第499話 カワウソ選帝侯と決戦の夜(7)
「行け、行け、やれェー!!」
私は威厳も何もないような調子で叫んだ。例の光球兵器に照らされた敵陣では、アレクシア支隊が見事な快進撃を見せている。これまでの不満もすべて忘れ、私は一心に彼女を応援していた。ままならぬことばかりのこの戦争で、やっと思い通りに作戦が進んでいる。こんなに嬉しい事はない。
とはいえ、相手はあのアルベール・ブロンダン。彼がどれほどの難敵なのか、私はこの戦争で嫌というほどわからされている。だからこそ、油断して手を抜くということはしない。アレクシア支隊が突出しないよう支援を出し、さらに他の方向からも同時攻撃を仕掛ける。
その甲斐あって、戦場はすっかりこちら有利に傾いていた。連日にわたって実施した嫌がらせ攻撃の効果が、やっと出てきたみたい。もちろん両翼の後退に関しては、守りを固めるために意識的にやってるんでしょうけど。でも、つまりそれは現有の戦力では陣地を守り切れないと判断したということだからね。朗報には違いない。
「クラルヴァイン大隊より連絡。防衛線の維持は困難、これより後退を開始する。以上です」
拳を握り締める私の元に伝令がやってきて、そんな報告をした。アツくなった心に冷や水をかけられた心地になりつつ、私は後ろを振り返った。前方では優勢に戦いが進む一方、後方のわが軍は厳しい戦いを強いられていた。
アレクシア支隊の攻勢開始に連動するように動き始めたヴァルマ隊は、予想通り我々の本陣めがけて攻撃を仕掛けてきていた。これ自体は予想通りだったため、私はわが軍最精鋭の重装騎兵大隊を中心として編成した守備隊を配置していたわけだけど……流石は北方最強と名高いスオラハティ家の精鋭。兵力ではこちらが上回っているというのに、劣勢は避けられずにいた。
「あれだけ馬防柵やら土塁やらを用意していたのに、この有様か。いや、クラルヴァインを笑う訳にはいかんな。彼女が弱かったのではなく、ヴァルマ・スオラハティが強すぎたのか」
私は本来わが軍の指揮下に居ない酒保商人まで(ほぼ強制的に)動員して、ヴァルマ隊の進撃を阻止するための防御陣地を構築した。けれども、それで稼げた時間は予想の半分以下だったみたい。ため息をつきたい気分を、豆茶と一緒に飲み下す。
「ヴァルマ隊は大砲を装備しています。柵も土塁も、これによって軒並み破壊されてしまったようです」
伝令の報告を裏付けるように、後方から遠来のような音が響いた。ヴァルマ隊の野戦砲の砲声だ。とはいえ、戦場は完全に夜のヴェールに包まれている。いかに夜目の利くカワウソ獣人でも、その大砲がどこにあるのかを見つけることはできなかった。
いや、大砲だけではない。彼我の部隊がどこに居るのかすらよくわからないのが実情だ。光球兵器をさかんに打ち上げているリースベン軍本隊と違って、ヴァルマ隊は松明すら使っていない。本当に敵は大隊規模なのだろうか、そのような不安すら覚える。
……でも、大丈夫だ。昼のうちに、鷲獅子を使ってしっかり偵察している。わが軍の後方にいる敵は、ヴァルマ隊のみ! 確かに苦戦を強いられているのは確かだが、それでも部下たちはよく頑張ってくれている。アレクシア支隊が任務を果たすまでは、きっと持ってくれるだろう。
「騎兵砲とかいう新兵器か。まったく、知らぬうちにガレア軍は随分と変わってしまったな」
ほんとうに嫌になる。どうして敵軍はこれほど強力な兵器を持っているのだろうか? いくらなんでもズルすぎる。戦争が終わったら、なんとかこれらの兵器をウチでも使えるようにしないと。このままでは、時代に取り残されてしまいそう。ああ、でも、我が家我が領地がここで滅んでしまえば、そんな懸念は取り越し苦労になってしまうわけだけど。とにかく今は勝利を拾わないと。
「野戦で使える大砲の出現は、戦場の姿をすっかり変えてしまいそうですな。従来の馬防柵やら土塁やらは、すっかり時代遅れになるでしょう。……ああ、そのための塹壕と鉄条網ですか。なるほど、ブロンダン卿は大砲の方向が自分の方に向けられることも想定しているわけですか。先見の明があるとか、そういうレベルではありませんな」
過ぎ去るものを惜しむような声音で、筆頭参謀が言った。
「貴様、この戦いが終わったら辞表を出そうとか思ってないだろうな。そうはいかんぞ、貴様は私の右腕だ。利き手が勝手にどこかへ行ってしまったら、私は書類にサインをするにも難儀するような体になってしまう」
「無茶をおっしゃる」
まだ隠居には早いでしょうに。そんな気持ちを込めてそう言ってやると、筆頭参謀は嬉しそうに笑いながら肩をすくめた。あの年寄りのイルメンガルド・フォン・ミュリンだって頑張ってるんだから、まだ五十にもなってないアンタがへこたれちゃダメでしょ。
……いやまあ、そのイルメンガルドの婆さんもブロンダン卿にやられちゃったわけだけど。命はなんとか拾ったという話だけれど、大丈夫かしら? 戦いが終わったら、何か理由をつけて顔を見に行ってみようか。別に友達という訳でもないけど、まあブロンダン卿被害者の会って感じで。
「報告です!」
そこへ、血相を変えた兵士が飛び込んできた。どこかの部隊から来た伝令……ではない。指揮本部付きの見張り兵だ。
「北西で、何かが燃えているのが見えました! 距離はおおよそ五キロといったところと思われます」
「……何?」
北西……北西? 私は慌てて卓上ランプをひっつかみ、指揮卓の戦況図を照らして見せた。五キロ北西というと……ヴァルマ隊が迂回してきたときに備え、予備の防衛線を弾いておいたあたりだ。馬車を鎖で連結して作った簡易防壁を作り、傭兵に守らせている。……つまり、その馬車防壁が燃えてる……ってコト!?
