第485話 くっころ男騎士と手紙
父上が聞いたら顔面蒼白になるであろうほどの汚い言葉遣いでアーちゃんからの降伏勧告を蹴った僕だったが、彼女は顔色も変えずに僕の発言を受け止めた。ニヤリと笑ったアーちゃんは、肩をすくめながら頷いて見せる。
「相変わらずだな、貴様は。流石は我が惚れた男だ。……承知した、選帝侯にはそのままの言葉で伝えておこう」
「お願いします。……ん? 選帝侯に? え、こっちに来てるんですか、選帝侯閣下が」
聞き捨てならない言葉だな。前線に出ている要人はアーちゃんだけではないということだろうか? いやまあ、確かに先帝陛下を参戦させておきながら、一応はその臣下である(厳密にいうとちょっと違うのだが)選帝侯がのうのうと後方で待機しているわけにもいかないだろうが。
「ああ。リッペ市救援軍の指揮官は選帝侯本人だ。彼女は自分の知略に自信を持っている。あのブロンダン卿を倒せるのは私だけだと息巻いて、直接対決に出たわけだな」
「ふぅん」
ふーん。へぇ。ふぅぅぅぅーん? つまり、この戦場にはエムズハーフェン選帝侯と先代皇帝の両名が参加してるってことか。ふーん? いい事聞いちゃった。
「言葉による解決が不可能になった以上、決着は剣でつけるほかありません。次は戦場でお会いしましょう」
とにかく、この女の参戦が明らかになった以上は、作戦に修正が必要だ。ここはさっさとお引き取りを願い、迎撃の準備を整えよう。僕はそう考え、アーちゃんらを追い出そうとした。ところが、当の本人は慌てた様子でぐいと身を乗り出してくる。
「わあっ、待て待て。そう慌てるな。一年ぶりの再会なんだぞ? もっとこう……何かあるだろう!」
「ねぇよそんなもん」
別にアーちゃんのことが嫌いなわけではないが、ここは戦場で彼女らは敵である。敵を相手に近況報告などで和気あいあいとする習慣を僕は持ち合わせていない。僕はきっぱりと彼女を拒否した。それに、今の僕は既に婚約者のいる身。こんなアピールの激しい女と一緒に居たら浮気を疑われてしまうかもしれない。
……あー、いや、ワンチャンありかもしれないぞ? エムズハーフェン選帝侯も、こっちにアーちゃんがいるうちは攻撃を仕掛けられないだろうしな。もてなしと称して時間を稼ぐのは悪くない作戦かも。結局のところ、こっちはリュパン軍が敵軍を打ち破って救援に来るまで持ちこたえればそれで勝ちだし。盤外戦術による時間稼ぎは割と悪くない選択肢かもしれんぞ。
「いけません、クロウン様。エムズハーフェン閣下に降伏勧告が終わったらすぐに戻ってくるようあれほど念押しされていたではありませんか。ノンビリしていたらまた叱られてしまいますよ」
などと思っていたら、当のアーちゃんが部下にいさめられてしまった。"また"叱られるってなんだよ、他にも叱られるようなことをしたのか? ……やってそうだなぁ。たとえば、腹心の勧誘とか。アーちゃんは性格が悪いわけでも頭が悪いわけでもないのだが、とにかくマイペースだし空気が読めない。こういう上司を持つと、部下は大変だろうね。
「むぅ……」
アーちゃんはひどく不満そうな声を上げた。フルフェイスの兜のせいでその顔は見えないが、ほっぺたを膨らませているような気配がある。
「部下を困らせるんじゃない。さっさと帰れ、発情猫!」
そこへ口を出したのが我が副官ソニアだ。彼女はアーちゃんが僕を押し倒したり夜這い未遂をしたり(実は夜這いではなく謝罪を受けていただけだが)した一件のことをまだ根に持っているのである。
「貴様はいちいちあたりが強いなぁ! 我が何をやったというんだ」
「アル様を押し倒しておいてよく言う! 聞いているとは思うが、アル様はすでにわたしの婚約者だ! 今やわたしは大手を振って未来の夫にコナをかける悪党を排除することができる。我が剣の錆になりたくなければさっさと失せることだ」
噛みつかんばかりの剣幕でソニアが叫んだ。しかし、もちろん相手はあのアーちゃん。全く怯んだ様子もなく胸を張って彼女の言葉を受け止めた。まさに竜虎相搏つという言葉そのままの様子である。まあ、アーちゃんは獅子獣人であって虎獣人ではないが。
「ああ、それは聞いてるよ。……なので、ネトラレ系の艶本をたくさん読んで勉強してきたぞ! 寝取られる方の役も寝取るほうの役もバッチリこなせる自信がある! あ、輪姦系のも読んだぞ! 複数プレイも可だ! 我はなんでもイケる! 任せておけ!」
「喧嘩売ってるのか貴様ぁ!! シバくぞ!!」
一応は公式の場でとんでもない発言すんなや。そんな気持ちを込めてアーちゃんをジト目でながめていると、それに気づいたお供の騎士が主君の肩を叩く。
「クロウン様、意中の男性の前で艶本がどうとかおっしゃるのは流石にマズイですよ……!」
