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第506話 カワウソ選帝侯の悪戦

「ハワーッ!?」


 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは悲鳴を上げながら吹っ飛ばされた。身体が地面で何度もバウンドし、やっと止まる。自慢の甲冑が土まみれだが、そんなことを気にしている余裕はない。なにしろ全身がバカみたいに痛かった。痛さのあまりマジ泣きしそう。初めての乗馬で落馬したときだってここまでひどくはなかった。


「ぐぇぇ」


 潰れたカエルのような声を上げつつ、私は何とか起き上がった。耳がキーンとなって、何も聞こえない。何人もの部下が駆け寄ってきて何か言ったようだったが、口はパクパクしているのに何も聞こえない。


「私は平気だッ! とにかく態勢を立て直せ!」


 それでも、私は空元気を振り絞ってそう叫び返した。とにかく、今は呆けている暇などはない。なにしろ戦況は最悪だ。どれくらい最悪かというと、本陣に大砲を撃ち込まれるレベル。私が吹っ飛ばされたのも、砲撃の余波だ。少し前までは天幕が張られ指揮卓が並んでいたこの場所も、今ではグチャグチャのメチャメチャになってしまっている。


「猟兵……猟兵はいないか? とにかく、砲撃を止めなくては。こんな状態では戦闘どころではない」


 頭を振りつつ、私は敵の方を見た。暗闇の中、時折何かがチカチカと光っている。どうやら、鉄砲の発砲炎らしい。我が本陣は鉄砲と大砲で滅多打ちにされていた。地面には指揮本部の残骸だけではなく、無数の遺体も転がっていた。もちろん、すべて私の部下だ。


「おのれ、ヴァルマ・スオラハティ……!」


 思わずそんな声が漏れる。現在、われわれに攻撃を仕掛けてきているのはヴァルマ隊だ。これがまた、死ぬほど手強い。彼女の部隊は鉄砲を大量に配備し、大砲まで持っている。槍とクロスボウで武装したわが軍の兵士ではまったく太刀打ちできなかった。

 正直に言えば、ここまで無惨なことになるとは思っていなかった。火薬兵器の暴威は知っている。しかし、今は夜中だ。そのうえ、満月でもない。これだけ視界が限定的ならば、彼我の射程の差はそれほど大きな影響を与えないのではないかと、そんな甘い事を考えていたのだ。

 しかし、現実はそう甘いものではなかった。ヴァルマ・スオラハティは部下を数十名単位の小さな部隊に分け、多面的な作戦を展開した。いくら平地とはいえ、夜闇の中でそんな小さな部隊を補足するのは容易なことではない。そして結局、迎撃のために展開した長槍兵の密集陣は左右からの猛射撃を浴びて敗退した。こちらは敵の実体を掴むことすらままならなかった。


「わが侯! わが侯! この陣地では、これ以上持ちこたえるのは不可能です。いったん後退しましょう!」


 やっと耳が聞こえるようになってきた。筆頭参謀が必至の形相で私の肩をゆすっている。この女がこんな表情をしているのを、私は初めて見た。ああ、これが負け戦か。そんな考えが一瞬脳裏をよぎり、私は慌てて頭を振った。いいえ、私はまだ負けていない! なんとかこの局面を耐えきり、アレクシア陛下がアルベールを倒してくれれば……まだ希望はある!


「……わかった、少しだけ後退しよう。だが、後ろ(・・)はすぐ敵陣だ。あまり下がりすぎると、今度は背中側から攻められるぞ」


 ほんの一時間前は正面と呼んでいた方向を後ろと呼ばねばならないことに、私は忸怩たる気分を覚えた。後ろから差されるなんて言うのは、用兵家にとっては最悪の恥よ。私の将としての自信は、もう滅茶苦茶になっていた。


「致し方ありません、この場を固持するよりはよほどマシです。とにかく、今は少しでも多くの時間を稼がねば」


 筆頭参謀の顔はひどく悲壮なものだったけれど、それでも逃げようとは言わなかった。私と同じく、彼女もまだ勝利をあきらめていないらしい。少しだけ誇らしくなって、私はふっと息を吐いた。


