第495話 カワウソ選帝侯と決戦の夜(3)
私、ツェツィーリエ・フォン・エムズハーフェンは固唾をのんで戦況を見守っていた。現在、我々は小さな丘の上に設けた指揮本部で指揮を執っている。リッペ市の直前では苛烈という表現ですら不足に感じるような激戦が繰り広げられていた。
リッペ市の周辺に築かれた塹壕線に攻撃を仕掛けるわが軍の兵士が、月光とリースベン軍の打ち上げる謎の光球によってボンヤリと照らし出されていた。目をそむけたくなるような悲惨な光景だった。遠来のような砲声が聞こえるたびに、わが軍の隊列が吹き飛び大勢の兵士が命を落とす。赤黒く染まった大地はまさにこの世の地獄だった。
「あの砲撃の被害を減らすには、可能な限り縦隊のまま敵陣に肉薄するしかなさそうですな。横隊でゆっくり前進していたら、白兵距離にたどり着く前に全滅してしまう」
「しかし、結局のところ最後には横隊にせねば戦えぬわけですが……さきほどから、陣形変更の隙を突かれて大きな被害を受けています。あの大砲とやらを指向された状態で陣形を変えるのは自殺行為では」
「縦隊にしろ横隊にしろ、兵士が密集している限りは大きな被害が出てしまいますな。理想を言えば散兵のみで当たるのがただしいのでしょうが、現実的ではありませんし」
参謀どもが雁首を突き合わせ、そんな話をしている。どいつもこいつも、ひどい顔色をしていた。決戦を始めてまだそれほどの時間はたっていないというのに、我々が受けた損害はすでに許容しかねるレベルに達しつつあった。前線からは、撤退許可を求める伝令がひっきりなしに送られてきている。
敵の防御陣地は恐ろしく堅牢だった。前衛があの有刺鉄線とやらに阻まれてモタモタしているうちに、大砲や弩兵の射撃が後列を襲う。そうして後ろの味方が壊滅してしまったことに気を取られた前衛は、敵の槍兵に貫かれて死ぬ。どうしようもない。
本来ならばこのようなことにならないための夜襲なわけだけど、上手くいっていなかった。リースベン軍が使う謎の光球兵器のせいだ。あれが滞空しているうちは、周囲一帯が照らし出されてしまう。流石に昼間ほど明るくなるわけではないけれど、少なくとも夜闇に紛れて奇襲などという真似はまず不可能だった。大砲やライフルもおかしいんだけど、あの光球もなんかおかしいよ! なんなのアレ! ズルくない!?
ズルいといえば、リースベン軍の使っている砲弾もズルい。私の知る限り大砲というのは鉄や石でできた球を飛ばす兵器だと思うのだけれど、リースベン軍は爆弾を砲弾として使っているみたい。おかげで、砲弾を直撃させなくても兵士を殺傷することができる。いくらなんでもズルすぎる。本当になんなのアレは? どういう仕組み?
「……」
ため息を吐く気力すら萎え、私は無言で前線を睨みつけた。辛い。キツイ。胃が痛い。唯一の好材料は、家臣どものうるさい主張を聞かずに済むという点だけだった。徹底攻撃を唱えるような連中は軒並み前線に飛ばしている。大きな口を叩くならそれなりの勇気を見せてみろ。そう命令してやったのだった。
いい気味だと思う一方、私の頭の中の最も冷静な部分は、「あんな奴らでも家臣は家臣だ。大勢死んだりすると戦後が厄介だ」などと訴えている。じゃあどうしろって言うのよあんなアホ共を傍においていたら私の胃が死んじゃうわよ! 私は自分に対してキレそうになっていた。
「……そろそろ、か」
耐えきれなくなって、私は懐中時計を確認した。そして、安堵したような気分になる。
「水軍が動き出す頃合いだ。やっと反撃に移ることができるな」
私はこの作戦に水軍も投入することにしていた。あの水中爆弾は怖いが、もはや四の五の言っていられる状態じゃない。とはいえ流石に港への強行上陸は危険なので、川の方から援護射撃をさせる予定だった。軍船に乗せている弩砲はリースベン軍の大砲ほどの破壊力はないけれど、それでもないよりははるかにマシだ。
「では、騎兵隊に攻撃命令……いえ、依頼を出しますか」
「ああ。予定通り敵の左翼に突撃を仕掛ける。先帝陛下にご連絡しろ」
