第491話 カワウソ選帝侯の苦悩(3)
敵救援軍接近す。その報告はたいへんにショッキングなものであったが、とにかく詳細を確認する必要があった。わが軍の別動隊(とはいっても、数的にはあちらの方が多いが)はアリオン峠と呼ばれる場所で敵軍の主力と対峙していた。このアリオン峠戦線ではわが軍は劣勢に立たされているのだが、それでもいまだに敗戦の報は入ってきていない。
つまり、敵軍主力はいまだに拘束状態にあると見て間違いないだろう。救援軍と言っても、出せる戦力には限りがあるはず。私のその考えは、幸いにも的中していた。救援に現れた敵部隊は、スオラハティ軍の騎兵が一個大隊のみだったのだ。噂に聞くヴァルマ・スオラハティの手勢だろう。私はひとまず安堵のため息をついた。
「スオラハティ軍が単独で救援に現れたわけか。噂の通り、ブロンダン卿はスオラハティ辺境伯からの寵愛を受けているらしい」
ホッとした様子で、家臣の一人がそう言った。敵軍の本隊は九千ちかい大兵力だ。これがそのまま出てきたら、三千にも満たぬ我々の兵力では勝ち目がない。いかに果敢に過ぎる傾向のある我が部下たちでも、どうやらその程度の算術はできるらしい。
「しかし、一個大隊程度の油断するのはお勧めしかねるぞ。スオラハティ軍はリースベンに先立って火器を大量に装備した先進的な軍隊だ。一般的な歩兵部隊に換算すれば、一個連隊レベルの戦闘力があると見て間違いなかろう」
偉そうな口調でそんなことを言うのは、敵救援軍接近の報を受けて指揮本部へやってきたアレクシアだった。言っていることは私も同感だったけど、それはそれとしてコイツが話していると無性に腹が立ってくるので黙っていてほしい。
「片手間で潰せる相手ではないと。悩ましいな」
致命的な痛みを発する胃を抑えながら、私はそう言った。ここまで頑張ってくれた私の内臓も、そろそろ限界が近づいているようだ。胃に穴があいても名誉の負傷扱いにはならないよね、たぶん。ああもうヤだぁ……。
「ヴァルマ殿はどんな手を打ってくる腹積もりでしょうか? 彼女は素晴らしい猛将という話ですから、わが侯の首級を狙って一直線に突撃を仕掛けてくる可能性も無きにしも非ずですが」
家臣のその言葉に、私は思いっきり顔をしかめそうになった。こちらには一個連隊を超える規模の予備兵力がある。それを使えば、流石のヴァルマ・スオラハティも撃退できるハズだ。少なくとも、計算の上ではね。とはいえ、これまでさんざん予想外の挙動を見せてきた敵軍のことだ。万が一ということもありうる。……そう考えると、ますます胃が! 胃が! ああっ!
「……そんな無謀なことをせずとも、こちらの包囲を突破してリースベン軍と合流されるだけでも随分と厄介なことになる。たしか、ヴァルマ殿の騎兵隊には鉄砲や大砲が配備されているという話だったな?」
「ハイ。例の騎兵隊は、兵員の約七割がマスケット騎兵と称する小銃装備の兵科で構成されているようです。それに加え、ばん馬四頭でけん引できる小型の大砲を三門保有しているとみられます」
よどみのない口調で参謀が答えた。あー、うー。騎兵大隊の七割というと、二百人弱と言ったところかな? ライフルを装備しているのは。うわあ、すごい厄介。これだけの鉄砲兵が、あの堅牢極まりない塹壕陣地へと合流してしまったら……手が付けられなくなる。そうなったら、もう終わりだ。攻めあぐねてモジモジしているうちに、いよいよ敵本命が救援にやってきてしまう。
んもーっ! 本当に……本当に厄介! なんなのブロンダン卿は!? 嫌がらせの達人? 勘弁してよぉ……。とうに損益分岐点は割っちゃってるのに、ますます悪材料ばかりが積みあがっていく。いい加減損切りするべきだけど、この状態ではまだ白旗があげられない。なぜなら家臣どもが納得しないから。んぎぎぎ……
商売の世界では、見込みのない取引から逃げるのは恥ではない。けれど、軍事の世界ではそうではないのだ。不経済。圧倒的不経済。バカらしい。こんなやくざな稼業はやめて統治と商売に専念したいんだけど。でもそういうわけにはいかないんだよなぁ。なぜなら私は大店の若旦那ではなく、選帝侯家のご当主様だから。あひぃ。
「ふん、流石は北方最強と名高いスオラハティ軍の精鋭だ。相手にとって不足無し」
威勢のいいことを口にしつつも、私の頭の中では冷静な計算が進んでいた。ヴァルマ隊は本当に厄介だ。積極的に潰そうと思えば、アレクシアの言う通り一個連隊規模の部隊を動員する必要があるだろう。ライフルの威力はすでに身をもって体験している。とてもではないけど、甘く見てよい相手ではない。
