第510話 くっころ男騎士と戦後処理
トップ二名の陥落により、エムズハーフェン軍は実質的に機能を停止した。なおも戦闘を継続した部隊も少なくはなかったが、総司令部が陥落した状況では統制の取れた反撃など出来るはずもない。結局のところ朝の八時前には制圧が完了し、リッペ市近郊は平和を取り戻した。……まあ、肝心の市内では相変わらず市民反乱が続いていたが。
戦いが終わっても、まだまだやることは山積みだ。敗軍の兵士たちの身の振り方を決めたり、負傷者の治療や介錯をしたり、戦死者を葬ったり、仕事はいくらでもあった。それに加えて今回はこの市民反乱の件もあるのだから大事だ。とはいえ僕もいい加減に体力の限界が来ていて、一時間だけ仮眠を取らせてもらうことにした。できれば丸一日休みたいところだったが、まあそういうわけにはいかん。現場は現場で大変だろうが、上層部もラクじゃないね。
「……戦いは終わってからが本番だなぁ」
昼過ぎ。僕は指揮本部の大天幕の下でウンウンと唸っていた。いや、唸っているのは僕だけではない。野戦病院に入院中のソニアを覗き、わが軍の高級幹部のほぼすべてがこの大天幕の下で書類に埋もれていた。それだけのメンツをもってしても、働いても働いても積まれた仕事の量が減らない。わが軍は書類の物量攻撃に晒されていた。
「ボヤいてないで早くコイツを決裁しちまってくださいよ。戦利品の分配は急いで終わらせないとストライキが怒りますよ」
なんとも辛辣な口調でそんなことを言うのは騎士隊代表のペルグラン氏だ。戦闘中は正面戦線の指揮官として見事な活躍ぶりをみせてくれた彼女だが、戦いが終わってからというもの妙に辺りが強い。どうにも僕が前線に出て剣をブンブン振り回していたのが気に入らないらしい。……そりゃそうだわ。僕がペルグラン氏の立場でも、総司令官が前線で遊んでたら文句の一つも言うわ。
「あぁい」
気のない返事をしながら、書類仕事を進める。普段ならばもうちょっとシャキッとしながら働くのだが、こうも疲れているとなかなかそれも難しい。こちらとほぼ三日徹夜してるからな。たった一時間の仮眠では焼け石に水だ。
チャッチャとやるべきことを終わらせてさっさと休みたいなぁ。そんなことを考えながら仕事をしていると、一人の従兵が指揮本部にやってきた。彼女は敬礼をしてから、「お客様がお越しです」と報告をする。
「お客様? 一体誰だ」
「ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン選帝侯閣下です」
「……なるほど。わかった、お入り願いなさい」
少しばかり驚きながらも、僕は従兵に頷き返した。ネェルの手によって空輸された選帝侯閣下は、命に別状こそなかったが意識の方は完全に失っていた。そのため、ソニアやアーちゃんらとともに野戦病院送りとなっていたのだが……。
「直接顔を合わせるのは初めてだな、ブロンダン卿。私はエムズハーフェン領の君主にして神聖帝国の七選帝侯のひとり、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンだ」
従兵に案内されてやってきたエムズハーフェン選帝侯閣下は、病み上がりとは思えないほどしっかりとした声音でそう自己紹介した。選帝侯、などという仰々しい地位にはついている彼女だが、外見上はそれほどいかつくはない。身長は僕より少し低い程度で、体格も竜人と比べればはるかに華奢だ。栗色の柔らかそうな髪と頭に付いたカワウソ耳のおかげで、可愛らしいお姉さんという雰囲気がある。軍人、貴族というよりは大店の柔和な若旦那さんという風情だ。
彼女の後ろには、壮年のカワウソ獣人の将校が尽き従っていた。聞いたところによれば、エムズハーフェン軍の筆頭参謀殿だという。彼女はもともとヴァルマが捕虜にしていたらしいのだが、選帝侯閣下のことをたいそう心配していたという話だったので面会を許可した。おそらく、野戦病院からそのまま尽き従ってきたのだろう。
「お初にお目にかかります、選帝侯閣下。お会いできて光栄です、リースベン城伯アルベール・ブロンダンと申します」
一礼をしてから、僕は選帝侯閣下と握手をした。本来であればこのような目上の貴族と面会するときは、間に仲介者を立てるのが普通なんだけどな。ただ、今回の場合は仲介者をやれそうな人物がいないものだから無作法も仕方のないことだろう。唯一仲介者をやれそうなアーちゃんはいまだに気絶したままだ。
