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第490話 カワウソ選帝侯の苦悩(2)

 それから丸一日が経過した。相変わらずリースベン軍の防御陣地は盤石で、いささかの揺るぎもない。これが敵軍が構築したものならばまだ素直に賞賛できるのだが、わが軍が構築したものをそのまま奪われて利用されているのだからたまったものではなかった。正直に言えば、余計なことを言って"塹壕"なる概念をわが軍に持ち込んでしまったアレクシアをシバき倒したい気分だ。

 まあ、もちろんそれは心の中にとどめておく。立場的にも、そして身体能力的にもあのクソデカ女を叩きのめすのは不可能だ。家臣どもは認めようとはしないが、所詮カワウソ獣人はカワウソ獣人。陸上の戦いでは、獅子獣人に勝つのは難しい。水中に戦場を移せば、まあなんとかなるだろうけど。


「ヴァイツゼッカー隊の被害報告がまとまりました。ご覧ください」


 やくたいのない事を考えながら胃痛を誤魔化していた私の元に、参謀が書類を持ってやってくる。おかげで、私の意識は現実に戻ってきてしまった。思わず、恨みがましい目で参謀を睨みそうになる。もちろん、気合で堪えたけど。参謀は悪くないし、むしろボンヤリしていた私の方が悪い。指揮官が戦の最中に現実逃避なんて、まるで負け戦だ。


「これはまた……」


 しかし、現実があまりにも苦すぎるのだから仕方ない。私はその報告書に並んだ数字を見て頭がクラクラしてきた。シャレにならない損害を受けている。こちらはこれだけズタボロにされているのに、敵の方はピンピンしているのだからたまらない。交換比率はナンボよ? まあ間違いなく三対一を割ってるのは確かだけど。

 ヴァイツゼッカーというのは、エムズハーフェン家の家臣の一人だった。コイツは脳筋まみれのウチの家臣団の中でも極めつけの武断派の一人で、敵陣地への大攻勢を声高に叫んでいた。どうやら私の方針には微塵も賛同する気がないようだ。

 賛同しないならしないで良いのだけれども、暴発されてはたまらない。仕方がないので、彼女には敵陣地への牽制攻撃を命じた。戦術的にはあまり意味のない命令だったが、本人が今にも爆発しそうになっていたのだから仕方ない。私の手元ではじけ飛ぶくらいなら相手の方に押し付けてしまった方がまだマシだ。


「ヴァイツゼッカー殿の部隊は、少なくともこの戦いの間は二度と戦列に復帰できないでしょう。正直に言えば、手痛い損失です」


 しかしこれほどの被害を受けるとは流石に予想外だった。どうすんの、コレ。あぁ~、胃が、胃が痛い。指揮官がアホでも兵力は兵力。上手く使えば十分に役立ってくれただろうに、無駄に大損害を受けてしまった。これが商売の世界ならば、「お前はもう二度と商取引には関わらない方がいい」と真顔で忠言されてしまいそうな大損失。人材ほど替えの利かない財産はないというのに、ヴァイツゼッカーのアホアホアホアホ! いや、あの女の暴発を止められなかった私も同罪なのだろうが、これはしかし……。


「やはりこの程度の戦力での攻勢は無茶でしたな。戦力の逐次投入は下策ですぞ、わが侯!」


 家臣の一人がそんな発言をする。つまりコイツは、ヴァイツゼッカーだけを突っ込ませた私を責めたいらしい。シバくぞこの野郎。戦力の逐次投入は下策? それがわかってるから市民軍の準備が完了するのを待っているんでしょうが! 現状の戦力を団子にして突っ込ませたところで、結果はヴァイツゼッカー隊の悲劇がそのまま拡大生産されるだけじゃないのさ!


「命じたのは牽制攻撃だったのに、欲をかいて深入りしたヴァイツゼッカーが悪い。とりあえず、ヤツは謹慎だ。詳しい沙汰は追って下す」


 とにかく、こんなアホを手元に置いていたら私まで大損失を被ってしまう。排除だ、排除。兵を無為に殺したアイツにはできれば自裁を申しつけたいところだけど、それでは家臣団からの反発を招くでしょう。当主の交代を命じるのがせいぜいかな。はぁ……。


「……」


 不満そうな家臣共を視線で黙らせ、私は思案した。正直言って、マズい。リッペ市の包囲戦(攻城戦、とは呼んでいない。ここは私の街だからだ)が始まってから二日半、我々が受けた損失は想定外のレベルに達しつつある。