で、ヴァルマ隊への対処に一個連隊を投入したとする。すると、リースベン軍側に張り付けることのできる戦力はまあ千数百というところで、これまた一個連隊にプラスアルファしたくらい。リッペ市に詰めてるリースベン軍は千名弱くらいだから兵力的にはこちらが優勢だけど、相手の方が士気練度に優れているので実際の戦いでは数字上の差ほど優位ではなさそう。
んぎぎぎぎ、つらい。かーなーりつらい。下手な手を打つと互角か劣勢くらいに持ち込まれちゃうよ、コレ。かなりまずいなぁ。あー、三千ならブロンダン卿を倒せると踏んだ自分の判断を悔やむね。確実に倒したいなら、五千は投入すべきだった。……まあ、そんなに戦力を抽出したら、今度はオトリ部隊が弱体化し過ぎちゃうんだけども。
結局のところ、この作戦自体が間違っていたとしか言いようがないかもしれない。大人しく本拠地のエムズ=ロゥ市に引きこもっておけばよかった。ああ、でも、それだと家臣どもがキレそう。うわ、詰んでる。白旗上げて良い? ダメ? あーうー。
「エムズハーフェン殿。私に貴殿の騎兵隊を貸してくれないか? ヴァルマ・スオラハティとは一度手合わせしてみたいと思っていたのだ」
こんなクソ状況でも、アレクシアのボケカスは楽しそうだ。行きたいなら勝手に行け。でも部下は貸してやんない。なぜ私の大切な財産をこのような女に貸してやらねばならないのか、これがわからない。どうしてもというなら担保を寄越せ担保を。
「いけません、殿下。危険です。ここはわたくしめにお任せを」
うっせえ黙れボケカス死ね。そんな気持ちを込めつつ、私は優しい声でそう言った。こちらからヴァルマ隊に仕掛けるのは下策だ。おそらく、彼女らとリースベン軍は連携を取りながら行動している。こちらがヴァルマ隊に仕掛けたら、その隙を突いてリースベン軍が動き出すだろう。
むろんリッペ市は包囲されているのため、彼らが外部と連絡を取り合うのは難しい。しかし、ブロンダン卿の手勢には鳥人がいる。空は鷲獅子で封鎖しているが、やはり地上ほど綿密な警戒網は敷けていない。その隙間を縫うようにして鳥人がどこかへ飛び去って行く姿は何回も確認されていた。リースベン軍とヴァルマ隊の間には連絡ルートが構築されていると見て間違いない。
「ふむ、どうやらエムズハーフェン殿には策がおありのようだ。聞かせてもらってもいいか?」
ニヤニヤ笑いながら、アレクシアはそう言い返してきた。ムッカツク! 本当にムカツク! ぐぎぎぎぎ、なんでこいつはこんなに楽しそうなの? 状況わかってんの? 頭おかしいの?
「……無論だ!」
でも、こんなトンチキ女に負けているようでは、神聖帝国屈指の大貴族の当主などやっていられない。私は腹に力を込めながらそう言い返した。……イタタタタッ! 力入れたらますますお腹が辛くなってきたんだけど!?
「結論から言えば、作戦の決行を早める。次の朝日が昇る前に、ブロンダン卿を倒す……!」
「ほう……!」
アレクシアの笑みが、獰猛なものに変わった。ざわついた家臣どもも「おおっ」などと言いながら私に視線を向ける。おおじゃないわよクソッタレども。全員モルダー川に叩き込んでやろうか……。
「ヴァルマ隊への対処のために戦力を分散するのは危険だが、だからといって状況を座視すれば両軍が合流して手が付けられなくなってしまう。……ここは、優先順位の高い敵から倒す」
ヴァルマ隊は厄介だけど、足止めに徹すれば最低限の戦力でも持ちこたえられるハズ。あとはそれ以外のすべての力を持って、リースベン軍を叩きのめす。これしかない。市民軍の編成は間に合わないけど、これはあきらめる他ないでしょうね。まあ、戦術的にはエルフ隊の拘束だけできればそれでいいから、とりあえず現有の戦力で暴れてもらいましょ。
……エルフどもは本当に強い。武器や頭数の足りない中途半端な状態でそのような強敵に立ち向かわなくてはならない市民兵たちには、著しい被害が出るでしょうね。それが嫌で、万全の状態を目指していたけど……こうなれば、四の五の言ってられない。リッペ市の民には大変申し訳ないけれど、負けるよりは遥かにマシだから腹をくくるわ。もし、これで失敗することがあれば……せいぜい、あの世で市民たちに詫びることにしましょ。……あー、お腹痛い。戦傷じゃなくて胃痛で死にそうなんだけど、大丈夫かな。




