第50話 くっころ男騎士と催涙弾
それから三時間は本当に地獄だった。戦力を後方に下げたため別動隊は問題なく撃退できたものの、そのぶん増した正面の圧力が直接僕たち殿部隊に押しかかってくる。一時間もしないうちに鉄条網直前の第一塹壕線は奪取され、僕たちはジリジリと後退し続けた。
今は何とか、街道の極端に狭くなった場所を利用して遅滞戦闘を行っていた。まともに横隊も組めないほどの狭さだから、敵も大戦力は投入できない。少数で敵を足止めするにはピッタリな地形だ。この辺りの山道には、地形の問題で道幅がやたらと狭い場所が沢山ある。
「キエエエエエエッ!」
叫びながら銃剣を敵兵の腹に突き立てる。血を吐きながら苦悶の声を上げるソイツを蹴り飛ばし、その勢いを利用して後ろに下がる。
「男風情がッ!」
斧を振りかぶった別の敵兵が突っ込んでくる。僕は急いで騎兵銃から手を離し、リボルバーを抜き撃った。ほとんど同時に二発の銃弾が発射され、その兵士の腹と胸に当たる。引き金を引いたまま指で複数回撃鉄を弾くファニングというテクニックだ。
鎖帷子を撃ち抜かれて地面に崩れ落ちる敵兵からすぐに視線を外し、リボルバーをホルスターに戻す。それと同時に突き出されてきた槍の穂先をステップで回避し。騎兵銃を引っ掴んで銃剣で刺突し返した。
「うっ……この!」
なんとかその一撃を籠手で防いだ敵兵だったが、そこへソニアが突っ込んでくる。大上段から振り下ろされた両手剣を回避しきれず、肩口を切り裂かれたその兵士は絶叫しながら転倒した。ソニアはなんの躊躇もなしに首元に切っ先を突き入れ、とどめを刺す。
「助かる……!」
荒くなった息をなんとか堪えつつ、僕は礼を言った。体力的にかなりしんどくなっていた。敵はほぼ全員僕よりフィジカル面で優秀だからな。まともにぶつかり合うのは、本当にしんどい。前世での蓄積がなければとうに死んでただろう。
「副官の職務ですので」
そう答えるソニアの表情は、あくまでクールだ。うーん、フィジカルお化け。全く羨ましいもんだ。
「進め進め! 敵は追い詰められているぞ!」
「ガレアの魔男がそこに居るぞ! 叩きのめして犯しちまえ!」
伯爵軍の方からは物騒な叫び声が聞こえてくる。いや、魔男ってなんだよ。魔女的なアレか? なんだか響きが間抜けだな。しかし、今日だけで何回「犯してやる!」って言われるんだろうな。童貞としては、なんだかなあと思わざるを得ない。
「うちのアル様を犯すだぁ? 出てこいコラ! ぶっ殺してやる!」
「牛女のガバガバの穴なんか、アル様も願い下げだっての!」
敵の罵声に、こちらの騎士も闘志を燃やして対抗する。うん、士気が高いのは結構なことだし、僕に対する誹謗に対して怒ってくれるのも嬉しい。でも牛獣人はアリアリのアリだと思います。胸はデカイしちっちゃいツノも可愛いしな。平和的にアプローチされたら一瞬で堕ちる自信がある。童貞のチョロさをナメるなよ。まあ、今は殺し合うしかない関係なのが悲しいが。
「牛共が……ステーキにされたいようだな……!」
一番怖いのはソニアだな……憎しみの籠った唸り声と共に、敵兵をバッタバッタと切り倒している。まさに豪傑のような戦いぶりで、敵も前に出られなくなっていた。
「無茶はするなよ!」
あくまで今は時間が稼げればそれでいいのだ。敵を倒すのは二の次で良い。僕は部下たちに忠告しつつ、ちらりと懐中時計を確認した。予定通りなら、そろそろ後方の再配置が終わるはず……。
「緑色信号弾確認!」
そこへ、見張りの声が飛び込んできた。僕は思わず「よしっ!」と大声で叫んだ。緑色信号弾は準備完了の合図だ。あとは僕たちが撤退するだけで、敵を殺し間に誘導することが出来る。何しろこの街道は一本道だ。
「撤退準備!」
とはいっても、正面からガンガン敵が来ている状態ではそうそう後退できるものではない。どんな精鋭でも背中を攻撃されたらひとたまりもないからな。そういう訳で、敵の攻撃を一時的に止める必要があった。そのための準備も、もちろんしている。
「煙幕を焚け!」
そう叫ぶと、後方の傭兵たちが大きなタルをいくつも街道に並べ始めた。タルの蓋へ取り付けられた導火線に火をつけ、叫ぶ。
「準備完了!」
「よし、やれ! 総員、撤退開始!」
合図と同時に、タルがこちらに向かって転がってくる。下り坂だから、かなりのスピードだ。そしてそのタルの中からは、猛烈な勢いで白煙が吐き出されていた。街道内はあっという間に一メートル先も見えないような濃密な煙に包まれた。
このタルには、遅燃性の火薬と数種類のスパイスが詰められている。当然、そこから発生する煙は目や鼻の粘膜を刺激する成分がタップリ含まれている。原始的な催涙弾というわけだ。
「なんだこれ! なんだこれ!」
「ウッ、ゲホッ!」
煙をモロに浴びた敵兵たちはさかんに咳き込み始める。催涙弾による攻撃など、この世界ではまず行われることはないだろう。未知の感覚に襲われた彼女たちは、もう戦うどころではなくなっている。
もちろん、催涙弾を喰らったのはこちらも同じだ。僕も顔中涙と鼻水まみれになり、酷い有様になっている。それでも、全く慌てることなく全速力で後退する。仲間たちもそれに続いていた。
なにしろ、僕たち騎士隊は定期的にこの催涙煙幕を浴びる訓練をしていた。涙や鼻水は生理現象だから抑えられないが、冷静に行動することはできる。慣れというのは偉大だな。この手の訓練がいざという時非常に有効であることを教えてくれた前世の教官には感謝感謝だ。
「ウェーッホ!」
しこたま咳き込みつつも、僕たちはなんとか狭い街道を抜けた。涙に歪む視界の先に映るのは、広い台地だ。ここに引いた第二防衛線によって敵の主力を撃滅するのが、僕の建てた作戦の第二段階だった。