「ワ……アッ!」
無意識に喉から妙な声が出た。エルフ、エルフだ。火計といえばエルフしかいない。なんの確証もないが、私はそう直感していた。あの野蛮極まりない悪逆非道の蛮族どもが、なぜそんなところに! あの連中は、リッペ市内で市民反乱に忙殺されているはずでは……。
……いや、いや! 焦るな、落ち着きなさいツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン! これは、火=エルフというイメージを悪用したブロンダン卿の詐術かもしれない。少数の部隊をこちらの陣地に浸透させ、火を放つ。こちらがエルフ隊の位置を誤認し、部隊を下げれば儲けもの……そんな苦し紛れの作戦である可能性も十分にある。私は自分を律するため、深呼吸を繰り返した。
「急いで斥候隊を出せ! 可及的速やかに敵の規模と兵科を……」
「報告! 報告です!」
命令を出そうとする私のもとに、馬の蹄の音と共にそんな声が聞こえてきた。声の調子が尋常ではない。胃が死神の手で握りつぶされたような心地になりながら。私は唾を何度も飲み下した。震える手で豆茶のカップを掴み、中身をすべて飲む。ああ、駄目。吐きそう。
そうこうしているうちに、やっと伝令が指揮本部へと入ってくる。先ほど報告を受けたクラルヴァイン大隊からの伝令がアッと小さく声を上げた。どうやら、顔見知りのようだった。落ち着いた様子だった最初の伝令と違い、こちらは顔中汗びっしょりのひどい顔をしている。
「クラルヴァイン大隊、大隊長以下幕僚全員が戦死なされました! 大隊は現在潰走中!」
「……は?」
さっき後退戦闘を始めたばかりの大隊が、もう壊乱? 耳を疑うような報告だ。
「……いったい何があった?」
「ひ、飛来した巨大なカマキリが、何もかも薙ぎ払っていきました。……本当です! 本当なんです! この目で確かに見ました!」
参謀らの胡乱な目つきを見て、伝令が弁明する。錯乱でもしてるのか、コイツ。そう思ってしまったけれど、ふと気づいた。巨大カマキリ。そういえば、事情を聴取したミュリン軍の逃亡兵がそんなことを言っていたような気がする。よくある戦場の伝説かと思っていたけれど、まさか実在の存在だったとでもいう訳……?
「んぎ」
私は気付いてしまった。もし、その巨大カマキリとやらが、リースベン軍の戦力だったのなら? ブロンダン卿の意図は明白だ。こちらの戦力を前線に貼り付けにしつつ、後方に配置した強力な部隊で私の斬首を狙う。そういう作戦に違いあるまい。
いや、いや。そもそもその作戦自体は最初から承知していたのだ。ヴァルマ隊は明らかにこちらの本陣を一直線に強襲するつもりでいる。計算外なのは、敵の戦力。巨大カマキリが幻でないのなら、おそらくエルフも欺瞞などではない。どういう手品を使ったのかは知らないけど、とにかくブロンダン卿はエルフ隊をこっそりこちらの包囲網から脱出させておいたのだ。この私の首を確実に獲る、ただそれだけのために。
「……」
どうする、どうする! 後方の敵が予想外に多すぎる。現状手元にある戦力で撃退するのはまず不可能だ。前線の部隊をいったん退かせる? ……もう遅い! アレクシア支隊はすっかり敵陣の奥深くに食い込んでしまっている。今さら撤退命令なんか出したら、逆襲を受けてあのクソ先帝陛下がボコボコにされてしまう!
「……本陣の防衛戦力を除く全軍に通達を出せ!」
私は決断をした。生半可な戦い方では、あのブロンダン卿は絶対に倒せない。"負けないための戦い"などを展開した日には、あっというまに状況の主導権を奪われボコボコにされてしまうだろう。ならば、私は勝つための戦いを貫くのみ!
「リースベン軍の本陣に向け、全力で攻撃をかけろ! 後ろは振り返るな! ただただ前進、ただただ攻撃あるのみ!」
これは、私の首が落ちるのが早いかブロンダン卿の首が落ちるのが早いかのレースだ。いいでしょう、やってやろうじゃないの! 私はエムズハーフェン選帝侯、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンなのよ! 田舎の男城伯なぞに負けてやるわけにはいかないわ!!




