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第496話 カワウソ選帝侯と決戦の夜(4)

 先代神聖皇帝、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン陛下は速やかに御出陣なされた。その様子を見ていた私は、なんとも落ち着かない心地にになってしまう。まったく、なんという戦場だろうか。敵を率いているのは神算鬼謀で成り上がってきた宮廷騎士出身の男。そして対するこちらは、本来一番後ろでふんぞり返っていなければならない立場の女が喜び勇んで一番槍を務めている。何もかもがあべこべだ。胃だけではなく頭まで痛くなってくる。


「ふー……」


 ため息ともつかない息を吐きながら、私は望遠鏡を目に当てた。我らが父なるモルダー川の川面にはすでにいくつもの軍船が浮かんでおり、弩砲(バリスタ)による支援射撃を始めている。クロスボウをそのまま大型化したこの兵器は大砲や鉄砲ほどの大音響は立てないが、それでもその独特な弓鳴りの音がこの指揮本部にも聞こえてきていた。

 軍船が放つ鋼の矢弾(ボルト)が、まるで嵐のように敵の左翼に降り注いでいる。一方、リースベン軍はそれに満足な反撃ができていなかった。頼みの綱の大砲はいまだに正面のわが軍に向けて猛射撃を続けており、その砲口を船団に向ける余裕などはない。

 仕方がなくクロスボウを打ち返すわけだが、歩兵用のクロスボウと設置型の弩砲(バリスタ)では射程も威力も違いすぎる。戦いは一方的だった。結局、リースベン兵は姿勢を低くして塹壕に籠る以外のことはできなくなってしまっていた。


「流石にこれは胸がスッとするわね……」


 思わずそんな言葉が口から漏れた。素の言葉遣いが出てしまい、思わずちょっと赤面してしまう。筆頭参謀はそんな私を見て薄く笑い、「同感です」と頷いた。


「リースベン軍にはこれまでさんざん苦労させられました。しかし、それも今夜でお終いです」


 本当にそうだよ。私の胃腸の健康のためにも、こんなクソ案件はさっさと終わらせたい。筆頭参謀に頷き返し、私は気合を入れなおした。


「下ごしらえはこれで十分。さぁて、先帝陛下のお手並み拝見と行こうか」


 射撃の後には白兵を仕掛けるべし、これは戦術の常識だ。実際、協力無比な軍船による射撃も、塹壕にこもった敵にはせいぜい釘付けにする程度の効果しかない。トドメを刺すためには歩兵や騎兵による攻撃が不可欠だった。

 そのトドメ役を担うのが、アレクシアの部隊だ。いや、まあ、兵士の大半はわが軍の所属だけどね。なにしろあのボケ女は百人ばかりの手勢しか連れてきていない。いくら精鋭とはいってもこれでは明らかに不足だ。仕方がないので、私の部下の指揮権を貸してやっている。

 本音を言えばあのような女に私の大切な部下を貸したくはなかったのだが、一番槍をアレクシアの手勢にやらせるという条件で認めることにした。敵陣突破に伴う損害は尋常なものじゃないからね。こんな戦争でこれ以上部下を失いたくはない。矢面にはあの女に立ってもらう。


「始まりましたな」


 騎馬部隊の一団が敵左翼に接近する。アレクシア支隊だ。これを見た敵陣地は、しきりに例の光球兵器を打ち上げ始めた。その白々しい明かりに照らされ、全身甲冑を纏った勇壮な騎兵たちの姿が夜闇にボンヤリと浮かび上がる。

 アレクシア支隊は騎馬のままある程度塹壕線へと接近した。とはいえ、そのまま突撃を仕掛けるような真似はしない。塹壕線まで五百メートルというところまで近寄ってから、アレクシアは部下全員を下馬させた。さすがのアレクシアも、塹壕や鉄条網を相手に騎馬突撃を仕掛けるような蛮勇は持ち合わせていないようだった。