 もちろんこれは攻勢の失敗という点も大きいのだが、そもそも敵軍の疲弊を狙った嫌がらせ攻撃ですら、反撃でなかなかの被害を被っている。あの塹壕線とやらの防御力は尋常ではない。まるで、穀物の代わりに兵士の命を飲み込む石臼のようだった。

 おまけに、そうまでして敵を貼り付けにしているというのに、今だリースベン軍には疲弊した様子が見られない。彼女らは防衛戦を始めた当初と何ら変わりのない整然とした迎撃戦闘を継続している。昼夜を問わずに攻撃を仕掛けているというのに、よくもまあ体力が持つものだ。おそらく、効率的な戦力の配置をすることで余剰兵力を減らし、手すきになった兵を順番に休ませているのだろう。素晴らしい用兵術だ。


「戦力の逐次投入は厳禁。事実としてのその通りだ。ゆえに、今後は余計な攻撃は仕掛けずに戦力を温存する。いいな?」


 などと言ってみるが、家臣共はぜんぜん良くはなさそう。とはいえヴァイツゼッカーのヤツが盛大な失敗をしたばかりだから、表立って文句をいう奴はいない。裏ではいろいろ言われるに違いないが。……コイツら全員ブロンダン卿にシバき倒されないかな? そうしたら大手を振ってみな更迭できるのに。まあ実際にそんなことになったら私の立場ももちろん危ういわけだけど。


「見ての通り、ブロンダン卿の手管は見事なものだ。男だからと油断をしている者は、この場でその愚かな考えを捨て去るべきだろう」


 念押しする口調で、そう言い含めておく。本当にブロンダン卿は厄介な相手だ。できれば戦いたくないくらい。しかも彼は、切り札の一つであろうライフル兵大隊とやらをミュリン領に置いてきている。この部隊が彼の手元にあったら危なかった。現状何とかなっているのが、リースベン軍の射撃兵科の中核がにわか作りの弩兵どもだからだ。これがそのままライフル兵に代替された日には、我々に勝ち目はなくなってしまう。

 いや、もう、本当にライフルはヤバい。できればブロンダン卿とは穏当な形で矛を収め、ライフルを売ってもらう取引をしたいくらいだ。今まではクロスボウ職人ギルドとの付き合いで鉄砲には手を出してこなかったが、彼のライフルはクロスボウよりも射程と精度に優れ、その上連射速度でも同等と来ている。つまり、上位互換兵器。これを導入できるのならクロスボウ職人ギルドと手を切っても痛くはない。


「彼には必勝の策を持って当たらねばならん。私の作戦を信じろ」


 しかし、今はそんな先のことを考えている余裕はない。とにかく、勝たねば。相手は手強いが、勝ち筋がないわけではない。私も自分の頭の出来にはそれなりの自信があるからね。この状況に持ち込んでおきながら負けるなんて情けない真似は御免だ。最低でも、こちらのメンツが立つ形での講和に持ち込む必要がある。

 んああああ! しっかし、なんでこんなくだらない戦争でエムズハーフェン選帝侯たるこの私がこんなに頭悩ませなきゃいけないの!? この戦争の焦点ってレーヌ市だよね? あそこ、同じ交易都市の我々から見たら競争相手なんだけど!?

 いや、取引相手でもあるから、失陥したらしたで損失はそれなりにあるわけだけど……あの街がガレア領になれば、神聖帝国内での羊毛の流通量が減る。すると、うちが商っている麻や亜麻の消費量が増えて、儲けも大きくなるという寸法。つまり、皇帝軍が負けてもそれほど損はない。今必至こいて戦っているのは、あくまで自衛のためだ。皇帝の為ではない。


「我が侯、ご報告があります!」


 とにかくどうやれば一番損が少なくなるか。それを考えながら部下を説得しようとしていたら、指揮本部に伝令が飛び込んできた。ひどく慌てた様子だった。私の胃がジクジクと痛みを増し始める。伝令の声音からして、報告の内容が良いものであるはずがない。これ以上なんだというのか。私は半分泣きそうな気分になりながら、「どうした?」と聞き返した。


「ネルカ村の近郊で、スオラハティ軍の旗印を掲げた騎兵隊が確認されました! どうやら、リースベン軍の救援に向かっているようです!」


「は?」


 も、もう救援が来たの? 早くない……?

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