「わざわざ御足労頂き、申し訳ありません。ご連絡を頂ければ、こちらからお会いしに参りましたのに」
「重傷者じゃあるまいに、そのような配慮は不要だ。……君のところのカマキリ殿は、手加減が上手だな。まあ、足を掴まれてブンブンと振り回された時は死を覚悟したものだが……」
遠い目になりながら、選帝侯閣下はそうおっしゃられた。……ネェルさん、いったい何をやってるんですか。いや、たぶん体に傷を付けずに気絶させるためにやったことだろうけどさ。
「ははは……自慢の仲間、友人ですので」
「友人ね」
「ええ。大切な、ね」
愛想笑いを浮かべながら、僕は選帝侯閣下と筆頭参謀殿に椅子をすすめた。彼女らが席に着くと、気を利かせた従兵が湯気の上がる豆茶を二人の前に並べる。ガレア人は香草茶を好む者が多いが、神聖帝国では豆茶の方がポピュラーだ。
「それで、今回はいったいどういったご用件でしょうか? 講和会議の件でしたら、なにしろまだ状況が混乱しておりますので、もう少しお待ちいただきたいのですが」
社交辞令の雑談もせずに、僕はいきなり本題を切り出した。寝不足のせいで、脳みそが随分と鈍っている。今の僕には貴族特有の迂遠な話術に付き合う余裕などなかった。
「単刀直入だな。まあ、話が早くて良い」
小動物めいた可愛らしい外見には似合わぬ威圧的な声でそう答えてから、選帝侯閣下は豆茶を一口飲んだ。
「用件はただ一つ、リッペ市のことだ。聞けば、かの町ではいまだに市民反乱が続いているらしいな?」
ほう、リッペ市ね。なるほど、そう来たか。僕は後ろを振り向こうとして、途中でやめた。そこにソニアがいないことに気付いたからだ。困ったね、こういう時には彼女の援護射撃がないと立ち回りづらいのだが。
「ええ。なにしろ、千の寡兵で三千の大軍を迎え撃ったばかりですから。暴徒鎮圧などに手を回す余裕がなかったのです」
「……理屈の上では確かにそうなるが、まさか街の支配権をすべて手放してしまうとは思わなかった。私の失策だな」
ため息をつきながら、閣下は参謀に目配せした。壮年のカワウソ獣人はしかめっ面で頷く。あーあ、羨ましいなあ。やっぱり、懐刀はいつもの所に収まっていないとなんだか違和感がある。
「一つ、提案がある。リッペ市の治安の回復は、我らエムズハーフェン軍に任せてもらえないだろうか? 君たち自身がやるよりは、よほど手早く平和的に秩序を取り戻すことができると思うのだが」
「……ふむ」
僕は小さく唸った。治安出動にエムズハーフェン軍を使う、か。確かに悪い提案ではない。捕虜となったエムズハーフェン軍の兵士はかなりの数に上る。なにしろ作戦の真っ最中に指揮本部が壊滅したわけだから、彼女らは戦場の真っただ中で烏合の衆と化してしまった。降伏に追い込むのは、赤子の手をひねるより容易なことだった。
個人的には、ぜひとお願いしたいところだ。暴徒と化した市民の相手なんか、僕は絶対にやりたくない。やりたくなさ過ぎて、今の今までリッペ市を放置し続けているくらいだ。正門さえ封鎖していれば、リッペ市内部の混乱は外部にそれほどの悪影響はもたらさない。まあ、封鎖を担当しているアリンコ隊はたいへんに難儀をしているので、出来るだけ早く解決せねばならないのだが。
僕は無言で、近くの席で書類仕事をしていたヴァルマに目配せをした。ソニアがいないならば、その妹で補う作戦だ。彼女は小さく頷き、眼鏡の位置を直した。彼女は本や書類を読むときにだけ眼鏡をかけるのである。別に視力が悪いわけではないので、たぶん単なるオシャレだ。
「わたくし様としては、ぜひとお願いしたいところですわね~。もともと、リッペ市は選帝侯閣下の持ち物ですもの。もとの持ち主に帰して差し上げるのが自然なことですわ~」
眼鏡を光らせながら、ヴァルマはそう主張した。そんな姿を見ると、なんだかこの愚妹が賢そうに見えるから不思議だな。眼鏡マジックってやつかな? ……いや、別に普段のヴァルマが知的ではないというわけではないのだが、コイツの場合は知性を野蛮性が覆い隠してるからなぁ。
「そうだな、僕も同意見だ。……たいへんにありがたい申し出であります、閣下。こちらとしても、できれば市民とは戦いたくはありませんから。ご提案の通り、リッペ市のほうはエムズハーフェン軍のほうへお任せいたします」
ヴァルマが同意してくれるのならば、是非もない。僕は選帝侯閣下の申し出を受けることにした。
「話が早くて助かる」
それを聞いたカワウソ美人は、ほっとした様子で頷いた……。