 騎士らは愛馬を従者に預け、陣形を組み始める。中隊ごとにひと固まりになった、いわゆる魚鱗の陣だ。約束通り先頭はアレクシア率いるクロウン傭兵団とやらで、その後方にはわが軍の下馬重装騎兵一個大隊(わが軍の場合一個大隊は三個中隊だ)が続く。総勢五百名、これがアレクシア支隊の全戦力だ。


「……」


 私は無言で望遠鏡を握り締めた。アレクシアは気に入らないが、この攻撃の成否に我が領の運命がかかっているのも事実だった。心の中で、極星に彼女らの武運を祈る。アレクシア支隊のラッパ手が前進の音色を奏で始めた。騎士らは一糸乱れぬ動きでリースベン軍の塹壕線へと迫る。

 もちろん、即座に敵の迎撃が始まった。塹壕から放たれた矢の雨がアレクシア支隊に襲い掛かる。だが、騎士らは歩みを止めない。なにしろ精鋭の騎士たちだ、全身に魔装甲冑(エンチャントアーマー)を纏っている。いかに強力なクロスボウでも、この装甲を貫通するのは困難だ。矢の直撃を受けた騎士は少なくなかったが、彼女らは平気な様子で前に進み続ける。


「大砲さえなければ……魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んだ騎士は無敵だ」


 アレクシアによれば、魔装甲冑(エンチャントアーマー)はライフルの直撃にも耐えるらしい。ブロンダン卿の新兵器は厄介極まりないが、やはり騎士はいまだに戦場において最強の存在なのだ。彼女らの力があれば……リースベン軍にも勝てる!

 問題は大砲だ。流石の魔装甲冑(エンチャントアーマー)もこれは防げない。アレクシアの方へ敵砲兵隊の矛先が向かう事態は絶対に避けねばならなかった。私は正面の部隊に命令を出し、予備戦力をも投入して敵中央への圧力を強めた。砲兵隊を釘付けにするためだ。ひどい損害はでるだろうが、必要な出費をケチると負けるというのは商売も戦争も同じだ。我慢する。


「せめて投資したぶんは回収してちょうだいよ……!」


 祈るような心地で、私は左翼の戦況を中止した。騎士らは矢玉の雨にも負けずに前進を続け、鉄条網の壁の前へとたどり着く。だが、ここからが本番だ。有刺鉄線を守るべく、塹壕の中から敵の重装歩兵が槍を突き出してくる。当然、騎士隊も同じように槍で対抗した。


「ここまでは、今まで通りだが……」


 この鉄条網を挟んだ槍合戦は、今回の戦いにおいては飽きるほどに見た光景だ。ブロンダン卿の手勢だというあのアリ虫人の重装歩兵は士気も練度も驚くほど高く、騎士が相手でも一歩も引かない戦いぶりを見せる。この防御陣を打ち破り、鉄条網を突破するのは至難の技だった。だが、こちらもやられるばかりではない。アリ虫人どもの強力な密集陣を突破するための方策はすでに用意してあった。


「来たな」


 後方から、丸太を抱えた騎士の一団が現れる。騎士十名ほどが集まってなんとか抱えられるような、大ぶりな丸太だ。騎士らはそれを肩に担いだまま、鉄条網に向かって突撃していく。慌てて敵の弩兵が迎撃を始めたが、騎士らは怯みはしなかった。甲冑で矢玉を弾きながら進撃を続ける。

 いくら魔装甲冑(エンチャントアーマー)の防御力が高いとはいえ、決して前進が防護されているわけではない。装甲の隙間に矢が突き刺さり、倒れる騎士もいた。だが、近くに居た騎士が即座に丸太を肩代わりする。意地でも前進を止めない構えだ。流石は皇帝家お抱えの騎士、尋常ではない胆力ね。