もちろん、この船団からの攻撃に連動して地上でも新たな攻勢に出る手はずになっている。むしろ、作戦的にはこちらが本命だ。現在行われている攻勢は、あくまで敵主力を拘束するための陽動攻撃に過ぎない。まあ、あのブロンダン卿のことだからこっちの二段攻撃作戦なんか見切ってるでしょうけどね。それでも、やらないよりは遥かにマシ。
問題は、この本命攻撃を指揮する将があのアレクシア先帝陛下だということ……なのよね。もちろん、これは本人たっての希望によるものだった。あー。胃が痛い。なんでアンタみたいなお偉方が前に出ようとしてんのよ、頭おかしいの? いや、疑問符を付ける必要もなくおかしいわ。
いや、まあ、作戦的にはそれなりに合理的だったから、採用するほかなかったけどね。アレクシア本人はまあアレにしても、部下は優秀だし。槍の穂先は出来るだけ鋭い方がいい。あの優秀な騎士たちが先鋒を務めてくれるというのなら、確かにありがたかった。家臣らの前では言えないけど、そりゃあもちろんカワウソ獣人騎士よりも獅子獣人騎士のほうが陸戦では強いわけだし。
「はぁ、まったく」
アレクシアのアホに伝令を向かわせたあと、私はため息をついた。あのウスラトンカチは前線に出るけど、私はこのまま指揮本部に残るつもりだった。いや、本当は私も前に出るべきなんだろうけど、戦場の最上位者二名が前線入りしちゃったら、一体だれが全体の指揮を取るの? って感じだし。これは仕方ない。私の気分的にもあんなのとは轡を並べたくないし。
それに、相変わらず我々の背後にいるヴァルマ隊への対処もある。あの連中は今のところ大人しくしているけど、たぶんこちららが本腰を入れて攻勢に入ったら、その隙を狙って攻撃を仕掛けてくるハズ。放置はできない。
もちろん、我々としてもヴァルマ隊への対策は打っている。馬防柵やらなにやらで防備を固め、攻撃を跳ね返す準備を整えていた。まず前方の攻勢を成功させねばならない都合上こちらへ置いた兵力は最低限だけど、防御に徹すればなんとかなるはず。装備や練度は最強クラスと言っても、所詮は大隊規模の部隊だもの。やりようはある。
「筆頭参謀。あなた、この盤面を見てどう思う?」
それでも心配になって、私は一人の参謀にそう聞いた。この中年のカワウソ獣人は私の母にも仕えていた古参で、優れた戦術眼を持っている。わが軍に蔓延する攻撃主義にも染まっておらず、冷静で堅実な献策を持ち味としていた。
「十分、勝ちに行ける布陣かと。確かにリースベン軍の戦闘力は尋常ではありませんが、それでも多勢に無勢です。相手の切り札を捨て札で相殺していけば、リソースの差でわが軍が勝利いたします」
「……うむ、同感だ」
市民らを蹶起させ、エルフ隊にぶつけるというのもこの筆頭参謀と相談して考案した策だった。正直かなり嫌な作戦だったけど、負けるよりは遥かにマシと思って飲み込んだ。いまごろ、リッペ市内はこちらの前線以上に悲惨なことになっているだろう。まともな訓練も受けていない市民が、あの悪辣で凶悪なエルフどもに戦いを挑んだらどうなるか……考えるまでもない、虐殺だ。ああ、うう、オエッ。吐きそう。血反吐吐きそう。お腹痛い。ごめんね。本当にごめんね。うぐぐぐ……。
「あのような強敵を相手に、勝ち方などは選んではいられますまい。戦後の悪評はすべてこの老骨が引き受けますゆえ、ご安心召されよ」
「責任者は責任を取るのが仕事なのよ」
怨嗟を吐き出すような声で、私はそう答えた。まぁ、最低限の仕事はこなさなくちゃね。なぜなら私は選帝侯だから。はぁ……。でも、それはそれとしてこのクソ理不尽には文句の一つや二つは付けたいところだった。あの腐れ先帝め、私が地獄へ落ちる時にはあいつも道連れにしてやる。
ああ、しかし、何はともあれここまでやったのだから勝ちたい。作戦をたて、命令は下した。すでに歳は投げられているのだ。私は祈るような気持ちで懐中時計の文字盤を睨みつけた。極星よ、どうか我が民、我が将兵にご加護を賜りますようお願いいたします。




