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第507話 カワウソ選帝侯の決心

 ヴァルマ隊からの圧力に抗しきれず、私は後退を決意した。しかしそこへ、重苦しい笛の音色と共に矢の雨が降り注いだ。


「ウワーッ!?」


「盾だ! 盾を掲げろ!」


 たちまちの間に、我が方の陣地は阿鼻叫喚の状態に陥った。前方、つまりはヴァルマ隊への対処に集中していたところにいきなり横合いから殴りこまれたのだ。混乱しないはずがない。ぷおおおん、ぶおおおんという聞いたこともない笛の音も、恐怖感に拍車をかけている。


「落ち着いて防御陣形を取れ! バラバラに逃げ出したらそれこそ敵の思うつぼだぞ!」


 とにもかくにも、この混乱を治めなければならない。私は急いで部下らにそう命じた。鉄砲や大砲の暴威を思えば密集陣形を取らせるのは避けるべきだろうけど、今回に関しては致し方ない。訓練をしていない行動をいきなり実戦で命じたところで上手くいくはずがないからだ。

 幸いにも、私の元に居る手勢はみな精兵だった。彼女らは私を守るようにして迅速に亀甲陣形を組み、盾で敵の矢玉を弾き返し始めた。それを見た私はほっと安どのため息を吐く。奇襲は最初の一撃を喰らった瞬間が一番危ないのだ。これさえ乗り越えてしまえばまだやりようはある。


「ぐぬっ……! このタイミングで仕掛けて来たか、蛮族どもめ!」


 しかし、状況が多少落ち着いてもボヤきは止められない。これは紛れもない奇襲だったけど、私はこの攻撃が誰の手によるものかを即座に理解していた。鉄砲ではなく弓矢による射撃……間違いない、エルフだ。彼女らの代名詞とも呼べる武器は、火炎放射器だけではない。妖精弓(エルヴンボウ)などと呼ばれる優れた弓の情報は、私の耳にも入ってきていた。


「敵の現場指揮官にはよほどの戦上手が揃っておりますな。夜戦でこれほどにも時宜を得た奇襲を仕掛けてくるとは」


 苦み走った声でそうボヤきつつ、筆頭参謀が私を庇うように盾を掲げた。最初の放火報告以降、エルフどもがこちらの哨戒網に引っかかることはなくなっていた。ヴァルマ隊との同士討ちを恐れ、遠巻きに戦場を眺めていたのだと思っていたけれど……まさか、弓の間合いまで接近されていたとは。いくら夜とはいえ、見張りは何をしていたのかしら!


「マズイことになったわね」


 私は周囲に聞こえぬよう小さな声でそう言った。我々はもともと、正面のヴァルマ隊と射撃戦をしていた。それに加え、今は右手からエルフが仕掛けてきている。二方向から同時に射撃を受けるのは大変に危険だというのは、どんな兵術書にも書かれている基本的な知識だった。


「昼間だったら全力で退避させるところなんだけど、こんな夜に――」


 そこまで言ったところで、筆頭参謀の盾に矢が突き刺さった。その鋭い音に、思わず身がすくみそうになる。しかし筆頭参謀は、落ち着き払った声で「まぐれ当たりです。恐れる必要はありません」と言った。私はほっとして、小さく深呼吸する。流石は老兵、戦場での正しい立ち振る舞いをしっかり理解している。私もこういう風になりたいものね。……いややっぱり嫌だわ。もう二度と戦場には出たくないわ。


「こほん。……こんな夜に兵たちに全力疾走をさせたら、隊列が千々に乱れて部隊が霧散してしまう。そうなったらもう再集結はムリよ。どうするべきか、だいぶ悩ましいわね……」


 昼間ですら、一度バラバラになった部隊を再び集めるのは尋常なことではない。指揮官の統制から外れた兵士は、好き勝手に逃散してしまうものだからね。ましてや今は夜、一度バラバラになった部隊は二度と元に戻らないだろう。下手に退避を命じたら、干戈を交えるまでもなく我が手勢は壊滅することになってしまう。


「心配なされることはありません、我が侯」


 しかし筆頭参謀は何ともないような声音でそう答えた。


「この夜の帳を身を守る盾として活用するのです。我が方の兵士たちをごらんなさい、混乱はしていても、倒れる者は少ない。エルフであれ、竜人(ドラゴニュート)であれ、このような闇の中では狙いを定めた精密な射撃など不可能です」


 言われてみれば、奇襲を受けた割に我が方の被害は少ない。私はハッとなった。そうか、敵はこちらの居るであろう位置に適当に見当を付けて矢や鉄砲を放っているだけだ。これでは、まともに命中するはずもない。


「そして、敵方は片方の部隊が射撃を続けている限りは突撃に移れません。同士討ちになってしまいますからね」


「なるほど……! そうか、その射撃中止の要請も、この夜闇の中ではなかなか出せまい。夜の野戦では伝令を届けるのも一苦労だ……」


 私は得心した。我々に降り注いでいるのは矢だけではない。ヴァルマの鉄砲隊も相変わらず射撃を続けている。厄介なことこの上ない弾幕だけど、これが止まるまで突撃が来ないというのならまだそこに付け入る隙が……。