 やがて丸太はすさまじい勢いで鉄条網にぶつかり、地面に深々と突き刺さった杭をなぎ倒した。我が方の部隊から歓声が上がる。やっと鉄壁の防御陣地に穴が開いたのだ。私も無意識に拳を握り込んでいた。

 そう、これは破城槌だ。本来ならば台車に乗せて運用するものだけど、なにしろこの辺りの地面はリッペ市守備隊によって掘り返されている。一般的な破城槌を投入しても、車輪が土に埋もれて擱座してしまうだろう。だが、相手は強固な城壁などではなく単に杭に針金を巻き付けただけの簡素な構造物だ。抱えた丸太をそのままぶつけるだけでも十分に効果はある。


「やった……!」


 鉄条網の一角が崩れた。騎士らはそのまま丸太を手放し、倒れた有刺鉄線の上に"橋"を作る。アリンコ重装歩兵らがその穴をふさぐように槍衾を作ったが、そこへ両手剣や斧槍(ハルバード)などを持った騎士たちが突撃を仕掛けた。凄惨な白兵戦が始まる。

 アリ虫人共の密集陣は相変わらず堅牢だったが、鉄条網がないぶんこちらも戦いやすい。アレクシアはどんどんと後詰めの部隊も投入し、敵に対する圧力を強めていった。よく見れば、その先頭に立っているのはアレクシア本人だ。見事な剣捌きでアリ虫人兵に襲い掛かり、その槍衾を崩す一助になっている。


「うわあ」


 自分の立場を分かっているんだろうか、あの女。陣頭指揮だけでも頭がおかしいのに、さらに前に出て戦い始めちゃったよ。なんなのアイツ……。呆れた心地になるが、アレクシアは自ら敵兵と剣を交えつつもキチンと部下を統率しているようだった。見事に敵の前列を打ち破り、塹壕の中への侵入に成功する。それとほぼ同時に、二本目の簡易破城槌がまた鉄条網に穴をあけた。新たな攻撃ルートにわが軍の騎士たちが殺到する。

 ……うううーん。あの女、認めたくないけど前線指揮官としてはすこぶる有能なのかもしれない。真似はしたくないけど。絶対に真似はしたくないけど。なんなんだろうなぁ、本当。はぁ。まあ、状況が状況だ。応援しないという選択肢はない。

 私は伝令に命じて、正面の攻撃に当たっていた部隊の一部にもアレクシア支隊を援護させることにした。騎馬弩兵(騎乗しながらクロスボウで射撃するわけではない。あくまで移動に馬を使うだけの兵科だ)を中心にした部隊を左翼に急行させ、支援射撃を加える。もちろん、我が船団も弩砲(バリスタ)の射撃を継続していた。さしものリースベン軍もこれには怯んだらしく、徐々に後退を始める。ここに至り、わが軍はやっとリースベン軍に対して火力優勢を取ることができたのだ。

 ああ、しかしあの光球兵器も悪くはないな。アレのおかげで、夜戦でも戦場全体を見渡しながら指揮をすることができる。月明りだけでは、こうはいかなかった。五里霧中の中、手探りで戦わなくてはならなくなっていただろう。


「よし、このまま……」


 私が新たな命令を下そうとしたその瞬間だった。ひどく慌てた様子の伝令が指揮本部に走り込んでくる。


「報告! 後方のヴァルマ隊が前進を開始しました! こちらの背後に攻撃を仕掛けてくるものと思われます!」


「ん、やっと仕掛けて来たか」


 落ち着き払った口調で、私はそう答えた。このタイミングでヴァルマ隊が仕掛けてくるのは当然予想していたからね。当然ながら、迎撃の準備は整えている。彼女の反撃をしのぎ切り、アレクシアによる突撃が成功すれば……こちらの勝ちだ!


「さて、いよいよ正念場ね」


 私は自分の頬をパチンと叩いて気合を入れた。この厄介な胃痛ともこれでオサラバよ。さぁて、気合を入れて戦いましょ!

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