第493話 くっころ男騎士と決戦の夜(1)
昼の間ずっと、敵軍は潮が引くように攻撃を停止していた。しかし、大きな引き波の後にはこれまた大きな寄せ波がやってくるというのが道理というもの。予想通り、太陽が沈むのとほぼ同時に再び攻勢が始まった。
西の空に微かに残った残光に照らされたエムズハーフェン軍の部隊は影の軍団のように不気味だった。彼女らは暗闇の中でも整然と行進し、突撃隊形を組み始める。決戦の夜が始まりつつあった。
「流石にこれだけ暗くなると敵情が分かりにくいな」
指揮卓の上の地図を見ながら、僕は小さく唸った。地図には相変わらず彼我の部隊を表した駒が乗っているが、日暮れに伴い索敵が難しくなってきたため、敵部隊の位置は実際のところほとんど不明になっていた。まあ、場合によっては味方部隊の位置ですらしばしばロストしてしまうのが実戦というものだが。現実の戦場はいつだってクソゲーだ。
「最後の航空偵察によれば、敵軍はこれまで予備隊として後方に置いていた歩兵連隊も前進させるような動きを見せていました。それからすでにしばらくたっておりますから……我々は現在、今まで以上の重包囲下に置かれているものと推察されます」
資料を片手に、ソニアが地図上の駒をいじった。
「とはいえ、そのさらに後方にはヴァルマ隊が控えておりますから。我が妹の攻撃に備えるため、エムズハーフェン選帝侯もある程度の戦力は本陣に置かざるを得ないでしょう」
「後方を有力な騎兵部隊に脅かされたまま、前方の敵を叩かねばならない。選帝侯閣下としてもなかなか厳しい盤面だな」
まあ、だからといって我々の方が有利という訳でもないのだが。しかしこのヴァルマの援軍により、エムズハーフェン選帝侯は辛い二択を迫られることになった。ヴァルマを先に潰すか、我々を先に潰すかという選択だ。
前者を選んだ場合、選帝侯は予備である歩兵連隊をヴァルマの撃破のために投入せざるを得ないだろう。こうなれば、ヴァルマはなかなか大変だろうがこちら側はずいぶんと戦いやすくなる。予備隊がいなくなれば、こちらに振り向けられる兵力は二千名未満。見た目上の兵力は向こうの方が優位だが、敵軍はこちらを包囲している都合上部隊を扇状に布陣させている。部隊を集中させて一斉攻撃を仕掛ければ、局所的な兵力優位は十分に確保できるだろう。そうなれば攻守交代だ。
しかし選帝侯はその選択肢を選ばず、先に我々を討つ方を選んだ。おそらく、ヴァルマの方には最低限の足止め用兵力だけを置き、残る全軍を持ってこちらに総攻撃をかける算段だと思われる。まあこちらはこちらで賭けの要素はあるのだが、それでも前者よりは危険性の少ない作戦だろう。敵から見てベターな選択肢はこちらだ。
「チンタラしていたらヴァルマに尻を蹴られてしまう。ここからの展開は早いぞ」
僕の予想通り、敵軍来襲の報告が来たのはそれからすぐであった。エムズハーフェン軍は甲冑を纏った重装歩兵(おそらくは下馬騎士だろう)を先頭に、その両脇を弩兵で固めた楔形陣形で我々の陣地正面へと攻撃を仕掛けてきた。
迎え撃つわが軍は上空へ照明弾を打ち上げ、即席弩兵隊の弾幕射撃にてそれを迎え撃つ。これまでの戦闘では照明弾も矢玉も節約気味に使っていたが、ここからは出し惜しみ無しの全力投入だ。敵軍が明らかに決戦を志向している以上、こちらも腹を決めねば撃ち負ける。
「敵はひとまず中央に狙いを定めたか」
通信兵が逐一上げてくる報告を聞いて、僕はそう判断した。敵軍はこちらの中央に例の重装歩兵部隊による攻撃を仕掛ける一方、左右の翼にもある程度の部隊を突っ込ませている。しかしそちらで確認されている敵兵はほとんどが甲冑を纏っていない一般歩兵や猟兵などであり、二線級の部隊であるのは間違いない様子だった。
敵の攻撃正面は中央であり、両翼への攻撃は牽制。そう判断できる状況だ。中央への圧力は刻一刻と高まっている。両軍は鉄条網を挟んで対峙しつつ、熾烈な戦闘が繰り広げていた。武具同士がぶつかる音や兵士の悲鳴などが、この指揮本部にまで届くほどの激戦だ。
「耐えるだけならばまだまだ持久はできますが、敵にもまだ余力があります。万が一中央突破を許してしまった場合、敵は一直線にこの指揮本部を突くことができます。念のため、中央の守りをさらに固めておいた方が良いやもしれませんね」
参謀の一人がそんな献策をしてきた。たしかに、万が一にも中央突破は許すわけにはいかない。そんな事態になれば逆襲どころか一方的な敗北を喫する羽目になる。しかし……
「いや、おそらく中央の部隊は陽動だ。本命は迂回攻撃だろう。中央ばかりに注力するのはマズい」
当然だが、中央はもっとも守りが堅い場所だ。容易に突破できないことは、選帝侯とて承知しているはず。背後をヴァルマ隊に脅かされている以上選帝侯にもそれなりの焦りはあるはずだが、だからこそ雑な力攻めによる突破などを狙うとは思い難い。敵は凡庸な将などではなく、かなり頭の回るタイプだと思われる。この手の将は少々追い詰めたところで判断を誤ったりはせず、むしろ鋭い手を打ち返してくる傾向が強いからな。