「チェストカワウソ!」


「せっかくヴァルマどんが一番槍を譲ってくれたんど。こいで大将首を取れんにゃエルフん恥ぞ!」


「グワーッ!」


 ……いや普通にエルフどもが突撃してきてない、これ? 夜闇のせいであんまり良く見えないけど、なんか明らかに白兵戦してるような声や音が聞こえてきてるような。


「首! 首! 大将首はどこじゃ!」


「いちいち首を獲っ前に名を聞っともしゃらくせ! 目につっもん皆チェストして後で首実検すりゃ良か!」


「名案にごつ!」


 耳をすませば死ぬほど物騒な会話が聞こえてきた。それを聞いた筆頭参謀はふっと笑い、首を左右に振った。


「エルフに常識を求めた私が間違いでしたね」


「そうね」


 駄目だわこれ、普通にエルフども突撃してきてるわ。ヴァルマ隊の方からは相変わらず銃弾が飛んできてるし、それどころかエルフからの弓射も止まってない。この状態で突撃してくる? 普通。ああああああ! そろそろ胃が爆発しそう!!


「とにかく、今はあの命知らず共を跳ね返しましょう。連中は甲冑も纏わぬ軽歩兵ですから、重装歩兵の密集陣を相手にするのは流石に分が悪いはず。組織的反抗こそが、現状を打破する唯一の……」


「化け物だ! 化け物が来たぞ!」


 筆頭参謀がそこまで言ったところで、これまで静かだった左手の方からもそんな声が上がった。そちらに目をやれば、なんだかひどく巨大なモノがこちらの陣地に向け猛烈なスピードで突っ込んできている。よくよく目を凝らしてみると、それはヒトの上半身がくっ付いたバカでかいカマキリだった。

 暴走馬車のような勢いで突撃してきた巨大カマキリは、そのまま我が方の亀甲陣へ衝突した。盾を構えていた兵士たちが、オモチャのように吹き飛ばされていく、ひどく非現実的な光景だった。


「おお、勿体ない、勿体ない。新鮮な、お肉が、こんなにも、無駄になる。やはり、戦争は、きらい、ですね?」


 巨大カマキリは何やら物騒なことを言いながら、体格に見合った巨大な鎌を振り回した。無造作な攻撃だが、スピードとパワーが尋常ではない。たったの一撃で複数の兵士らが吹っ飛ばされていった。むろん何とか迎撃しようと槍を突き出す者もいたが、まったく相手にならない。一方的な戦い……いや、虐殺だ。


「に、逃げろ! こんな化け物に勝てるわけがない!」


「助けてくれ! し、死にたくない! ウワーッ!」


一瞬のうちに左側の部隊は士気崩壊を起こし、兵士どもが武器を放りだして逃げ出し始めた。恐慌はあっという間に周囲に伝播する。エルフと交戦していた右手の部隊もそれは例外ではなく、緊密だった陣形に露骨に隙間ができ始めた。


「……ああ、もう、これは駄目ですね」


 とうとう、筆頭参謀までもが匙を投げた。正直に言えば、私も同感だった。ヴァルマ隊だけでも荷が重いのに、エルフ隊と化け物カマキリまで相手をするのは絶対に無理でしょ。ああ、もう、滅茶苦茶だわ。どうしようもないわ。私はほとんどへたり込みそうになっていた。ああ、けれど、私には男のようにクズクズと泣き崩れる権利もない。なぜなら私はエムズハーフェン選帝侯だからだ。大貴族の長として、命尽きるその瞬間まで威厳ある態度を崩してはならない。


「致し方ありません。自分が血路を開きますので、せめて我が侯だけでも生き延びていただきたい」


「ば、馬鹿言いなさい!」


 私は思わず叫んだ。もちろん、死にたくはないけれど。でも、この忠臣を見捨てて自分だけ生き延びるのは駄目だ。私はまだ彼女の忠誠に報いることができるような上等な君主ではない。


「まだ私はあきらめないわ! エムズハーフェン家の当主として、最後まで義務を果たすッ!」


 大きくため息をついて、私は剣を抜き放った。口ではこう言っているけど、実際のところこうなったらもう敗北は避けられない。ならばせめて、貴族として誉れある死に方をしなければエムズハーフェン家が後ろ指を指されることになる。ならばせめてここで見事に散るのがエムズハーフェン選帝侯たる私の最後の仕事だ。……ああー、悪くない人生だったはずなのに、バカみたいなところで躓いちゃったなぁ。死にたくないなぁ……うえええ。


「まずは手始めにあの腐れカマキリを倒すッ! 戦意無き者は不要だ、ブロンダン卿に一矢報いる気概のある者だけ我が供をせよッ!」


 どうせ死ぬなら、強い方に突っ込んで死んだ方が名誉になる。私は腹を決め、剣を抜き放って我が陣地の蹂躙を続けるカマキリを指し示した。


「あれを倒せば、伝説のドラゴンスレイヤーに匹敵するほどの栄誉になるぞッ! ハハハッ、これでもう誰もカワウソ獣人を弱卒などと呼べなくなる、なんと喜ばしいことかッ!!」


 やけくそになりながら叫ぶと、周囲の兵士たちの目に生気が戻った。剣を掲げながら、私はノドが張り裂けそうな声で叫んだ。


「行くぞッ! 我に続けッ!!」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 敵方と味方の悪役度が逆じゃありませんか?w
[良い点] かっこいいー!
[一言] 実のところカマキリちゃんは相手をみて手加減して捕縛できる娘なので、蛮族エルフなんぞを相手にするよりよっぽど生存確率高いよなあ
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