備え、各部隊は即座に反撃に移ることができる即応体制を取らせていた。
「今のところ、エムズハーフェン軍には市内、市外ともに怪しい素振りはありません」
そんな報告をするのは、今朝軍務に復帰したばかりのソニアだった。その麗しい顔はいまだに傷まみれ包帯まみれでなんとも痛々しいのだが、意外と元気そうな声を出している。流石は竜人、尋常なタフネスではない。
「このまま大人しくしていてもらいたいところだな……」
香草茶を啜ってから、僕は指揮卓に視線を下ろした。市内で鎮圧作戦が進む一方、我々は指揮本部に詰めて"万が一"に備えていた。もしエムズハーフェン軍が再戦を仕掛けてきた場合には、即座に殴り返せる姿勢を構築している。指揮本部には実戦の時の変わらぬ緊張感が流れてきていた。
とはいえ、ソニアの言う通り今のところは停戦破りの兆候はない。リッペ市の上空には鳥人偵察兵や翼竜騎兵を密に飛ばして情報収集に務めている。何かあれば、即座に警報が発せられる手はずになっていた。
もちろん、監視の目は市外に残ったエムズハーフェン軍にも向けられていた。むしろ、数的にはこちらの方が多いので警戒を緩める理由など微塵もない。彼女らは武装を没収された上で分断され、ヴァルマ隊やエルフ隊などの精鋭部隊によって監視されていた。この状態で第二ラウンドを仕掛けてこられるのは、相当の向こう見ずか覚悟ガンギマリのやべー奴だけだろう。
「ま、人質もおりますのでね。それほど大それたことにはならないとは思いますが」
そんなことを言いながらソニアがチラリと見た先には、所在なさげに小さくなっているアーちゃんの姿があった。ソニアと変わらないほどの傷まみれになった彼女は、普段の無暗に偉そうな態度とは程遠い殊勝さで折り畳み椅子にチョコンと座っていた。借りてきた猫のような態度だ。
「人質として機能すればいいがな……」
殊勝なのは態度だけではなく発言もだった。いや、殊勝というよりは卑屈といったほうが正しいかもしれない。傲慢不遜という言葉が擬人化したような女であるところのアーちゃんがこの有様なのだから、凄まじい違和感だ。ソニアも不気味なモノを見るような目つきで彼女を見ていた。
とはいえ、アーちゃんがショボくれているのにもそれなりの理由がある。作戦の失敗、決闘での敗北。それに加え、先ほど取った朝食のさなかにもひと悶着があった。いや、悶着というほどのトラブルではない。単に、選帝侯閣下がアーちゃんに冷淡な態度を取った、ただそれだけの話である。
現場には僕も同席していた。冷淡な態度といっても、目上の人間に対する礼を失したようなひどいものではなかった。しかしそれでも。アーちゃんにとってはそれなりにショックな出来事だったようだ。
「エムズハーフェン殿はどうやら随分と我に失望しているようだったからな。見捨てられても不思議ではなかろうよ」
などと言いつつ、アーちゃんは深々とため息を吐く。いじけモードというよりは、心底落ち込んでいるような風情だった。
「……まあ、流石に見捨てるまでは行かないんじゃないですか。知らないですけど」
この人、唯我独尊的なキャラの割にはメンタルが弱いよなぁ。前も妙なことで落ち込んでたしさ。若干面倒くさくなりつつ、僕は投げやりな慰めを口にした。
「兵は、いや、部下は危地であるほど上官の一挙手一投足に注目していますよ。もっとシャッキリしてくださいな」
「ううむ……」
その通りだ、と思う程度の理性は働くらしい。彼女は姿勢を正したが、しかし相変わらず顔はへにゃへにゃしている。すっかり心が折れてしまっている風情だった。相変わらず面倒くせぇなあこの人はなぁ。
「なにをそんなに落ち込んでいるんだ貴様は、気持ち悪い。リースベン戦争の時など、負けた直後にも関わらずヘラヘラしていたではないか。あの時の気概はどうした?」
しょうがないなぁ、と言わんばかりの態度でソニアがそんなことを言った。どうやら、アーちゃんを励ましてやる気になったらしい。苛烈な部分が目立つ彼女だが、平時においてはなかなか面倒見の良い所がある。僕はちょっとした面白みを感じつつ、香草茶をすすりながらずたぼろ偉丈婦二人のやり取りを見守ることにした。
「まけたとはいっても、あの時はそこまでひどい事にはならなかった。今回は駄目だ、エムズハーフェン殿どころか、そこらの一兵卒ですら我を見る目が冷たい。ずいぶんとひどい大ポカをやらかしてしまった」
前回も大概だっただろ。そう思ったが、言わぬが華である。
「前回も大概だっただろ」
あ、ソニアが言っちゃった。せっかく姿勢だけはシャッキリしていたアーちゃんが、またへにゃりとなった。そして、僕とソニアをチラチラとみて、ちょいちょいと手招きする。耳を貸せ、のジェスチャーだ。どうやら、兵には聞かせたくない話をするつもりらしい。
ええ、僕もぉ? そう思ったが、まあ今は状況も安定している。エムズハーフェン軍が余計なことをしない限りは、僕らは監視さえしていればそれでことは済むからな。むしろ戦後処理などの雑務をやるわけにはいかないぶん(雑務で机の上がいっぱいになっていたら緊急時に即応できないからだ)、暇ですらある。アーちゃんの愚痴を聞くくらいはまあいいかと、僕は彼女に椅子を寄せた。
「うう。そうは言うが、我もそれなりに頑張ってたんだぞ? 少なくとも、戦力の一角として求められる以上の仕事をした自信はある。リースベンでも、このエムズハーフェンでも」
周囲に聞こえないような小声で、アーちゃんはそう言った。場末の居酒屋でクダをまくサラリーマンのような口調だった。まあ、彼女の言いたいことはわかるよ。実際、今回もリースベン戦争でも、立ちふさがった敵の中で一番厄介だったのは間違いなくアーちゃん麾下の部隊だったしな。
「なのにどうしてこうなった? 貴様らにこのようなことを聞くのは筋違いだと承知はしているが……何が悪かったのか教えてくれないか。このままでは本当にマズい……」
懇願するような調子のアーちゃんに、僕とソニアは顔を見合わせた。ううーむ、確かに僕らにそんなことを聞かれても困る。しかし、アーちゃんがポカしまくってリヒトホーフェン家が爆発四散しても、それはそれで困るんだよな。
まあ、皇帝家が変わる程度なら別にいいんだけど(平和的に皇帝家を変えるために選帝侯なんてシステムがあるわけだし)、万が一大規模な内戦なんかが起きた日にはリースベン領自体が大迷惑を被る。ましてや今はガレア王国と神聖帝国の真っただ中だ。この戦争の結果いかんでは、内戦リスクはさらに上昇する。今後のことを考えれば、アーちゃんには出来るだけしっかりしてもらいたい所だった。
「……仕方、ありませんかね?」
どうやら、ソニアも同様の結論に至ったようだ。僕は小さくため息をつき、頷いた。
「ま、相談に乗るくらいならいいかな……」