「敵の手元には水上戦力がある。あの選帝侯閣下がそれを遊ばせておくはずがない。左翼や右翼ならば、川辺に船を並べれば弩砲による支援射撃が可能だ……」
大砲に比べれば格落ち感が否めない弩砲だが、それでも総鉄製の槍を五百メートル以上飛ばせるのだから十二分に脅威だ。もちろん直撃を受ければ防御力に優れたアリンコ重装兵ですら即死は免れないだろう。無論その分連射性には難があるが、それは弩砲そのものの数を増やすことで解決できる。
「……まあ、こちらとしてはそれも織り込み済みで作戦を立てているわけだが。問題は、将兵の疲労の具合だな」
敵軍の昼夜を問わぬ嫌がらせ攻撃により、こちらはずいぶん疲弊してしまっている。ローテーションを組むことである程度の休憩時間は確保していたが、それでも万全とは言い難いだろう。僕自身ですら、いささか寝不足気味だった。砂糖をタップリいれた豆茶をガブ飲みして誤魔化してはいるが、それだって限界はある。頭がボンヤリしてポカをしでかすのではないか、という不安はぬぐえない。
「睡眠妨害に悩むのは今日でお終いだ。そう思えば、兵らもやる気が出るでしょう。きっと大丈夫です」
しっかりとした声音でそう答えたのはソニアだった。精神論じみた発言だが、彼女は暇を見つけては前線の視察に出ていたからな。現場の将兵の様子については僕以上に詳しい。そのソニアが大丈夫だというのなら、十分に安心できる。
「なら、問題はないな。ひとまずは現状維持でいく。しかし、中央が苦しくなってきているのも事実。そろそろ山砲隊に活躍してもらうことにしようか」
僕は待機させてあった山砲隊に中央の部隊を支援するように命令を出した。すると、前線で大量の照明弾が打ちあがる。標的を確認するため、視界を確保しようとしているのだ。山砲隊の射撃が始まったのはその数分後のことだった。耳をつんざくような砲声が響き、少し遅れて雷鳴のような着弾音が聞こえてくる。前線でワッと歓声が上がった。
「夜戦ともなれば、敵は昼戦以上の密集陣を組んでいるはず。小口径榴弾でも、効果は甚大でしょうね」
他人事のような口調でソニアが言った。実際、この世界では夜戦では兵同士を密集させるべし、というのが一般的なセオリーだった。兵士がはぐれたり逃げ出したりするのを防ぐためだ。自ら望んで死地に飛び込みたい者はそうそういない。兵士たちは夜闇に紛れ、出来るだけ危険から逃れようとする。それを防ぐための密集陣だ。
もっとも、山砲隊から見ればそれはカモネギ以外の何者でもない。照明弾によって照らし出された敵の横隊戦列に向け、山砲隊は榴弾や榴散弾などを撃ちまくる。指揮本部の中からは前線の様子は直接目視はできないが、聞こえてくる悲鳴などから考えるに敵部隊はそうとう悲惨な目にあっているようだった。敵ながら可哀想だが、これも戦争。手加減はできない。
「前線指揮所より報告。砲撃の効果は甚大なり。支援射撃の継続を望む。以上です」
「たいへん結構。山砲隊には好きなだけ撃ちまくれと伝えておけ」
これまでさんざん節約志向で戦ってきたのだ。そろそろ大盤振る舞いをしても許されるだろう。連続する砲声に、僕はご満悦だった。やっぱり戦争はこうでなくては。砲弾をケチらねばならないことほどストレスになるものはない。
「エルフ隊より緊急連絡!」
そんな僕の耳に、通信兵の緊迫した声が飛び込んできた。
「リッペ市中心部に、市民の大群が集まりつつあるようです。蹶起が始まったと、フェザリア様はおっしゃっております」
「来たか」
いやな報告だったが、僕は表情を変えずに頷いた。敵軍の攻撃と市民反乱は必ず連動する、そんなことは最初からわかっていたことだ。今さら焦ったりはしない。
「よろしい、エルフ隊に退却命令を出せ。リッペ市は放棄する!」
もちろん、対策も打ってある。市民反乱などには、まともに付き合っていられない。エルフ隊であれば完全に抑えられるような気はするが、鎮圧にはそれなりに時間がかかるだろう。切り札であるエルフ隊の時間をそんなことで浪費していては勝てる戦も勝てなくなる。ならばいっそ、リッペ市などは捨ててしまった方がマシだ。僕は別に、この街を恒久的に支配する気はないわけだしな。
……エムズハーフェン選帝侯は、市民に大きな被害が出ることを承知したうえで反乱を起こさせた。つまり、そうまでしてでもエルフ隊を足止めしたかったということだ。しかし、そんな策に付き合う必要はない。切り札を防御のために切るのは僕の趣味ではなかった。
それに、リッペ市放棄にはもう一つの大きなメリットがある。リッペ市内からエルフ隊が撤退しても、そのことを選帝侯が把握するのはしばらく後だという部分だ。何しろ市内と市外は防壁と川によって物理的に遮断されている。モルダー川を制圧されている以上いずれ市内の状況は外部に露見するが、ある程度の妨害工作をすれば情報伝達にはかなりのタイムラグが出るだろう。このギャップを生かし、選帝侯の肝をつぶすのが僕の目標だった。