「長槍兵には槍を捨てるよう命じろ。この戦場では、密集陣など何の役にも立たない。散兵には散兵で対抗する以外なさそうだ」


 兵士を団子にして運用していると、大砲のマトになってしまう。鉄砲ならば魔装甲冑(エンチャントアーマー)で防げるが、大砲はそうもいかない。アレが一度火を噴くと、それだけで何人もの兵士が一度に吹き飛んでしまう。戦場の形を変えてしまうような、恐ろしい兵器だった。

 ……なんとか運よくこの戦場を生き延びることができたら、何が何でもわが軍でもああいう大砲を導入しなきゃマズいわね。勝っても負けても、ブロンダン家と交渉してなんとかアレを売ってもらわなきゃ。こんなひどい戦争は、もう二度と御免だからね。勝つためにはなんだってしなきゃいけない。


「承知いたしました」


 筆頭参謀は部下たちにテキパキと指示を出し始める。こんな緊急時でも、彼女は相変わらず頼りになった。やっぱり、真に必要な部下はこういうタイプよね。口を開けば攻撃攻撃と叫ぶだけのアホは論外だと思う。


「ッ!!」


 なんてことを考えていたら、また大砲が着弾した。でも、砲弾が落ちたのは運よく誰もいない場所だった。流石のヴァルマも、この闇の中ではしっかり狙いを定めることができないみたい。とはいえ、いつまでもチンタラしていたらいずれ壊滅してしまう。使える戦力をすべて前線に突っ込んじゃったせいで、私の手元に残っている戦力はごくわずかだ。これだけの手勢でヴァルマ・スオラハティに対抗するのは流石に難しい。


「後退準備完了しました!」


 近衛騎士の団長が、ハキハキした声でそう報告した。私は自信たっぷりな表情を顔に張り付け、鷹揚に頷く。……全身土まみれだから、たぶん全然格好ついてないでしょうけどね。


「よろしい。では、これより順次部隊を後退させつつ遅滞戦闘を継続する」


 ヴァルマ隊との戦いの中で、私はいくつか気付いたことがある。その一つが、火器を装備した敵と相対する際は、足を止めるべきではないということだ。同じ場所に居続けると、大砲の猛射撃を喰らって死ぬ。これを避けるには、リースベン軍のように穴倉に籠るか、あるいは相手に照準を定める時間を与えぬよう常に動き続けるしかない。

 あるいは乱戦に持ち込むという方法もあるけど、相手が散兵を主体に戦っている以上それも難しい。なにしろこの夜闇の中では敵を補足するだけでも随分と難儀するからね。えんえんと索敵をしているうちに肝心なタイミングを逃してしまいかねないだろう。……ううーん。夜戦ならば、敵軍の利点をずいぶんと削げると思ってたんだけど。ぜんぜん上手くいかないわ。アルベールの用兵は、新戦術とは思えないほど洗練されている。全く隙がなくて困っちゃうなぁ……。


「慌てるな! こういういくさでは、敵に背中を見せた者から死んでいくぞ」


「とにかく撃って撃って撃ちまくれ、盲撃ちは敵だって似たようなものなんだ、気にすることはない!」


 下士官らが大声を上げつつ部下に檄を飛ばしている。後退戦闘は、容易に潰走に転じてしまう危険な戦術行動だ。いくさ慣れした古兵たちも、流石に緊張しているように見える。

 それでも、兵たちはなんとか戦ってくれていた。弩兵は敵の発砲炎が見える方向に向けてクロスボウを放ち、槍兵らは槍を捨てて剣を構え敵の白兵に備えている。遠間の射撃戦を続けつつ、我々はゆっくりと後退をし始めた。敵の大砲は相変わらず定期的に砲弾を放っているけど、その着弾地点は次第にバラけるようになってくる。

 どうやら、敵はこちらの正確な位置を見失いつつあるっぽいわね。鉄砲と違って、クロスボウは発射時に炎を出さないし音も小さい。こういう局面においては、やや優位性があるのかもしれないわね。私は少しだけほっとした。


「ッ!?」


 その時である、我々の右手からぷおおおんという奇妙な笛の音が聞こえてきたのは。角笛に近い音色だけど、それよりもやや重苦しい。いったいなんの音だ? 首を傾げた瞬間、我々の頭上から矢の雨が降り注いだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] ある日、森の中、エルフに、出逢った(絶望)
[一言] 法螺貝… エルフ…
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