「あっ……アッ!」
アーちゃんははっとした様子で、僕の方を見た。
「あっ、ああーっ……うわわーっ!」
あげく、頭を抱えて奇妙なうめき声を上げ始める。なんだこいつは。
「い、いや。違う! 違うんだ! これは……そう、冗談! 冗談なのだ! 久しぶりに友人に会ったものだから、つい調子に乗ってしまった! 我は艶本とか読んでないからな! そんなの全然興味ないからな!」
「アッハイ、わかりました」
アーちゃんがエロ本を読んでいようがいまいがどうでも良い話である。僕はしらーっとした顔で頷いた。まあ、実際のところエロ本くらい好きなだけ読めばいいと思うしな。生理的なものだし、仕方ないだろ。むしろ、エロ本くらいで我慢してるだけ偉いよ。僕の幼馴染の騎士なんか、僕から借りた金で娼館通いとかしてたし。あいつよりはだいぶマシだ。
……まあ、そいつは借りた金も返さずに戦死してしまったが。思えば、そろそろ彼女の命日が近づいている。当日に墓参りをするのは難しそうだが、せめて黙祷くらいはしてやろう。ちゃんとしたお参りは、このくだらない戦争が終わってからだ。
「クロウン様、仕事は終わったのですから早く戻りましょうよ。このままでは墓穴を掘るばかりですよ」
呆れた様子で、お供の騎士が忠告する。アーちゃんはぐぬぬと唸り、ため息をついた。
「致し方あるまい。今日のところはこれで退散しよう。……ああ、そうだ。副官、例のものを」
彼女はそう言って、副官から何かを受け取った。おしゃれなデザインの封筒だ。彼女はそれを僕に押し付けてくる。
「ニコラウスくんからだ」
「ああ、どうも……」
これから戦う敵の手紙など受け取りたくないが、まあ致し方あるまい。不承不承、貰っておく。しかし、ニコラウス君からの手紙ね。内容が気になるな。正直、僕としてはアーちゃんよりも彼のほうが厄介なように思えてしまう。何しろ彼は魔術師としては破格の能力を持っているし、男性の権利拡大運動などという活動にも手を出している。いろんな意味でお近づきになりたくない手合いだった。
「そういえば、彼の姿が見えませんが。本陣のほうにおられるのですか?」
ちょうどいい機会だ、彼の所在を聞いておこう。あのチート魔術師の動き一つで、こちらの取る戦術はだいぶ変わってくる。夜闇に紛れてこっそりと塹壕線に接近し、こちらのウィークポイントに戦略級魔法で一撃……などということになったら大事だ。
「いいや。どうも、彼は君とは戦いたくないようでね。妹のほうに預けてきた。今頃は、レーヌ市を巡る戦いの方に参加しているだろう」
「あー、なるほど。ありがとうございます」
うわあ、いやな所に居るなぁニコラウス君。レーヌ市のほうの戦線って、うちの殿下がいるんだけど。ニコラウス君への警戒をしなくて良いというのは朗報だが、それはそれとしてヤな感じ。大丈夫かね、向こうの戦線は。
しっかしニコラウス君、やっぱりまだ従軍してんのね。リースベン戦争で足を吹き飛ばされたというのに、まったく根性が入っていることだ。手紙による近況報告では、義足を使ってなんとか一人で歩けるようになったという話だが、そんな状態でよくも戦場に出ようと思ったものだ。敵ながら感心しちゃうね。
「じゃ、確かに手紙は頂きましたので……そろそろ指揮本部の方に戻りますね」
そうこうしている間にも、お付きの騎士がチラチラこちらを見て早く話を終わらせろとアピールしてくる。別にそれに従う義理も無いのだが、アーちゃんと話をしているとなんだか疲れるのも事実だからな。さっさとお引き取り願おうと、僕はそう提案した。
「あっちょっと待ってくれ!」
ところが、アーちゃんの方はまだ話を続けたい様子だった。慌てた様子で手をブンブンと振った。またかよ、めっちゃ引き留めてくるじゃん。
「その前に、あの小舟を操っていた部隊について話が聞きたい。船の操りようも、戦いぶりも、素晴らしいものだった。彼女らは何者だ? うわさのエルフ部隊か? あの妙な火炎兵器はいったい……」
うわっ、アーちゃんの悪い癖が出たぞ。コイツ、エルフどもを勧誘するつもりだ。僕は思わず顔をしかめそうになった。ウチの中核戦力に引き抜きをかけられてはたまらない、さっさと話を切り上げよう。
「申し訳ありませんが、ノーコメントで。戦いの前に手の内を晒す愚を犯すわけには参りません」
僕はピシャリとそう言った。エルフどもは飯で釣れちゃうからなぁ。引き抜きの際には結構な好条件を出すアーちゃんとは相性が悪いかもしれん。もちろんエルフらを信用していない訳ではないが、万が一ということもあるからな。エルフどもともう一度戦うなんて御免なので、彼女らの心を揺らすような真似は極力避けたいんだよな……。




